河原

3-1

神上と香苗は売店で購入した線香を墓前にあげると霊園を後にして、来た道を戻った。バス停までの道のりは来たときよりもずっと短く感じた。往路に対して帰路が下り坂だったせいだろうか。それともお互いに考え事にふけっていたせいだろうか。工藤光代の夫が亡くなった川が見えてくるまで、神上は口元に手を当ててぶつぶつと何事が呟きながら考え事をしていた。神上がようやく香苗に対して口を開いたのは石山が教えてくれた遊歩道に二人が差し掛かった時だった。

「ここみたいだね」

 神上は一言それだけ言うと、川に沿って設けられた小道に足を踏み入れた。遊歩道は景観を損なわぬよう配慮されているのか土色の柔らかな素材で整備され、両脇に植えられた草花が人工物の歩道と自然との境界を曖昧にしていた。二人が歩く左手は緩やかに下る土手になっており、灰色の砂利で覆われた河原を挟んで、川辺まで五十メートルは続いている。ここ数日は雨もなく天気の良い日が続いていたこともあり、水の量も少なく、流れも穏やかであった。数人ではあるが、聞いていた通り釣りをする人の姿があった。二人は事故のあったとされる現場へと歩を進めた。

「店長。工藤さんは何か目的があってあんなことをしてるってことですよね」

 香苗がそう聞くと神上は唇を硬く一文字に結んで「うーん」と唸った。

「あの霊園に亡くなった旦那さんが入っていると聞いたとき、きっと墓前に供える為に商品をもらおうとしているんだと思ったんだ」

「自分が食べるためじゃないって、そういうことだったんですね」

「でも、お墓はさっき見た通りだったし、石山さんも工藤さんはお墓参りに来ていないと言っていた。だとすると、駅前で嘘をついてまで手に入れた食べ物はどこに行ってしまったんだろうね」

「商品を手に入れることができなかったから、一度も訪れていないだけじゃないんですか?」

「それはないな。駅前の飲食店には、着任したときに挨拶回りに行ってたからね。話しを聞いてくれそうな店舗には電話してみた。案の定、何回かは商品を渡してしまったことがあるらしいよ」

「わざわざ確認したんですか」

「そう。対応したのがアルバイトだと、お金を要求されたわけじゃなければ良かれと思って商品を出してしまうことはあるだろうね。時間が勿体ないから、物で解決できるならって気持ちもあるだろうし。こっちに非がないっていう確固たる証拠が見つからなかったら、僕もそうしちゃうかな。後になって嘘だって分かってからは出入り禁止にしてるお店もあるみたいだよ」

「うちは優しすぎるんですかね。あれだけ何回も来ていて、嘘だってわかってるのに毎回丁寧に対応しちゃうから」

「それか、うちの商品にこだわる特別な理由があるか、だね。元々他のお店でお金を手に入れて、うちではちゃんとお金を出して買うつもりだったのかもね」

「詐欺で手に入れたお金で買われても、気分良くないですけどね。お客さんの中にはそういうお金で買ってる人もいるかもしれないって思うと、ちょっと怖いですね」

「もし何か特別な理由があるとなると、それが糸口になるってことだけど……」

 神上がそこまで言って話しを切った。珍しく間の悪い話しの終わり方に、香苗は違和感を得て神上の顔を見た。神上の視線は河原に向かっていた。香苗も自然とその視線を追って河原へ目を向けた。神上の視線の先、川辺の砂利の上にゴミのような物が捨てられているのが香苗にも確認できた。一見してビニール袋だと香苗は判別した。神上は目を細めて河原に転がるゴミを注視すると「ねえ」と腕を組みながら言った。

「あれさ、うちの袋じゃない?」

 神上がそう言うのとほぼ同時に、香苗の脳もそれが自分の働く店の持ち帰り用袋だと認識していた。慣れというのは恐ろしいものだ。半透明のビニール袋に印刷された赤と黒の文字。その中に収められた薄茶色の紙袋。ゴミ全体のコントラストと色の組み合わせのバランスから、この距離でも日頃使い慣れている備品であることが容易に判別できた。

「そう、だと思います。やめてほしいですよね。ゴミをポイ捨てするの。うちが悪いわけじゃないのにイメージダウンになっちゃう」

「いや。そういうことじゃなくて」

 神上はそう言うと遊歩道から土手に足を踏み入れると、バランスを取りながら小刻みな歩幅で器用に土手を降りていった。

「え! ここから降りるんですか!」

 香苗も神上の後を追って土手に入る。スニーカーを履いてきて正解だった。見た目より勾配の急な坂を半ば滑るように下って、河原の砂利の上に無事着地する。不規則に動く砂利に足を取られて倒れそうになる体を支えようと、思わず神上の腕にしがみついた。

「あ! す、すみません」

 神上は何も言わなかった。女性に腕を掴まれるという状況に慣れているのだろうか。それとも香苗のことを女性として認識していないのか。咄嗟の出来事とはいえ、ほんの一瞬、悔しさのような感情を香苗が噛みしめたのは間違いなかった。神上は香苗の抱いた感情に配慮する様子もなくそっと腕を離すと、一直線に河原へ投げ捨てられたビニール袋へと向かって行った。それとほぼ同時に河原の左から釣り道具を肩にかけた中年の男性が歩いてくるのが視界に入った。その男は右手に空っぽのポリ袋をぶら下げて、視線を足元に転がるビニール袋へと注いでいた。どうやら釣りを終えて帰宅するついでに河原のゴミを拾っているようだった。釣り人のマナーといったところだろう。男は神上と香苗をちらりと見やると、特に気にする様子もなくビニール袋を拾い上げて、手にしていたポリ袋へと投げ入れた。

「ちょっと、いいですか」

 目の前を通り過ぎようとする男にすかさず声をかけたのは神上だった。男は「え」と小さく声を漏らして立ち止った。声をかけられるなど微塵も思っていなかっただろう。目深にかぶったキャップの下から堀の深い顔が見えた。五十代後半といったところだろうか。

「今拾われたゴミ、うちの物なので……」

 神上がそう言うと、男は眉をひそめて睨むような目つきで神上と香苗を交互に見た。

「は? おたくが捨てたってこと?」

 声の調子から怒りが伝わってくる。誰のものか分からないゴミを拾って帰るような人間だ。釣り人としてのこだわりもあるのだろうが、河原にゴミを捨てていくような輩を良くは思わないに違いない。視線で威圧してくる男に対して、神上は小さくホールドアップして相手を鎮めようと試みた。

「あ、いや、えっと、僕らが捨てたというわけではなくてですね。その商品を販売しているお店の者です。こちらで持って帰りますので、お預かりしてよろしいですか」

 神上がたじろぎながら言うと、男は「ああ」と少々驚いた様子で今しがた回収したビニール袋を覗き込んだ。

「そういうことかい。駅前の店だろ? 何? わざわざこんな遠くまでゴミ拾いのボランティアってわけ?」

 男は先ほどと打って変わって感心した様子で白い歯を見せた。

「まあ、そんなところです」

「そりゃご苦労なことだね。けど別に構わねえよ。あんたが捨てたわけじゃないんだから。金もらって物を渡したら、それはもう買った人間の物だろ。それがポイ捨てされたからって、そっちには責任ないんじゃないの?」

「はあ、そう言って頂けると助かります。ところで、こういうポイ捨てみたいなことってけっこう多いものなんですか」

「ん?まあね。空き缶やらペットボトルがほとんどだけど。ここいらで釣りする人間は、ゴミ拾いが暗黙の了解みたいなもんでね。ゴミを捨てて行こうとするやつを見かけたら注意するのも俺らのルールなんだ。無償でやってる河原の監視員みたいなもんかな」

 男は時折水面へと視線を送りながら饒舌に語った。

「なるほど。そういう協力があって、ここの環境は維持されてるんですねえ。あの、一つだけお伺いしてもよろしいですか」

 神上は人差し指を顔の前で真っ直ぐに立てた。どこかのドラマで見たことのあるような、まるで探偵のような所作だった。

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