二百二十五 査問
異端管理局が教皇の命により、第一級異端者を浄化する任務から帰った翌日、大聖堂内には衝撃が走った。あの異端管理局に、死者が出たのだ。
「本当にか?」
「ああ。あのスニが死んだらしい」
「オアドもだって、聞いたわよ?」
「正確には治療中だが……」
「危ないって訳ね。無事戻ってきたのって、カタリナとベノーダだけ?」
「いや、それが……」
「え? 嘘でしょ? あのカタリナよね!?」
「右腕を切り落とされたらしい」
「まあ、でも……ね?」
「そうね。あのカタリナも、人の子だったってわかっただけで、何だか不思議だわ」
「それに、管理局も負ける敵がいるとはな……あそこの連中、普段から何考えてるかわかんないのばかりだから」
噂話は、大抵ここで嘲笑と共に終わる。そして、この噂は二十日近く経った今でも、そこかしこで囁かれていた。
それらを耳にしながら、ベノーダは大聖堂内を歩く。
――勝手な連中だ……
普段は恐れて近寄りもしない癖に、少し土がついた途端いい気味だと言わんばかりに嘲る。これが神の家に集う聖職者達の真の姿だ。
もっとも、二人も死者を出した今回の事が、「少し」で終わるかどうか。
彼等の情報は少し古い。つい先程、オアドも息を引き取った。やはり流した血が多すぎたようだ。回復が間に合わなかったと、報告が来ている。
同じ管理局にいる仲間とはいえ、オアドはまだしもスニとベノーダは仲が悪かった。殺しを楽しむ彼を、ベノーダはどうにも好きになれなかったのだ。
普段軽く見せているベノーダだが、倫理観は普通である。人を殺す事もあるが、それは相手が神を信仰しないからであり、改宗さえすれば手出しはしない。それは彼の矜持にも繋がる。
だが、スニは違った。敵であれなんであれ、人や生き物を殺す事に無上の喜びを感じると言っていたのだ。実際、不必要な殺しを何度もしているのを知っている。
それでも、死んだとなると重いものを感じるのだから不思議だ。ただでさえ管理局は人員が少ない。それが二人も欠員を出すなど、今後の任務にも支障が出るかもしれなかった。
これからベノーダが向かうのは、その事に関する査問の場だ。
大聖堂奥院、大広間。立ち入りが制限されるこの奥院でも、比較的公的な意味合いを持つのがこの大広間である。
この大広間にて、今回の査問が行われるのだ。査問される側はベノーダただ一人。
あの任務で、比較的軽傷だったのは彼だけだ。スニは即死、オアドは何とか連れ帰ったものの治療の甲斐なく死亡。
頼みの綱のカタリナも、右腕を切り落とされるという重傷だ。そうでなくとも、本来の任務はベノーダ達三人で向かったものなのであり、カタリナは関わっていなかった。
大広間に入り、所定の位置でひざまずく。頭を垂れて待つ事しばし、人が入ってきた気配を感じた。
「異端管理局局員ベノーダ。面を上げよ」
「は!」
さすがに、普段の軽い様子を出す事は出来ない。ベノーダは神妙に顔を上げ、ゆっくりと立ち上がった。
大広間の一番奥、教皇の座には普段姿を現す事がない教皇聖下が座している。彼の左右に、八人ずつ十六人の枢機卿が並んでいた。
査問は、枢機卿達によって進行される。
「過日、聖下よりのご命令にて第一級異端者マレジアの浄化が行われた。相違ないな?」
「ございません」
「任に当たった局員はこれにあるベノーダ、そしてスニ、オアドの三人である。相違ないな?」
「ございません」
「この場で嘘を申す事は、死に値する事、承知しておるな?」
「承知しております」
今更な事を聞かれ、それに答えなくてはならない。
「では、当日の事を子細漏らさず話せ」
「はい」
ここからは、己の言葉で当日の事を語る必要がある。ベノーダは、自分が見たままを語った。
マレジアの隠れ住む里に到着し、普段通りに浄化を行おうとした事、里には聖魔法具の力を弾く仕掛けが施されており、苦慮した事。
それでも、もう少しで浄化が行えるところまで来て、外部の干渉があった事。
「外部の干渉だと?」
「はい。人数は四人。うち二人は男で手練れではありますが、問題はありません。うち一人は女でエルフ」
枢機卿がざわついた。
「そして、最後の一人も女。この女は、魔法を使っていました」
ベノーダの言葉に、枢機卿達が息を呑む。幾人かは「おお、神よ」と祈りの言葉を捧げていた。
「ベノーダ。その場にいた者が、魔法を行使していたとは、本当か?」
「嘘偽りなく」
教皇の右腕とも呼ばれるヨファザス枢機卿からの問いに、ベノーダは真摯に答える。あれは、確かに魔法だった。
異端管理局という仕事柄、他の者よりも魔法に触れる機会が多い。一般の人や教会の人間が思う程、強力な魔法を使う人間などまずいない。だからこそ、管理局の聖魔法具で事足りるのだ。
だが、あの女は違った。あの場にカタリナが来てくれなければ、今頃ベノーダもスニやオアドと同じ目に遭っていたかもしれない。
――その代わり、カタリナが片腕を失ったがな……
あれは、痛恨の出来事だった。まさか、カタリナの腕が切られるなど、誰が想像しただろう。
「では、スニとオアド、それにカタリナに傷を負わせたのは、その魔法を行使する女なのか?」
「いえ、スニは大剣を持つ男に斬られ、オアドは魔法を使う女とエルフの二人にやられました」
「ふむ。オアドは両の肘から先を斬られたのだったな。斬ったのがエルフか?」
「はい」
女でエルフだが、いい動きをしていた。それをここで言う訳にはいかないけれど。
枢機卿達は、何やら囁き合っている。緊迫した空気に、今にも逃げ出したい衝動に駆られた。
はやく、カタリナの元へ行きたい。戻ってからこちら、顔を見ていないのだ。誰に聞いても知らないと言われ、局長に至っては仕事に励めとしか言わない。
あの大怪我だ。今後現役復帰は難しいかもしれない。彼女の為にはいいと思うが、何分異端を浄化する事に情熱の全てを傾けているような彼女が、果たしておとなしくしているだろうか。
「今回の任務失敗に関しては、数日後に処分が決定される。それを待つように」
「お待ちください! 一つ、どうしても皆様方にお伝えしておきたい事があります!!」
本来、この場で取るべき態度ではない。それはわかっている。だが、後では駄目なのだ。
「カタリナは、今回の任務に関わっておりません! その事だけは、どうか――」
「静まれ」
大広間に、大きくはないのに響いたその声は、今まで一度も口を開かなかった存在のものだった。
最奥に座す教皇、その人である。
「カタリナに関しては、お前が心配する事はない」
「ですが!」
「意見は無用だ」
それだけ言うと、教皇が手を払う。同時に、ベノーダはいつの間にか両脇に立っていた聖堂騎士達によって力尽くで大広間から出されてしまった。
自分は、ちゃんとやれたのだろうか。不安ばかりが彼の胸をしめていた。
「失態だったな、ベノーダよ」
「申し訳、ございません……」
奥院での査問の後、ヨファザス枢機卿に呼び出された。彼もあの場にいた一人で、今は自身の執務室にベノーダを呼び出している。
教皇に一番近い人物であるヨファザス枢機卿は、異端管理局とも密接な関わりを持っていた。
「それにしても、あのカタリナが傷を負うとはな……」
「私の不覚です」
「戯れ言を申すな。あれに怪我を負わせるような相手に、お前ごときが何が出来ると言うのだ」
事実だが、目の前で言われると悔しい。カタリナは、異端管理局でも最強を誇る。その彼女が手傷を負わされたのだ。あのままベノーダが相対していたら、大剣で首でもはねられていただろう。
それよりも、ベノーダには確認しておきたい事がある。
「猊下、例の件はどうなりましたか?」
「うん? ああ、修女ノリヤの件だったな。よもや、あの時連れていた見習い修女が、件の魔女だったとは」
魔女とは、教会でも上層部が使う言葉で、魔法を使う者全般を意味する。だから、男性の魔法を使う者に対しては「男の魔女」という、いささかおかしな表現をするのだ。
カタリナを聖都へ連れ帰る際、うわごとのように言っていたのだ。『修女ノリヤが連れていた見習い修女だ』と。
最初は何の事かわからなかったが、やがて気付いた。あの魔女の事を指していたのだ。
それがわかってからは早かった。ベノーダはヨファザス枢機卿を通じて、修女ノリヤを探ってもらったのだ。
いくらヨファザス枢機卿の権勢でも、人や手紙の行き来には時間がかかる。ノリヤの消息を確かめるのに、今日までかかってしまったのだ。
「修女ノリヤは、現在行方不明だそうだ」
「行方不明?」
「ふむ。大演武会が終了して五日後に、ノリヤが所属する教会から聖都に問い合わせが入ったそうだ。ノリヤと見習いがまだ戻らないとな」
「そんな馬鹿な……」
確かに、聖都の周辺も治安がいいとは言い切れない。実際、聖都との行き来の途中で、盗賊に襲われ命を落とした聖職者も少なくないのだ。
よもや、ノリヤもそのような者の手に……
「これでまたしてもヒベクスを追い落とす機会を失ったわ」
「ヒベクス枢機卿……ですか?」
「ノリヤの所属教会は、ヒベクス配下のフォーバルが担当する教会よ」
「あ……」
ヒベクス枢機卿は、表だって表明はしていないけれど、教会内の「反教皇派」を束ねる人物だ。
だが敵も然る者、決して尻尾をつかませず、噂のみが先行している状態である。
いくら教皇に一番近い場所にいるとはいえ、ヨファザスにとってヒベクスは同じ枢機卿、確たる証拠がなければ訴える事も出来ない。
「ノリヤがこちらの手に落ちれば、いい訴追の材料になったものを」
悔しがるヨファザス枢機卿を横目に、ベノーダは考え込んでいた。そんな以前にノリヤが失踪していたのなら、彼女はあの魔女とは関係がないのだろうか。
――ノリヤ失踪にも、魔女が関わっている? いや、それはあまりにも……
大演武会の時に、カタリナとすれ違ったというだけで、ノリヤを隠すものだろうか。
あるいは、本当にノリヤは不運にも盗賊の手にかかって命を落としたのか。真相はわからず終いである。
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