二百六 聖都
無事宿舎に戻ってから、割り当てられて自分の部屋に入る。簡素な部屋には、ベッドと机、椅子、小さな棚くらいしかない。
「疲れた……」
身元を偽って敵の本拠地に潜入するなど、前世でも今世でも経験がない。精神疲労は相当なものだ。
正直、ラザトークスの大森林の奥地で、一人で魔物相手に狩りをしている方がまだ楽だった。
大演武会までは良かったけれど、その後がいけない。何が悲しくて王女殿下やらラスボス一歩手前の敵と顔を合わせなくてはならないのか。
しかも、自分はまだ敵の本拠地の中だ。気が抜けない。
「帰りたい……」
思わず呟く言葉。ただ、その「帰る場所」とは、今の自分にとって、どこなのか。
思考がまとまらないのは、きっと疲れているからだ。今はもう寝よう。目を閉じると、すぐに睡魔がやってきた。
翌朝も、まだ聖都は賑わいが残っている。
「大演武会は終わったのに……」
「それにかこつけて、商談だったり根回しだったりをする人達がいますからねえ」
ノリヤの言葉に、なるほどと納得する。人が多く集まる機会は見逃せないという訳か。
本日は朝食後、まだ見ていない場所を案内してもらう事になっていた。何せこの聖都、面積が広い。
一番古い区画は、大聖堂がある辺りだそうで、まだ残る壁にその片鱗が残っているそうだ。
「街が拡張されるのに合わせて、壁も新しく作られるんです。全てを見通すには、鐘楼に上るしかないと言われていますよ」
壁は三重になっているのだとか。現在地は一番古い壁と二番目に古い壁の間の区域だから、ここからでは三番目の壁は見えない。
既に壁としての役割を終えた壁には、住宅がびっしりと建てられている。街の壁を建物の壁に再利用したそうだ。
「壁で区切られた区域は全て、建築様式が異なります。ざっと二百年単位で新しい街が作られていますから、次に新しい壁が作られるのは、五十年後ではないかと言われているんですよ」
という事は、今一番新しい街も、百五十年程前に作られたのか。そして街が作られる年代が違うので、建築様式も変わるという訳だ。
「当たり前だけど、教会が多いですね」
「そうですね。何しろクリール教の聖地ですから。教会の形で、ある程度教派がわかるんですよ」
「きょうは?」
「神の教えの解釈を廻って、いくつか派閥があるんです」
人が多くなると、群れを作るのはどこでも同じらしい。ちなみに、一番多く教皇派も所属しているのが「古典派」で、一番数が少なく強硬派なのが「新派」というそうだ。
新派は現在の教会のあり方を真っ向から否定しているせいで、異端管理局から目を付けられているそうだ。
ただ、聖典の解釈違いだけでは異端と認める訳にもいかず、聖堂会議では毎度議題に上がるものの、未だに粛正された事はないという。
「聖堂会議って、何ですか?」
「主に教会組織全体のあり方などを話し合う場なのだけれど、最近はもっぱら組織内部の異端狩りの話し合いになってるという噂よ」
外部に関しては、管理局の一存に任されている異端狩りも、内部――教会組織内での異端狩りは聖堂会議で決定しなくてはならないらしい。
「聖堂会議で新派がやり玉に挙げられても粛正を免れるのは、これを許すと次は我が身になりかねないから、他の派閥が死守しているのですって」
「はあ……」
各派閥も、新派の強硬な態度には頭を抱えているものの、管理局に任せるのは躊躇するとの事。ギリギリのバランスで存在しているようだ。
広い聖都も、三日もかければほぼ全てを見回る事が出来る。残るは一般立ち入り禁止区域のみだ。
「さすがにあそこは私では入れないから」
「いえいえ、ここまで案内してもらっただけで、十分です」
こっそり、聖都全体の情報も集める事が出来た。教皇が仕掛けたものか、一番古い壁のあちこちに、魔法道具が埋め込まれている。これらは外敵の侵入を防ぐと共に、内部に入り込んだ敵を排除する機能もあった。
全てはこの、一番古い壁の内側にあるという事だ。
――今のところ、「上」には何も施されていないようだし、侵入するとしたら上空からかな?
見上げた空には、結界らしきものは見当たらない。抜けるような青空だけが広がっていた。
「さあ、それでは聖都を出発して、教区に戻りましょうか」
「はい」
ノリヤが暮らす教区は、聖都から南に向かって馬車で一日半程度いったところだ。
聖都には東と西に大きな門があり、出入りは全てそこからになる。ティザーベル達は東の門から出て、南へと向かった。
一番新しい壁の門をくぐり、少し行ったところで聖都を振り返る。なだらかな丘に作られた、石造りの街。クリール教の聖地にして、教皇の座す場所。
そしてあの丘の地下には、二番目の研究実験都市がある。叶う事なら、そちらの解放も試みたい。
それにしても、こんなにあれこれある潜入になるとは思わなかった。荷馬車に揺られつつ、短くも濃い潜入生活を振り返り、肩をすくめるティザーベルだった。
ノリヤの教区まで戻り、そのまま教会で少し過ごした後、フォーバルと共にカモフラージュの里まで来る。
ここまで来るのに監視の目を警戒しつつ、あちこち寄りながら進んだ。
「さて、もう少しですよ」
「ええ」
布教の移動は基本、徒歩だという。どうしても歩いてはいけない場所の場合に限って船や馬車を使う事もあるそうだが、余程の事がない限り認められないそうだ。
おかしい、聖都ではギラギラに着飾った聖職者達が豪奢な馬車で大通りを通り過ぎていったものだが。
それをぼやくと、フォーバルが苦く笑う。
「まあ、そういうところが新派の連中には受けがよくなくて……」
「ああ」
清貧なれ、はクリール教でも神の教えとして伝わっているそうだ。まあ、今の聖都がその言葉に従っているとは、誰の目にも見えないけれど。
「同じ神を信仰する身ですが、正直幅がありすぎて自分でも混乱する時があるんですよ。清貧などという言葉からはほど遠い存在もいれば、ギリギリ過ぎる生活で命の存続すら危ぶまれる修道士もいますし……」
振り幅が大きいという事だろうか。多くの聖職者達はほどほどの生活をしているそうだけれど、希に極端な存在が出てくるそうだ。
「聖都のあれは、極端な例と言えるんですかね?」
「その辺りは、見逃してくれると嬉しいかな……」
教会内部の人間も、やはりあの有り様は如何なものかと思っているらしい。
「そういえば」
「何かね?」
「例の枢機卿……確か、ヨファザス枢機卿でしたっけ」
「彼が何か?」
「修女ノリヤに、彼女が関わっている孤児院から、何人か聖都に行儀見習いに来させては、とか言っていましたっけ」
「! あのくそ狐めが!!」
フォーバル司祭にしては珍しく、激高している。やはり、ヨファザス枢機卿の黒い噂は本当のようだ。
「失礼……あの老獪な狐に絡め取られた子供は数が多いんです。その殆どが、帰ってきていないのに、誰も問題にしない」
どこも、孤児なんてものは街の厄介者だ。それがいなくなったところで、住民が気にかける事などない。ティザーベル自身、今世は孤児スタートだったので、その辺りはよくわかる。
特に地方に行けば行く程、住民が少なくなればなる程、偏見の目は強くなるものだ。
「……その話の時、ノリヤは何と答えていましたか?」
「確か、心にとめておく、とだけ」
「そうですか……相手に言質を与えないで躱しているのは、さすがです」
どうやら、フォーバルはノリヤを高く評価しているらしい。
――そうでなければ、隠し球の私につけたりしないか。
現状、異端管理局に対抗し得るのはティザーベルのみだ。管理局のせいで魔法士が迫害され、数を激減させているからという単純な理由があるけれど、多分それだけではない。
偶然にも、地下都市の秘密を知った身だ。しかも、都市を再起動させた褒美なのか、都市の機能を自在に操る事が出来る。
実際には制限付きだけれど、それでもあるとないとでは大違いだ。おそらく、管理局との戦闘でも、それが物を言う。
そして、対スミス戦でも。
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