九 ビフォーアフター

 牢屋があるのは、ヨストのギルド支部の地下である。その地下は、本来の姿からかなり様変わりしていた。


「……夢でも見てる思いだぜ」


 そう呟くのは、ティザーベル達より先に牢屋に入れられていたヨストの漁師であるソガだ。彼は網元のディントの網子で、ミドのお得意様でもあるという。


 ソガの目の前には、先程まで鉄格子で区切られていた房が並ぶ牢屋とは到底思えない景色が広がっている。


 鉄格子は全て形を変え、薄汚れていた石壁や石床は綺麗に掃除された後に木材が張られ、天井からはいくつもの明かりが垂れ下がっていた。もはや、誰が見てもここが地下牢とは思わないだろう。


 これらの改変を、あっという間に終わらせた人物はこの状況にまだ不満があるようだ。


「うーん……手持ちの素材だとこれが限界かなあ……壁とかは下手にいじると建物崩壊の危険があるし……」

「もういいんじゃないのか? あまり手を入れても、長居する場所じゃないだろう?」

「それもそうか」


 ヤードの言葉に、まだ手を入れようとしていたティザーベルは思いとどまった。ここにいるのは後数日がいいところだろう。なるべく快適環境で過ごしたいが、やり過ぎると撤収の際に面倒だ。


「んじゃ、とりあえずお風呂作ったんで、そっちのおっちゃん達は全員入るように」

「はあ!? 風呂お!?」

「どれくらいここに入れられていたのか知らないけど、臭いよ」


 ティザーベルの言葉に、ソガ達は全員呆気にとられた後、お互いに顔を見合わせていた。


 ソガ達を風呂場に送ると、ティザーベルはヤード達を見やる。


「私も入ってくる。あんた達用のも、そっちに作ったから。……わかってると思うけど、覗いたら吊すからね?」

「わかった」


 了承の声を上げたのはヤードだけだが、レモもミドも頷いて了承した。そんな彼等に満足げな顔をしたティザーベルは、ヤードに向かって言い放った。


「あとヤード! 風呂上がりにすっぽんぽんでそこらを歩かないでよ!」

「わかったと言ってるだろう!」

「どうだか。この危険ブツめ」


 以前、まだパーティーを組む前に一緒の仕事をした事があったが、手違いで一つの部屋で寝起きする事があったのだ。その時に、ヤードがやらかした事を、ティザーベルは今でも根に持っている。


 苦い顔をしているヤードを見て少しだけ溜飲をさげた彼女は、上機嫌で自分専用の風呂場へと向かった。ちなみに、男湯からは真逆の位置に作ってある。


 今日は天気が良かったせいか、峠道や街中を歩いた時に汗をかいていた。それらを洗い流したかったし、服も洗濯したかったのだ。


 ゆっくり入浴した後、残り湯で服を洗った後は魔法で水分を綺麗に飛ばす。本当は魔法で汚れを落とす事も出来るのだが、何となく洗った方が気分がいいからそうしているのだ。後で向こうの連中の服も全部魔法で綺麗にしなくては。


「せっかく体を綺麗にしても、汚れた服のままじゃまた臭くなるからね」


 地下の換気はあまり期待出来ないので、臭いがこもるのは勘弁願いたい。




「さて、ではさっぱりしたところで話を聞かせてもらおうかな」


 湯上がりでまだほかほかした状態のソガ達を前に、こちらも汗を流してさっっぱりしたティザーベルが言う。彼等の服は、先程彼女が魔法で全て綺麗にした。そろそろ彼等も、ティザーベルのやる事には慣れてきたらしく驚いた様子は見られない。


 オダイカンサマ一行とソガ達漁師はローテーブルを挟んでソファに座っている。これもティザーベルの移動倉庫から出したものだ。ソガ達漁師の顔色は微妙である。


「それはいいんだけどよ、どうして娘っ子の鞄にゃこんなもんまで入ってんだ?」


 ソガが指さすのは、元牢屋の部屋中に置いてある調度類だ。ソファセットの他にタンスやサイドテーブル、他の区画には人数分のベッドと寝具まで用意されていた。


 ソガの質問に、首を傾げながら答えたのはティザーベルだ。


「どうしてって……冒険者なんてやってると、野営する場合もあるから、その時用かな?」

「……今時の冒険者の野営ってなあ、こんな家具まで使うんか?」

「人によるんじゃない?」


 あっけらかんと答える彼女に、ソガはがっくりと頭を垂れた。彼の仲間は、気の毒そうな表情で彼を労っている。


 そんなソガに共感しているのは、ヤードとレモだ。


「あれが普通の反応だよな、やっぱり」

「俺等は慣れちまったって訳だ……」


 残念そうに語る彼等を、ティザーベルがぎろりと睨んだ。いざ野営となったら彼女が用意するものに世話になるくせに、現状が残念だと言わんばかりの言いぐさは何事か。


「文句あるなら、次の野営から一切何も用意しないよ?」

「いや、それは困る」

「悪かったって」


 まるで悪びれた様子のない二人に、呆れた溜息を吐いた。まあいい、今はソガ達の話を聞くことが先だ。


「それは置いておいて、話を戻しましょうか」


 ティザーベルが向き直ると、ソガも真剣な表情をしている。彼の口から語られた内容は、驚きのものだった。


「ああ、俺等がここに入れられてる理由か。殺されない理由は簡単だ。俺等を奴隷として売り飛ばすつもりだからだよ」

「奴隷? 帝国内では違法なのに」


 帝国も数十年前までは奴隷を持つ事は合法だったが、悪辣な奴隷商が横行した為数代前の皇帝の御代で禁止令が出されたのだ。それ以来奴隷の売買は違法で、破れば重罪になる。


 だが、ソガは首を横に振った。


「売る先は国内じゃねえ」

「東か」


 そう結論づけたのは、ヤードだ。ソガは彼の言葉に頷いた。


「東の国では奴隷が合法な国がまだあるんだと。そこに俺等を売る訳だ。だからあいつらは俺等をこうして生かしているんだよ。大事な商品だからな」


 最後の一言は、吐き捨てるように言っている。余程腹に据えかねているらしい。当然か。不当に自由を奪い、他国に奴隷として売り飛ばされるのがわかっていたら、誰だっていい気分にはなれない。


「これまであいつらが海上で捕まえた連中も、東に売ったらしい」

「海上で捕まえたって……襲った船の乗組員?」


 ティザーベルの言葉に、ソガは頷いた。


「だけじゃねえ。冒険者の一部もだ。支部長だって、売られたそうだぜ」

「え? 支部長、生きてるの?」

「誰も死んだなんて言ってねえぞ?」


 いや、あの言い方だとてっきり残念な結果になったとしか思えなかったのだが。そうは思っても、ここで口にする事ではない。とりあえず、命があるだけでも良しとしよう。


 それにしても、驚きの情報だ。ティザーベルはヤード達の方を見る。これは自分達だけで聞いて判断すべき内容ではない。彼女はこっそり魔力の糸を通信モードにしてある人物に飛ばした。


「その、奴隷として売られたって話、どこで仕入れたの?」

「あのハゲが酔っ払った時にべらべら喋ったぜ。俺等をびびらせたかったのか、『お前達にも同じ運命を辿らせてやる』とか言っていたよ」


 そう言うと、ソガはけっとそっぽを向いて毒づく。彼はハゲの目論み通り、怯えたのだろう。そんな過去の自分が許せないのだ。


 誰しも自由を奪われて、お前の未来は暗いんだと言われれば凹みもする。ソガ達を笑っていいのは、同じ境遇になっても心が折れない者だけだ。


 それにしても、酔っていたとはいえそんな情報を簡単に喋るハゲは、あまり使えない人材のようだ。もしかして、船ではなく陸に置かれているのは、その辺りに原因があるのだろうか。


 だが、ここまで来ても肝心な内容が聞けていない。


「で? おっちゃん達が捕まった理由は?」


 ティザーベルがにっこり笑って聞くと、ソガは小さく舌打ちをした。やはり、意図的に話を逸らそうとしていたのだ。先程から同じ事を何度も聞いているというのに。食えないオヤジだった。


「そんなに言いたくない事やったの? すんごく恥ずかしい事とか?」

「馬鹿いえ! ったく……こんな娘っ子に煽られるなんてよお……」


 ソガはがりがりと頭をかく。煽っているとわかっているなら、そろそろ話してほしいものだ。


 しばらくそのまま待つと、ソガは深いため息を吐いた。


「重ねて言うが、誰にも言うなよ」

「了解」


 ティザーベルは神妙な顔で頷いた。この時点で通信モードの魔力の糸が繋がっているので、糸の向こう側にいる人間達には筒抜けなのだが。


 ――私は「言わない」から嘘ではない。うん。


 この場の話が聞かれているだけである。ずるいやり方なのは自覚していた。それでも、この場の話を糸の向こうに聞かせる事は、きっと何かの役に立つ。


 ソガは自分の膝を見下ろしながら口を開いた。


「俺等は海で海賊に捕まったんだ。今、ヨストの海は奴らが支配している。でも、抜け道もあるんだよ。それを使って、俺等は帝都へ向かう予定だったんだ」

「……直接嘆願をしに?」


 このヨストの現状を、帝都の中央政府に直接訴える為に危ない道を渡ったのだ。


 だが、腑に落ちない点がある。直接嘆願は、別に禁じられている行為ではない。確かに領主を介さず話を中央に持っていく事は、後々領主との間に軋轢を生じる可能性があるが、今回はどう見ても領主の怠慢も大きな原因だ。中央に知られれば、領主解任もあり得る。そうなれば、その後の関係性など無視してもいいだろうに。


 疑問に思うティザーベルに、ソガが苦い笑いを浮かべた。


「途中で捕まったけどな。だが、表向き漁に出ている体を装っていたから、連中には気付かれていないと思う。さすがに気付いていたら、俺等に嘆願を命じた人間が無事でいられるとは思えねえ」

「あんたらに命じたのは、ディントとかいう網元か?」


 ヤードの質問に、ソガは頷いた。


「ディントの旦那だけじゃねえ。町長もだ。町議会の中にも海賊の手が伸びているから、俺等に命じた事はその二人だけの秘密なんだよ。もし漏れたら……」

「二人も捕らえられる」


 ソガが濁した最後を、ヤードが補完する。これで少し話が見えてきた。彼等が心配してたのは領主との今後ではなく、町長と網元の未来だ。


 その考えはどうやら当たりだったようで、ソガは自分の膝を見つめながら淡々と続けた。


「俺たちはまだここに入れられているからいい。命があるからな。だが、旦那や町長だと連中に殺されかねん」

「そうだね。生きていれば助けられるけど、死んじゃったら生き返らせられないもん」


 軽く言ったティザーベルの言葉に、ソガ達は目を丸くしている。そんなに驚くような事を言っただろうか。


「何? そんなに驚いて」

「いや、今助けるって……」

「うん。いつまでもこんなところにいるつもりないし。それに、海賊を退治しに来たって言ったじゃない」


 聞いていなかったのだろうか。ソガ達の態度を見るに、どうやら信じていなかったらしい。


 確かに、ヤードやレモならまだしも、ティザーベルの見た目では海賊に勝つどころか、負けて奴隷の仲間入りがせいぜいと思われてもしかたない。目の前で地下を造り替える魔法を見せたとしても、だ。


 ティザーベルの言葉に、ソガが少しだけ慌てて付け加えた。


「あのな、娘っ子達が何やら強えらしいのは何となくわかるんだが、海賊はあのハゲだけじゃねえんだぞ?」

「わかってるよ。こっちも、私達だけじゃないしね」

「へ?」

「おっちゃん達が嘆願に行かなくても、この街の現状はちゃんと帝都の中央政府に届いていたんだよ。まあ、あっちの都合で大分ほったらかしにされてたみたいだけど」


 最後の方は声が小さくなったが、ソガ達には十分だったようだ。現状が中央政府に届いていという事が、彼等にとっては重要だったらしい。先程までとは違い、表情が輝いている。お互いに何やら肩をたたき合って、中には涙ぐんでいる者までいる程だ。


「えーと、だからね? 安心してね? 街の外にはもの凄く強い軍が控えているから」


 ティザーベルの言葉も、ソガ達の耳に届いているかどうか。顔をくしゃくしゃにして喜び合うオヤジ達を、ティザーベルは生温かい目で見ていた。

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