十一 裏取引
ヨストの町長は連日の実のない話し合いに、心身共にくたびれていた。いくら街の有力者達と話し合ったところで、領主たるガーフドン男爵がやる気にならなければ、海賊掃討など出来るものではない。
無意識のうちに溜息がこぼれ出た。ガーフドン男爵の考えを、町長は正確に把握している。彼はもっと上の地位に昇りたいのだ。いくら富んでいるとはいえ、一地方領主の座に甘んじたくはないのだろう。
ガーフドン男爵が金に執着するのも、その金を中央でばらまいて出世の足がかりにする為だ。そんな事で出世できるとは、中央政府というのも随分と腐っているのだと思ったものだが。
かといって、ガーフドン男爵の野望を打ち砕く術など町長達にはない。何かいい案はないものかと悩んでいると、使用人が来客を告げた。
「誰だ? こんな時間に」
「網元のディント様です」
「何? ……通せ」
網元のディントとは、秘密を共有する仲だ。彼も街の事態を憂いている一人で、町長と共に網子の中でも特に口の硬い者を選び、密かに帝都へ向けて送り出している。帝都の中央政府に、直接海賊討伐の嘆願をする為だ。
彼等が街を出立してはや十日あまり。計算通りなら、あと数日で帝都へ入る予定だ。
町長の部屋へ顔を出したディントは、いつになく青い顔をしている。
「どうした? そんな顔をして」
「町長、まずい事になった」
「何?」
「これを」
そう言ってディントが差し出してきたのは、海賊からの手紙だ。文字は汚く殴り書きのようなものだったが、その内容を読んで驚愕した。
ソガ達漁師五人を捕縛した事、彼等をギルドの地下牢に収監している事、彼等の身代金として一人二百万メローを用意する事。
「これは!」
「これが本当なら、ソガ達は帝都へたどり着けず海賊に……」
「まさか……あの抜け道までバレていると?」
ヨストの周辺には海に面して多くの洞窟があり、その中にはいくつか海岸線の下を通って海に出られるものがある。
ソガ達はその洞窟を使って、ヨストから離れた海に出たはずなのだ。なのに、何故海賊達に見つかったのか。
「……やはり、内通者がいるのか」
重苦しい町長の一言に、ディントからの反論はない。彼も同じ思いのようだ。
「ソガ達の行動は、我々二人しか知りません。ソガにも、誰にも話さぬようきつく言い聞かせてあります」
「そこは疑っていない。むしろ……」
内通者は、町議会の中にいると考えている。だからこそ、帝都への直接嘆願の話は他の誰にもしていない。町議会の議員にもだ。
議員の中には、表に出してはいないがガーフドン男爵に取り入っているものがいる。彼に追従しておこぼれをもらおうという腹だ。
そうした連中から、海賊は抜け道の情報を得たのだろう。おそらく、全ての抜け道が奴らに監視されているはずだ。
町長はがっくりとテーブルに手をつく。
「本当に、手はなくなった……」
「町長……実は、もう一つ伝えたい事が」
「何だ?」
ディントの言葉に、町長はなおざりな態度で返事をした。いくらディントからの話とはいえ、今のヨストでは明るい話題など望めない。
うんざりした様子の町長に構わず、ディントは続けた。
「実は、本日陸路を使って行商人が街に入ったそうです」
「陸路を? 行商人……ミドか。それがどうかしたのか?」
ミドの事は町長も知っている。年に数回、陸路を越えてやってくる変わった行商人だ。
ヨストに入る商人はほぼ全て海路を使う。こちらの方が安全だし早いからだ。だが、ミドは頑なに陸路を選択している。護衛の冒険者達に支払う依頼料も馬鹿に出来ないだろうに。
だが、彼が持ち込む品はいつも完売する盛況ぶりだ。他の商人が扱わないような珍しい品を少数、種類を多く用意しているからか。実際、彼が来るのを心待ちにしている常連もいると聞いている。
そのミドが街に来たからといって、何があるというのか。疑問が顔に出たのか、ディントは町長の考えを読んだらしい。
「町長、考えてもみてください。ミドは魔物や盗賊がはびこる陸路をヨストまで来たんですよ。彼は腕のいい冒険者と契約しているようです」
「冒険者……だが、ミドと契約するくらいだから、人数は少ないのだろう?」
「三人だと聞いていますが、今回はそれで十分かと」
「どういう事だ?」
訝しんで問う町長に、ディントは何かを決した表情を見せる。
「その冒険者達に、依頼するのです。帝都の中央政府への嘆願を」
思ってもいなかった内容に、町長の目が見開かれた。確かに、ここまで陸路を使って来たのなら、再び陸路を通って他の街に行ける。ヨストは地理的な問題で帝都からの水路が引かれていないが、余所の大きな街なら直通の水路があるのだ。冒険者達に、水路を使って帝都へ向かうよう指示出来れば、その分早くヨストの窮状を帝都に報せる事が出来る。
「町長がしたためた嘆願書を、冒険者に託すのです。彼等なら、帝都まで運んでくれるでしょう」
ディントの提案に希望を見いだした町長だが、すぐに思い直した。冒険者に依頼するには、ギルドを通す必要がある。
「だが、ギルドは今――」
「何もギルドを通さずとも、直接依頼する手があります。その分割高になるかもしれませんが、今は金額を気にしている場合ではありません」
冒険者へ依頼するのにギルドを通すのは、冒険者を護る為でもあるし、依頼主を冒険者の横暴から護る為でもあるのだ。後者を捨てる覚悟があるのなら、何もギルドを通す必要はない。特に、今のギルドヨスト支部は海賊のたまり場になっていて、まともに機能していないのだから。
「そうだな……では――」
「その必要はありませんよ」
「だ、誰だ!?」
ディントの提案に乗りかけたその時、部屋に響いた声に町長は誰何の声を上げた。誰もこの部屋に近寄らないよう伝えてあるのに、一体誰が。
部屋の奥、明かりの届かない暗がりから、まるで今までそこにいたかのように自然にその人物は現れた。
年は三十になるかならずといったところか。明るい色の髪をきちんと整えた、身なりのいい人物だ。服装から、簡易とはいえ武装している所を見ると、軍関連の人物か。
だが、どこの軍かはわからない。ガーフドン男爵も、私兵団をもっているのだ。
町長は再び問うた。
「お前は何者だ? 何故ここにいる」
「申し遅れました。私はさる御方に仕える者。その主より、この街の町長殿に親書をお持ちしました」
そう言って、男は懐から一通の手紙を取り出す。まずはディントがひったくるように受け取り、封蝋の紋を確認する。一目見ただけで、彼の顔が驚愕に染まった。
「どうした?」
「ちょ、町長、こ、こここれを……」
震える声と手で渡してきた手紙を確かめて、町長の目も驚きに見開かれる。そこに記されていた紋章は、ここらではまずお目にかからないものだったからだ。だが、ヨストの町長でも知っている、ある意味有名な紋章でもある。
帝都でも武門の誉れ高い、ヤサグラン侯爵家の紋章だ。紋章入りの封蝋がしているという事は、当主の親書だという事である。
「これは……」
「我が主のものです。どうぞ、中身をお確かめください」
微笑みを浮かべながら促す男に、町長は操り人形のようなぎこちなさで封を開けた。中身に目を通した町長は、再び目を見開く。
「な! なんと!」
驚く町長の脇から、ディントも文面を盗み見ていた。彼もまた、見る見るうちに驚きから口を閉じる事すら忘れたようだ。
ひとしきり衝撃を受けた二人は、呆然としたまま侵入者を見る。
「その内容は、確かな事です。紋章にかけて、我が主が保証します」
「と、いう事は……もう全て中央に……」
「ええ。これまで時間がかかったのは、中央政府の責任です。それについては、後日謝罪代わりの補償があるでしょう」
町長はディントと顔を見合わせた。お互いに、強くうなずき合う。
「この申し出に従います」
「ありがとうございます。では、指定の場所の使用許可をこちらに」
男は懐から書状を取り出した。既に用意してある辺り、こちらが断る事など最初から想定していないに違いない。
もっとも、この街を救ってもらえるなら、相手が例え悪魔であっても契約しただろうけれど。
差し出された書状を確かめ、使用許可のサインを入れる。それを再び確かめた男は懐に戻し、一礼するとまた部屋の暗がりへと戻っていった。
ディントが男の後を追って暗がりに踏み込んだが、誰もいないという。どうやって出入りしたのかは知らないが、あの紋章を考えれば納得出来た。力のある家には、お抱えの魔法士がいるという。つまり、先程の人物も魔法を使って海賊達の目をかいくぐり、街中のこの家に入り込んだという訳だ。
「帝都というところは、恐ろしい場所なのだな」
ふと、町長の口からそんな感想が漏れ出た。あのような男を配下に持つ人物がいるのだ、恐ろしい以外の感想など持ちようがない。それに海賊達が封鎖している街の状況も、全て知れていたとは。
つくづく、自分がこの狭い街の生まれで良かったと、町長は心の底から思った。
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