第3話

 個人としてのルーツを辿ると、幼少期にあるというのはきっと間違いではない。しかし、だとすると、考え方とは個人の根幹の一部ではないのかもしれないと巴子は思う。それは聴いた音楽とか読んだ本だとか、そういうものによって簡単に変化するもので、確かにその時々の芯ではあるはずなのだが、一本芯というよりは塑性のある枠組みのようなものだ。凝り固まるという表現は、つまりそういうことなのだろう。

 遮断機が上がるのにあわせて、巴子はぼんやりした思考からふっと現実へと浮上した。随分と長い間揺れていたような気がするが、もしかすると目の前を過ぎた電車から伝わる振動を、普段以上に感じていたのかもしれない。昨晩見たドキュメンタリー番組に、微かな振動で世界を読み取るという蜘蛛の姿を覚えているせいだと、巴子は納得する。無意識の瞬間だけ、彼女の世界の捉え方はそれと同様であった。

 そうしたことがあると、急に目に付くものが増えたように巴子は感じる。腕時計を内手首につけた男性に泣きそうな顔で犬を連れる女性、そして、小さな民家の軒下で抱き合うように互いの髪を結う少女たち。一瞥して歪な彼らが、巴子には殆ど正しい生き物のように見えた。それぞれの世界では間違いなく、廉直な営みを行っているのだ。巴子が知らないだけで。

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