大陸謀略編
百九十七 教皇庁にて
石造りの巨大な建造物、その中にある長い廊下を一人の少女が歩いていた。
真っ赤な髪はくるくると収まりが悪く、歩く度にふわふわと揺れている。
普段なら、そんな己の髪質が嫌で機嫌が悪くなりがちだが、今日の彼女は大変気分が良かった。
誰にもなしえないと言われていた仕事を、彼女一人で成し遂げたのだ。今日は、その報告に来ている。
きっと、今回の仕事の成功を褒めてもらえる。その期待で彼女の胸ははち切れそうだった。
異端管理局所属の審問官である彼女は、常に「神敵」と戦い続けている。具体的には、クリール教を信仰しようとしない者達の事だ。
それが個人でも、街でも、国でも同じ事。クリール教を信仰しない者達は、人に非ず。異端審問官の間で言われている言葉だ。
正確には、経典にその言葉は存在しない。だが、神を信じない者達に、神の経典は通用しないのだ。
そして、神の教えが地に満ちるよう、彼女達は日々戦い続けている。
というのは建前で、彼女にとってはどうでもいい事だった。ただ、異端者を一人でも多く狩れば、「彼」が喜んでくれるから。そして褒めてくれるから。
だから、彼女は戦い続ける。どんな強敵が来ようとも、決して負ける事などない。何故なら、彼女には彼がついているから。
神の地上における代理人。教皇スミス聖下。彼女に名を与えたのは聖下だ。そして聖下の名を正確に発音出来るのは、彼女だけ。
きっと、今回の成果も彼は喜んでくれるだろう。そして、自分を褒めてくれたら嬉しい。
それだけを楽しみに、どれだけ遠い地であろうとも、神の教えを与えに向かうのだ。
そんな彼女の背後から、ねっとりとした声がかかる。
「おお、これはカタリナ審問官。今日はまた、何故この教皇庁に?」
先程までの上機嫌はどこへやら、カタリナと呼ばれた少女は一瞬で顔から表情を消して振り向いた。
「サフー主教こそ、何故ここに? あなたの教区は、ここからは遠いはず」
「ヨファザス枢機卿猊下にご報告がございましてな」
「そう」
話を断ち切ると、カタリナはまた歩みを進めた。サフーごときハゲに使う時間はもったいない。
清貧を尊ぶ教会にあって、でっぷりと肥え太り常にきらびやかに着飾る彼を、カタリナは好かなかった。
一度どうにも逃げられない状況で食事を共にした事があるが、どこの王侯貴族の食卓かと疑いたくなるものだったのを憶えている。
肉に野菜、パン。それだけでなく手の込んだ料理を幾種類もテーブルに並べ、甘味まで出す始末。あれだけ食べていれば、あの体型になるのは頷ける。
それに、彼の視線は気持ちが悪い。まるでこちらを物を品定めするかのように見てくるのだ。たまに見られると、力の限りあの膨らんだ顔を殴り倒したくなって仕方がない。
だから、なるべく彼の顔を見ようとはせず、かつ彼の視線からはずれようと思ったのだが。
サフー主教は後ろからついてきた。
「そういえば、聞きましたよ。西方の難関タミーヌヴェリアを落とされたとか。おめでとうございます」
「ありがとう」
素っ気ない返しにもめげず、サフー主教は続ける。
「いや、難攻不落と豪語していたかの国を落とすとは。さすがはカタリナ審問官ですな」
「そう」
「いかがでしょう? カタリナ審問官の戦勝を祝して宴を設けたいと思っております。ぜひご出席を――」
「サフー主教」
カタリナは足を止めてサフー主教を振り返る。その瞳には侮蔑の色があった。
「聖職者である主教がそのような事を言うのはいかがか? 神に仕える身は清貧であるべし、と聖下も常日頃仰っているのに。よもや、教皇聖下に対し含むところがあるのではあるまいな?」
「め、滅相もない。私はただ――」
「では、先程の言葉は聞かなかった事にする。主教もそう心得よ」
「は、はは」
そう言い捨てると、カタリナは再び歩き出す。残されたサフー主教がどんな顔をしているのか、確認する事もなく。
それにしてもついていない。折角いい気分だったところを、嫌な男に汚された気分だ。
不機嫌なまま歩く彼女に、声をかける者はもう誰もいなかった。
◆◆◆◆
「くそ! あの小娘が!!」
サフー主教は自分にあてがわれた部屋に入って早々に、悪態を吐いた。娘どころか孫同然の年齢の娘に適当にあしらわれたのが、彼の気に障るのだ。
異端審問官に、階級はない。だが、教皇直属の部署の為、余所からの介入を受け付けなかった。
教会内の階級的にはサフーが上だが、立場は向こうの方が上という、非情に面倒臭い状況になっている。それもまた、サフーにとっては腹立たしい。
自分が浮かれていたのは認める。ここしばらく新しい品が入荷せず、古いもので我慢していたら、やっと入荷した報せを受けて飛んできたのだ。
異端管理局は教会内部で何かと恐れられているけれど、サフーにとっては利用価値の高い部署だ。
何せ、彼等が「品物」を持ち込んでくれるのだから。それを考えると、小娘とはいえカタリナを粗略に扱う事は出来ない。
何せ彼女は、異端管理局最強の審問官なのだ。
「そういえば、タミーヌヴェリアでいい品を仕入れられたと、猊下が仰っていたな」
ヨファザス枢機卿とは、同じ派閥というだけでなく、近い趣味を持った同好の士という側面がある。
もっとも、あちらは大分若い女がお好きのようだが。それらを調達出来るのも、異端管理局ならではか。
今回のタミーヌヴェリアは久々の大きな狩り場だ。さぞいい出物が揃っているだろう。少しこちらにも回してもらえないだろうか。
どうせ異端信仰者。聖職者である自分の手によって命を落とせば、その分神に近づけるというものだ。
「そうと決まれば、早速手を打たねば。またしても猊下のお手を煩わせてしまう。何か、いい贈り物があればいいのだが」
ふと、自分の教区にある孤児院を思い出した。資金が足りず、いつもカツカツの施設がいくつかある。
あそこからなら、「出荷」しても問題にはなるまい。何、施設の方には篤志家が引き取りたいと言い出したとでも言っておけばいい。
そうと決まれば、入手したばかりの品と共に急ぎ教区へ帰らねば。
確か、丁度いい年齢で見目のいい子がいたはずだ。他にもいくつか見繕って、猊下に贈ればいい。後腐れのない相手だと伝えれば、気に入ってもらえるだろう。
そうすれば、覚えもめでたくなるというものだ。
「ふっふっふ、楽しみな事だ」
残念なのは、教区の主教館に戻るまで、楽しみが一切お預けな事だ。折角いい品が入手出来たというのに。
若い男のエルフ。そうそう出るものではない。もっとも、今まで入荷した男のエルフは、殆どがサフー主教が入手しているのだけれど。
エルフはいい。顔立ちが人よりも美しいというだけでなく、若さが長持ちするのだ。
しかも、人間よりも頑丈ときている。長く楽しめる上、自尊心が強いせいかなかなか屈服しないところもいい。
なに、少々壊れても楽しみ方はあるものだ。現に、主教館にはいくつか手足がない品も転がっている。
飽きれば配下に下げ渡せばいい。その後どうなろうと、知った事でない。
何せエルフは神自らが「人に値せず」と仰った生き物だ。つまり、そこらの動物と同じ。
そういえば、仲間の中には獣人を好む者もいた。どうにもあれだけは理解しがたい。あの獣そのもののような連中の、どこがいいのか。
まあ、中には人に近い外見のものもいる。あれならばわからないでもないが、やはり美しさではエルフに勝るものはなかった。
教皇庁でやるべき事は全て終わった。早々に教区へ戻ろう。主教館に戻れば、いくらでも楽しめるのだから。
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