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神上と香苗は工藤光代を伴ってバスに揺られていた。先日と同じ路線を走るバスだ。神上が言った先ほどの言葉から察するに、目的地は翠光の森だろう。三人を乗せたバスの車内は平日ということもあり、さほど混雑してはおらず、病院や買い物帰りと思われる年配の乗客が目立った。香苗と神上はあの日と同じく後方の二人掛けシートに並んで座っていた。カートを携えた工藤は前方の優先席に腰を下ろし、車窓からぼんやりと外を流れる風景を眺めていた。

「あの、先ほども聞きましたけど、何故工藤さんが今日お店に来るとわかったのですか」

 香苗は神上に小声で聞いた。神上の膝にはお店から持ってきた商品の包みが置かれていた。

「今日がご主人の祥月命日だからね」

 神上の言葉に香苗は「あ」と納得した。あの日河原を後にする際、神上が釣り人に聞いた最後の質問がそれだったからだ。

「石山さんに聞くのが間違いないと思ったんだけど、あの人も亡くなった工藤さんとは親しかったみたいだから一応聞いてみた」

「偶然覚えていてくれて助かりましたね」

「いや、偶然じゃないと思うよ」

「どういうことです?」

「あの後、気になって近隣の店舗を何件か当たってみた。どこも真面目に仕事していて助かったよ。クレームの記録やら報告書をきっちり保管してくれていたからね。それで工藤さんがお店に来た日付を整理してみた。案の定、月命日は必ずどこかの店舗に顔を出していたよ。だから二年目の祥月命日にあたる今日は、必ずうちの店に来ると思った。ご主人が贔屓にしてくれていたこの店にね」

 神上は商品の包みに視線を落とした。車体の振動で包みのビニール袋が小刻みに震えていた。

「なんでそれをもっと早く知らせてくれなかったんですか」

「自信満々でそんな推理をして、工藤さんが来なかったら恥ずかしいじゃない。予測能力の乏しい店長だって思われたら困るだろ」

 神上の表情は大真面目だった。

「その割にはかなり思い切ったシフト変更をされましたけどね」

 香苗はわざとらしく呆れ顔で溜息混じりに返した。

「もし僕の推理が的中して工藤さんが来たら、急な勤務変更は難しいからね。常にいろんなパターンを視野に入れて、最善の対策を講じておくのが社員の仕事でしょ?」

「振り回される方の身にもなってくださいよ。情報共有。ホウレンソウが基本じゃないんですか」

 香苗が嫌味っぽくそう言うと神上は苦笑いで小さく手を合わせて「ごめんごめん」と苦笑いを見せた。

「明日からいろいろ言われますよ、店の中で」

「何? いろいろって」

 この男は気が利くのか利かないのか、鋭いのか鈍いのか香苗には分からなかった。ただ、どんな噂が流れようとどうでもいい、別に構わないという不思議な感情が自分の中にあることにだけは気づいていた為、この会話は軽く流してしまうことにした。

「それで、川で会ったあの男性が工藤さんの命日を覚えていたのが偶然ではなかった、というのは?」

「そりゃあ、毎月同じ日に河原で工藤さんが置いて行った物を拾っていたら、忘れたくても印象に残ってしまうでしょ」

「工藤さんが街に現れる日には、そんな意味があったんですね。それで、わたしたちはこれから何をするんですか」

「大したことはできないかもしれない。ただ、工藤さんの背中を少しだけ押してあげるか、支えてあげるくらいかな」

 少し前方のシートに座る工藤光代の小さな背中を見つめながら、神上は言った。三人を乗せたバスが川を渡る橋に差し掛かった。神上は降車ボタンを押して、バスが停車した。香苗と神上が立ち上がると工藤光代もゆっくりと席を立つ。バスを降りるのは三人だけだった。空はうっすらと雲がかかり、少し肌寒さを感じる空気が流れていた。バスを見送ると、そこには川のせせらぎだけが残った。

「さあ、行こうか」

 神上は河原へ向かう遊歩道へと向かって歩き出した。

「翠光の森じゃないんですか?」

 てっきり霊園へ向かうと考えていた香苗は、一度は翠光の森へと向けた足を慌てて切り返し、神上の後を追った。工藤光代は既に神上の少し先を歩いていた。どうやら二人とも、初めから河原の方へ行くつもりだったようだ。

「あの霊園に工藤さんのご主人はいないんだよ」

 神上が言った。

「いないってどういうことですか? 葬儀も納骨も、ちゃんとあの霊園で行われたんですよね?」

 香苗は小走りで神上の隣に追いつきながら問いかけた。二人の少し先を歩く工藤光代は迷うこともなく真っ直ぐにカートを押して遊歩道を進んでいく。こちらを振り返ることは一度もなかった。

「一般的な感覚ではそうだね。けれど、工藤さんの中ではそうじゃない。ご主人の葬儀が行われたとき、既に工藤さんは声を失っていた。そのせいで自分の意志を誰かに伝えることもできなかった」

「いつもお店でしているように筆談で伝えればよかったのではないでしょうか」

「それも考えただろうね。ただ、僕が思うにちょっと特殊な事情だからね。理解してもらえないんじゃないか、っていう気持ちが強かったかもしれないね」

「あの、店長。なんだかさっぱり分からないんですけど。店長はもう全部わかっているんですよね」

 香苗がそう聞くと、神上は少しだけ首を傾げて眉をひそめた。

「僕の中で一番納得のいく答えに沿って動いているけど、正直確証はないよ。全てが終わってもきっと腑に落ちないまま帰ることになると思う。もう少ししたら僕の推理を全部話すよ」

 神上がそこまで話したとき、工藤光代が足を止めた。砂利が敷き詰められた河原を挟んで、流れる川へと視線を注いでいた。その場所は香苗が神上と共に先日この場所を訪れたとき、釣り人と話しをしたあの場所だった。何か特別な目印があったわけではないが、蛇行して流れる川の形、周囲の樹々、視界に映る橋までの距離感が直感的に香苗の記憶を蘇らせた。工藤光代は場所を確認すると、おもむろに土手へと足を踏み入れた。

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