二百四 助け手

 通された部屋は、随分と豪勢な場所だった。飴色の床材、どっしりとしたソファの模様は鮮やかで、ローテーブルの艶も見事である。


 壁には肖像画が飾られ、同じ人物を描いたそれらがこの部屋の持ち主を現していた。


 クリール教枢機卿ヨファザス。現在、修女ノリヤとティザーベルの前に座る人物だ。


「かけて楽にしたまえ」


 そう促されるが、無言で腰を下ろすが精一杯である。ラスボス手前の手強い中ボスクラスの人物だ。さすがのティザーベルでも緊張する。


 大演武会が終わり、闘技場から出ようとしていた二人に声をかけてきたのは、ヨファザス枢機卿の配下の者だった。


 主から二人を連れてくるよう言いつかったと言った彼は、現在ここにはいない。どうやら、配下の中でも地位は低い人物だったようだ。


 ノリヤとしても、階位が上の相手からの呼び出しでは、たとえ気が乗らないとしても受けないわけにはいかない。


 ティザーベルだけでも逃そうと「見習い故、躾けが足りていません」と言い訳をして彼女一人で向かおうとしていたが、配下の者の押しは強かった。


 結局拉致されるようにここまで連れてこられたのだ。


「少し、手荒なまねをしてしまったかな?」

「いえ……それにしても、猊下からお声がけいただくなど、恐れ多い事。一体、私達の何がご不快だったのでしょうか?」

「いやいや、別に叱責する為に呼んだのではないよ」

「では……何故……」


 ノリヤの語尾が揺れる。彼女は筋金入りの反教皇派だ。特に異端管理局を酷く憎んでいるらしい。詳しくは聞いていないけれど、フォーバル司祭に引き合わされた際、そんな事を口にしていた。


 ヨファザスは教皇派であり、管理局とも懇意だと聞いている。


 ――もしかして、こっちの事が敵にバレた?


 そうだとすると、反教皇派の情報管理に疑問が浮かぶけれど、管理局の面々がいなければ、逃亡も可能だ。その後、再び潜入する事は出来なくなるので、強行突破は出来る限り避けたいけれど。


「実はな、賓客の一人が君達に目をとめたのだよ」


 こちらの気も知らず、ヨファザス枢機卿は満面の笑みでおかしな事を口にした。

 自分達に目をとめたとは、一体どういう事なのか。


「あの、それはどういう――」

「ああ、いらしたようだ」


 枢機卿の声と共に、部屋の扉が開かれた。そこにいたのは、制服らしきものを着込んだ男性が二人。彼等が部屋に入って両脇にずれると、その後ろから華奢な女性が姿を現した。


 確か、どこかの国の王女ではなかったか。


「隣国シーリザニアの第一王女スンザーナ殿下だ」


 紹介された王女殿下は、にこりと笑った。


「そなた達を大闘技場で見かけました。少し、興味を持ったものだから、話しを聞きたくて」

「殿下、この部屋はそのままお貸しします。どうぞゆっくりと過ごされませ」

「ありがとう、枢機卿」


 ヨファザス枢機卿は、配下の者達とその場を後にした。


「さて、では、少し待ってちょうだいね」


 スンザーナ殿下はそう笑うと、テーブルの上に何やら四角いものを置く。その上部に軽く触れると、部屋中に結界が張られた。


「これは……」

「我が国が危険を冒してまで手に入れた道具です。これでこの部屋の中の音声は聞こえなくなるわ」


 盗聴防止の魔法道具のようだ。それにしても、こんなものをシーリザニアという国は、一体どこで手に入れたというのか。


「まずは、私の立ち位置をはっきりさせておきましょうか」


 そう言うと、スンザーナ殿下は居住まいを正した。


「改めて、シーリザニア第一王女スンザーナです。そして、シーリザニアにおける反教皇派の頭領も努めています」

「え!?」


 驚きに、二の句が継げない。思わずノリヤを見たが、彼女も驚いている。どうやら、ノリヤも知らなかったようだ。


「失礼ですが殿下、そのような事を、私達に話してしまって、よろしいのですか?」


 何とかショックから立ち直り、ティザーベルが訊ねた。いくらこの部屋の会話が盗聴不可になっていたところで、どこから何がバレるとも限らない。


「危険は承知の上です。マレジア様にも、言われました」


 見知った名前に、再び驚愕する。あの老婆は、一体どこまで手を伸ばしているのやら。


「もしかして、これも彼女から?」

「ええ。異端管理局に狙われている彼女と交流しているなどと知られたら、私の命も危ういわね」


 そう言って笑うスンザーナ殿下を、ティザーベルは呆れた様子で見ていた。


「その……殿下がこちら側の方だとはわかりましたが、何故この場に私達をお呼びになったのでしょう?」


 気も絶え絶えという様子のノリヤは、それでもしっかりと訊ねる。それに対し、スンザーナ殿下は真剣な表情になった。


「無論、あなた方を支援する為ですよ」

「ですが……それは……

「私の立場上、陰で支えるよりも表だって動く方が自然です。だからこそ、敵である枢機卿に頼み込んで、あなた方と出会う機会を作ったのですよ」


 なんとも大胆な王女様だ。


「こうして知己を得ておけば、どこかで私とあなた方が共に動いても、敵に目を付けられる事はありません。私の我が儘で、あなた方を側に呼んだのだと言えばいいのですから」

「ですが、それでは殿下の評判が悪くなるのでは?」

「構いません。その程度で落ちる評判など、たいしたものではなくってよ」


 コロコロと笑う王女殿下に、これ以上言う言葉などない。彼女は既に覚悟を決めている。おそらく、国そのものも。


「我がシーリザニアには、獣人とエルフの里があります。管理局からは、再三にわたって彼等を引き渡せと言われているのです。ですが、彼等の里は隠されたもの。誰も見つける事など出来ませんよ。ですが……」


 スンザーナ殿下は、言葉を切って沈鬱な表情をする。


「管理局が、どのような道具を持っているかわかりません。もしかしたら、無理矢理彼等の里を暴いてしまうかもしれない。それだけは、避けたいのです」


 ヴァリカーン聖国の隣という事は、地下都市の影響圏は二番都市になる。この都市は教皇スミスに支配されているので、隠れ里の結界も弱まったままだろう。強引な方法で場所が特定されないとも限らない。


 わからないのは、何故彼女がそこまで心を砕くかだ。


「そこまでして、獣人とエルフをかばう理由は、何ですか?」


 ティザーベルの質問に、スンザーナ殿下はきっとこちらを睨んだ。


「どのような者達であれ、法を犯している訳ではない、我が国の民です! 私が、王家が守るのは当然の事ではないの!」

「し、失礼しました」


 自然と頭が下がってしまった。頭上からは、軽い溜息が聞こえる。


「よくってよ。私も、感情を高ぶらせすぎました。反省します」

「いえ……」

「彼等も共に我が国の一部。差別するつもりも区別するつもりもありません。もっとも、彼等がどう思っているかは知りませんけど」


 ここにフローネルがいたら、喜んだかもしれない。彼女も、人に触れてヤランクス以外の人間がいるのだという事を知ったエルフだ。


 壁はまだ高くて分厚いけれど、相互理解出来る日は来るかもしれない。その為にも、クリール教の改革は待ったなしだ。


 そして改革の為には、一番のガンである教皇を倒さなくてはならず、その前に立ちはだかるのがあの厄介な異端管理局である。


 先は長い。だが、そんなに長く関わっている時間が、自分達にはあるのだろうか。


 ――一度帝国に帰りたい気持ちはあるんだけど、ここで帰っちゃうとこっちに戻るのが億劫になりそうなんだよねー。でも、ここで教会を叩いておかないと、そのうち海を越えて帝国まで来そうだし。


 その昔、地球のキリスト教も海を越えて布教を行った。植民地支配のもくろむ軍艦がついている場合が多かったのだから、こちらの教会もそうならないとは限らない。


「ところで、今日は管理局の聖魔法具の下見だったのかしら?」

「え? ええ、まあ」


 考えに耽っていたら、いきなりスンザーナ殿下から質問をされた。


「それ、マレジアから聞いたんですか?」

「いいえ? あの方と直接会ったのは、もう数年前ですよ? あなた方の事は手紙で知らされましたが、今日来る事はフォーバル司祭に教えてもらいました。名前と、大演武会を見に来るとだけ」


 では、管理局の下見は自分で考え至ったという事か。胆力があり、頭も切れるとは。


 そういえば、この王女殿下は貴賓席で気分を悪くしていなかったか。それを訊ねると、あれは演技だという。


「だって、ああいった場で私のような者が食い入るように演武を見る訳にもいかないでしょう?」


 しれっと答えるスンザーナ殿下に、ノリヤもティザーベルも言葉がなかった。

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