百四十二 森の道

 馬車の旅は順調だ。先行する二台の馬車を追いかける形で、大型馬車の御者台に座る。


「いい景色……」


 御者台の音は、客室までは響かない。なので、普段の声で呟いた。馬車の屋根に近い場所にある御者台から見える景色は、なんとものどかなものだ。


 遠くに山、木々が生い茂る中を走る道。時折、綺麗な鳥の鳴き声が聞こえてくる。


 パスティカからの情報では、年間降雨量が多く、気温も通年高めだという。地球でいうところの、東南アジアに近い気候のようだ。


 ――日本は温暖湿潤気候だっけ……年々亜熱帯化していってたけど。


 前世の記憶は所々欠けているけれど、四季の美しさと、何より夏のしつこい暑さは覚えている。夏の日中、近所に買い物に出かけただけで熱中症になりかけたのも、今では遠い思い出だ。


 帝国とはまるで違う植生を見つつ、帝都や大森林の事を思う。あそこから飛ばされてから、まだ二、三日しか経っていない。


「信じられないよねー」

「でも、事実よ?」


 パスティカの言葉に、溜息を吐いた。


「わかっちゃいるんだけど、実感がわかなくてさ」

「いきなり飛ばされたし、その先で盗賊にもあったもの。色々起こりすぎて、時間の感覚がおかしくなっているんじゃない?」


 彼女の言葉通りなのだろう。救いなのは、一緒に飛ばされたヤード達が無事だという事だけだ。




 馬車は順調に進み、昼時になったので休憩を入れる。もちろん、この時も家が大活躍だ。


「本当に、移動の概念が覆されそうだ……」


 そう呟くカルテアンは、温かい飲み物が入ったカップを持って遠い目をしている。


『使えるものは全て使って、快適に過ごせればそれでいいと思うのだが?』

「それには同意する……同意するんだが……」


 ならば、何も問題あるまい。ヤード達にも似たような反応をされたが、彼等もすぐに慣れたものだ。


 休憩を終えて馬車に乗り込もうとすると、今度は意識を取り戻したヤランクス共がやかましい。どうやら、飲まず食わずの現状が許せないようだ。


『もう一度おとなしくさせるかね?』

「……出来るのか?」

『簡単な事だ』


 ティザーベルはまだ御者席に誰も乗っていないのを確認してから、檻型馬車めがけて電撃を放つ。中に乗っていた連中は、短い悲鳴を上げた後、全員が意識を失っていた。


『さて、先を急ごうか』

「……そうだな」


 カルテアンは、何かを諦めたような目で答える。パスティカ情報によれば、今のスピードならあと六時間程度で到着する計算だという。


 ノンストップという訳にもいかないだろうから、三時のおやつの時間には強制的に休憩を入れよう。ティザーベルは、再び大型馬車の御者席に座った。




 夕闇に染まった空は、グラデーションが美しい。あともう少しで、赤が全てなくなり、星空が瞬く。


 地上には、鬱蒼とした森。この奥に、エルフの里があるという。


「少し、待っていてくれ」


 先行していたカルテアンがそう言うと、森に向かって手をかざす。すると、先程まで先が見通せない程生い茂っていた木々が分かれ、一本の道が出来た。


「行こう」


 カルテアンは、再び馬車を走らせた。森の中に出来た道は、ティザーベルの乗る大型馬車も楽に通れる幅がある。


「エルフしか開けない森とか?」

「少し違うわね。使ったのはただの術式のようだから、一族に代々伝わる秘術みたいな扱いじゃないかしら」


 だとするなら、使える人間は限られてくるのだろうか。


 森の中は、少し大森林に似ている。違いは、魔物が出るか出ないかくらいか。


 今なら、この土地の魔力もわかる。森の外とは全くの別ものだ。おそらく、大森林の魔力も、同じように外と奥で違うだけなのだろう。


 体内魔力と土地の魔力の擦り合わせ方法もわかっているので、いまのうちにこっそりやっておく。


 ――幻影はパスティカ任せだけど、この先何で魔法使う事になるか、わからないもんね。


 エルフ同様、土地の魔力だけを使って術式を発動させる事も出来るけれど、体内の魔力を効率的に使った方が、慣れている分発動が早くて楽だ。


 森の中に出来た道を、馬車が三台連なって進む。前二台を操るのは、カルテアンとアルスハイだ。


「馬車、大型にする必要、なかったね……」


 思わず出た呟きは、ティザーベルの本心だった。大型馬車を作った時は、全員で乗るものと思っていたが、カルテアン達はエルフ狩りを生業とするヤランクスを詰め込んだ檻の馬車を操るので、こちらには乗っていない。


 ティザーベルも、ユキアが怯えるので客室ではなく、後部に設えた御者席にいる。


 この馬車は、最初に作ったものとは違い、増えた素材によって客室の居住性が上がっている。座席は革張り、クッションも効いて座り心地が良くなっていた。


 足回りも強度を上げながらも揺れ対策を強化し、少々の悪路程度なら客室まで揺れを伝える事なく進む事が出来る。正直、無駄に高性能だ。


 森の道は、ようやく終わるらしい。高い位置にある御者台からは、先が見通せるのだが、道の先に開けた場所が見える。その更に奥には、幻想的な風景が広がっていた。


 天をつく巨木の森、その巨木に沿うように作られた木造の家々、高い場所には木造の遊歩道らしきものも見える。地面に下りずとも木々の間を行き来出来るようだ。


 そんな風景の中に、ちらほらとエルフの姿が見える。彼等の来ている服はクピ村で見たものとは異なり、露出が控えめだ。あの村に比べると、森の中にあるこの里の気温は低めなので、当然かもしれない。


 三大の馬車が広場に到着すると、周囲からわらわらとエルフ達が出てきた。遠巻きにしている彼等の背後から、三人の年かさの人物達が歩み出る。


「カルテアン、首尾はどうであった?」

「いや、それより先に、これはどうした事か?」

「その檻の中にいるのは、ヤランクスか? あちらの黒づくめのユルダは、一体何者なのだ?」


 三人の質問に、先頭の馬車の御者台にいたカルテアンが返答する。


「攫われた二人は無事、保護しました。一番後ろの馬車に乗っています。ヤランクス達は、人質にしようと思って連れてきました。あちらの御仁は、今回我々を助け、また二人を奪還しこのヤランクス達を捕獲するのに大変世話になったベル殿です」


 彼が答えている間にも、大型馬車からフローネルとハリザニール、それにユキアが続けて下りていた。


 彼女が姿を見せた途端、周囲に集まったエルフ達から声が上がった。


「おお、無事だったんだな!」

「良かった、本当に良かった……」

「まったく、あの娘にも困ったもんだ」

「フローネルが甘やかし過ぎたんだよ」

「あの二人の子だからじゃないか?」

「だからって、何もユキアまで外に連れ出す事はないだろうに」

「里の掟を破ったんだ。今度こそフローネルもかばい立ては出来まいて」

「血は争えないか……」


 何やら、不穏な言葉まで聞こえてくるのだが。だが、彼等の言葉から、大体の事情は察する事が出来た。


 両親は里から無許可で出て行った。残されたのが、フローネルとハリザニールの姉妹。フローネルは妹のハリザニールを甘やかして育てたらしい。


 そして、今回ハリザニールとユキアがヤランクスに捕まった最大の原因が、ハリザニールがユキアを里の外に連れ出したから。


 ――そういえば、カルテアンがそんな事を言っていたっけ……


 フローネルが半狂乱でハリザニールに確認していたのも、覚えている。エルフにとって、掟を破った罰は重いのだろう。


 考えながら大型馬車の近くで、遠巻きにこちらを見てくるエルフ達を眺めていると、彼等を押しのけて背後から突進してくる人物がいた。


「ユキア!!」

「か、母様!!」


 ユキアの母親らしい。とても彼女のような大きな娘がいるような年齢には見えないが、長命だとするなら当然か。


 ユキアは母親にすがりつくように抱きつくと、泣き出した。今まで色々張り詰めていたものが、緩んだのだろう。二人は抱き合ったまま互いに泣いている。


 その分、フローネル姉妹に対する視線が刺々しくなった気がするが、気のせいでないのだろう。その余波は、ティザーベルにも向けられた。


 閉じた世界では、余所者は歓迎されるか徹底して排除されるかのどちらかだ。ここでは、排除が選ばれるらしい。


 三人に説明していたカルテアンも、周囲の様子に気づいたようだ。


「皆! ベル殿は先程も言った通り、我々に力を貸してくれた御仁だ! このヤランクス達を捕まえたのも、彼なんだぞ!」


 大声を張り上げるが、あまり効果はないように見える。


「どうだか……」

「ただの仲間割れでは?」

「ユルダなど、信用出来るか」


 どうやら、エルフの人間嫌いは筋金入りらしい。せっかく招いてもらったが、ここで騒動を起こすのも問題だ。


『パスティカ、エルフの里を飛び越えて、奥に行く方法はある?』

『ちょっと難しいわね……エルフの里に仕掛けられた術式がかなり広範囲に及んでいて、都市の入り口まで影響があるみたい』


 という事は、何が何でもエルフ側の了解を得て、奥へ進む以外に手はないのか。


 別の都市を先に再起動して、そこから都市間移動をするという手もあるが、別の都市はまだ見つからないという。


 打つ手なし。そんな言葉が頭に浮かんだ時、人垣が割れていった。


「いつまでもこんなところで、何をしている?」

「族長!」


 カルテアンの言葉に驚きながら、やってきた人物を目にする。長い金髪は足下まで伸び、さらりと音が出そうな程美しい。


 周囲のエルフよりも布を多く使った衣装には、ここからでもわかる程細かく大胆な刺繍が施されている。


 エルフの族長にして、前世日本人と思われる人物が、ティザーベルの目の前までやってきた。

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