第2話 アクリルのイルカ

 入場口で券を出す。二人分。

 コンビニで前もって購入しておいたチケットだ。

 木下さんに払わせないように講じた策。我ながら、よく気がついたと思う。


「水族館、久しぶりだな。五年ぶりくらい」

「そんなに? 俺は、部活で来たから、去年以来かな」

「そういえば、文化祭の絵。魚だった」

「見てたの?」

「うん。見に行ったよ」

「気づかなかった。そっか」

「うん。気づかなかったでしょ」


 得意げになっている。そんな仕草も可愛らしい。

 待ち合わせの時間より十分早く、木下さんはやってきた。

 生成り色のシャツっぽいワンピースにレギンス、足元はスニーカーだ。

 意外と女の子っぽすぎないカジュアルな装いが似合っている。

 俺が一緒に並んでも大丈夫かな。不安だ。

 服装に気を使うなんて、生まれてはじめてかも。

 こうなるともう、何からなにまで気になってくる。

 靴紐から自分の鼻の位置まで、不安になる。

 ――今更、もう、どうしようもないか。うん。


「あ。チケット代、香村くんにだけ出させないからね」


 完璧な策だと思っていたのに、彼女はリボンのついた財布から二千円取り出した。

 俺の手から券を一枚引き抜いて、代わりに差し出す。


「二人とも学生なんだし、負担になるのはやだよ」

「う。ごめん。逆に気、使わせちゃった」

「ううん。でも、嬉しいよ。ありがとう」


 うわ、なんか、俺、かっこ悪い。このままじゃだめだ。

 対木下さん策、プランB発動だ。


「手、繋ごう。はぐれないように」


 はぐれるわけないだろうけど、こんなのは口実だからいいのだ。

 木下さんは差し出した手をじっと見下ろして、決心したように頷いた。


「……うん。繋ごう」


 繋いだ手は、ちょっと熱い。すっぽり手に収まる小ささが、可愛い。


「照れるね。なんだか」

「そうだね、ちょっと。……嫌かな?」

「ううん。そんなことない」


 ぎゅ。反論と同時に、握ってくる手に力がこもる。

 幸せだ、この圧力。

 意外と行動派なのかも? 学校じゃ大人しいほうだから、びっくりした。

 新しい一面が見れて嬉しい。

 もっともっと、木下さんのこと、知りたいな。



「わ。水槽のアーチ。はじめて」

「俺、二度目。あ、上見て。エイの口」

「あ、かわいい。顔みたい」

「魚を下から見上げるの、いいよね。普段見えないところ見えて」

「うん。海の底を歩いてるみたい」


 水槽のアーチを抜ける。流石に夏休み。

 子供連れの客が多い。

 正面の水槽には……


「カニだ。カニ、大きいね」

「タカアシガニだ。蒸すと美味しいらしい」

「香村くん、そういうこと、言わないの」

「あ、ごめん」


 ちょっとむくれる木下さん。やばい、怒らせちゃった?


「ごめんね、ムード壊しちゃった?」

「うん。でも、名前で呼んでくれたら許してあげる」

「え?」

「名前。呼び捨てでいいよ。わたしもそうする」


 怒ってるのはブラフで、こっちが本命だったらしい。

 木下さんも、俺に他する対策案を用意してきたのかもしれない。

 そう考えると、超、うれしい。


「えっと、じゃあ……、未織」

「……うん。かなた」

「う、うん……」


 なんだろう。こんなことくらいで。

 もうドキドキしちゃって、だめだ。

 手、熱い。顔、赤くなってたら恥ずかしい。

 木下さん、じゃなくて、未織の顔は、もう赤くなってる。

 ぎゅっと手を握り直して、上目遣いで見て、それから、


「……かなた」


 うわあ。俺、今、超、幸せだ。



「あ。あの魚。かなたが描いてた。文化祭のとき」

「あ、そうそう。アロワナ。古代魚だって。鱗が大きくてさ、なんか、好きなんだ」

「古代魚。素敵だね」

「うん。生きた化石ってやつだね」

「生きた化石かぁ……。きれいな鱗。泳いでる魚をスケッチしたの?」

「うん。動き回るから、おおまかにスケッチするだけ。

 細かいところは写真とか見て描いた」

「そうなんだ。絵に描いたときのアロワナ、いる?」

「どうかなあ。どの魚だったかまでは覚えてないよ」

「そうだよね」


 未織はじっと水槽を見つめている。

 本気で俺が描いたアロワナを探す気だろうか?

 しばらく足を止めて水槽の前に居た。

 ガラス面に映る未織の顔がなんともリラックスした様子なのが、なんだか嬉しい。


「そろそろ、順路、次、行く?」

「あ、うん。ごめん」

「ううん。夢中になってたね」

「うん。気に入っちゃった」

「そっか。あとでまた、来ようか?」

「うん!」


 弾むように首肯する。

 ちっちゃな子供みたいなはしゃぎっぷりだ。

 はじめてのデートに、水族館を選んでよかった。



 水槽の中の魚を見るというよりは、ガラスに映る二人並んで歩く姿を眺めて、カップルに見えてることに喜びを感じていた。

 それから、魚を夢中で見つめる未織を見て、幸せを噛み締める。

 そんな楽しみ方で時間を過ごした。


「順路の中で何が好きだった?」


 足を休めるために園内のカフェに寄って、軽い昼食を摂った。

 一息ついて、お互いに感想を交わす。


「うーん、やっぱり、アロワナ。あと、ペンギン!

 可愛かった。暑そうにしてるの。それから、カメ。好き」


 カメの奴が羨ましい。俺も、好きって言われたい。


「ペンギン、暑そうだったね。寒いところの生き物だもんな。

 俺は、珊瑚礁の水槽が良かったな」

「綺麗だったね。カラフルな魚いっぱい」

「な。綺麗だよな。なんであんなに原色かな」

「鮮やかだよね。あ、そういえば、クラゲ、いないね」

「あ、順路だと、このカフェの先の水槽みたい」

「そっか。楽しみ」

「足、大丈夫? 疲れてない?」

「うん、ちょっとだけ。でも、ここで休んだから、大丈夫」

「もうちょっと休んだら、行こうか」

「うん」



 それから、クラゲの水槽を見て、アロワナの水槽へ再び戻って。

 順路を一通り辿った。


「ひとまわりした、かな……?」

「見ごたえあったねぇ」

「うん。良かった。あと、どこか行きたいところ、ある? あ――クラゲ以外で」

「えーっ。どうして?」

「だって、水槽から離れようとしないんだもん。未織、夢中になりすぎ」

「う……うん。だって……」

「あとちょっと、あとちょっと、って。日が暮れるまで見てるつもりかと思ったよ」

「そっ! そんなことないもん」


 ぷいっとそっぽを向く。

 図星をつかれて、でもそれさえも楽しそうにしている。

 未織も楽しんでくれたみたいだ。今日は、それが一番嬉しい。


「で、どうする? このまま出ちゃう?」

「うーん……。あ。お土産売り場、行きたいな」


 進行方向のショップを指差す。


「お土産、家族に?」

「うん。水族館行くって言ってあるから。うちの親、お土産大好きなの」

「ご当地もの好きなんだっけ? 気持ちは分かる。テンション上がるよね」

「うん。そうなの」


 ショップにたどり着くなり、夢中で箱菓子を物色している。

 俺は家族に買う予定はないな。

 期待されてないし、適当に店内を眺めて回った。

 あ。このキーホルダー、かわいいかも。

 いかにも水族館って感じのイルカの形。

 アクリル製でチープだけど、透明の青が綺麗だ。

 未織にあげたいな。

 今日の記念みたいに。

 子供っぽいかな。だって、初デートだし……。

 こういうのって、もしかして、うざい? うーん……。



 駅までの道のりは未織と並んで歩く喜びと、別れの近づく寂しさとで落ち着かない気分だった。

 改札前までたどり着いて、どちらともなく向かい合う。


「今日は楽しかった。ありがとね」

「ううん、こっちこそ。楽しかったよ。また出掛けよう。あと、これ、未織に」

「え? あ、お土産売り場の?」

「うん。こっそり買っちゃった。なんか、記念が欲しくなって」

「わ、かわいい。ありがとう。嬉しい」

「喜んでもらえてよかった」


 イルカのキーホルダーを、未織は早速携帯に着けている。本心から喜んでもらえたみたい。よかった。


「……実はね、わたしも。これ。かなたに」

「え? 未織も買ってたの?」

「うん。こっそり。わたしも、記念が欲しくて……」

「ありがとう。すっげー嬉しい」


 包みを受け取る。中に、同じく、キーホルダーが入っている。こっちはクラゲのマスコット。


「俺も携帯につける」 

「うん。お揃い、ね」

「うん」


 未織からそう言ってもらえたのが嬉しくて、舞い上がって、ストラップがうまく付けられない。

 ようやく取り付けて、改めて携帯電話を見つめた。

 二人して宙にかざして、揺れるストラップを眺めている。ふしぎな沈黙が降りている。

 もしかして未織も同じ気分で居るのだろうか。

 ――別れるのが名残惜しい。


「……かなた」

「うん?」

「あのね。今度は、うち、来てほしいな」

「えっ」


 なんか、それって……。

 いや、だめだ。想像しちゃだめだ。


「うん、あのね。絵、描いてほしいな」

「あ……」


 忘れてた。

 夏休みに入ってからここ数日、浮かれっぱなしで。

 デートコース考えるのに夢中で。

 未織と恋人になれたことが、嬉しくて。

 そうだ。条件があったんだ。

 俺は、未織の絵を描く。

 それができたら、二人の恋人関係はお終い。


「だめ、かな?」

「ううん。約束、だからね」

「うん……。ありがとう」

「うん。じゃあ、今度は、未織の家に行く」

「都合の良い日、連絡するね。かなたの予定も教えてね。じゃあ……」


 バイバイと言って改札を抜けて行く。一度振り返って、手を振った。

 手を振り返すと、嬉しそうに微笑む。

 彼女の後姿が遠ざかっていく――。

 今日一日中、未織は確かに、楽しそうだった。

 俺のこと、好きだって言ってた。

 でも、じゃあどうして、あんな条件をつけたんだろう――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る