2-3
その場所は霊園の中でもかなり奥の方に設けられた区画だった。同じ型の墓石が規則正しく並べられた区画の中で一際異彩を放つ墓石が一つ、香苗の目に飛び込んできた。
「ずいぶん荒れてますね……」
荒れている、という表現が不謹慎に感じたが、そう表現するより他に言葉が見当たらなかった。その墓石は手入れが全くされておらず、所々に苔が蒸し、芝生に混じって雑草が繁茂していた。石山は墓石の前で軽く手を合わせて頭を下げると、小さく溜息をついて話し始めた。
「まだ亡くなって二年だけどね。納骨してから一度も墓参りに来てないんじゃないかな」
「ご家族や親戚の方は?」
神上の問いに、石山は首を横に振った。
「お子さんもいない夫婦だったらしくてね。二人とも、元は九州だかそこら辺の出身だったとかで、かなり昔にこっちへ出てきたそうだよ。この近くには親類はいないんだそうだ。葬儀も奥さんが一人で全部手配して、誰も呼ばずにひっそりと終わらせたみたいだね」
「となると、今は身よりもなくて一人暮らしということですか」
「らしいね。市の職員さんが自宅を訪ねていくらしいんだけど、留守のことが多いんだってね。その件でもよく電話は来るよ。まあ、話し聞いてる限りじゃ、やってることは感心しないけど、そういう電話が来てるうちは無事ってことだからね」
石山はそう言って笑った。
「工藤さんのご主人は、ご病気で?」
神上がそう聞くと、石山は再び首を横に振った。
「いや。聞いた話しだけど、事故らしいね。すぐそこに川があるだろ?あそこに趣味で釣りに来てたらしいんだわ。それで、ボートから転落したんだか、橋から落ちたんだか、その辺はよくわかんねえんだけど、溺れちまったとか聞いたかな」
石山の話しに、香苗はなんだか居たたまれない気持ちになった。墓石を見つめ、そこに眠っている工藤光代の亡き夫に、心の中で手を合わせた。
「そのショックで、口が利けなくなってしまったということですか」
神上の言葉に香苗は「え」と思わず言葉を漏らした。
「口が利けないって、本当にしゃべれないんですか?あの人」
香苗が神上にそう聞くと、神上は「おそらく」と石山に視線を送った。石山は無言で小さく頷いて見せた。
「歯が全くなかったのに入れ歯をしていなかったから、そのせいで上手くしゃべれないのかと始めは思ったんだけどね。どうも声を出そうとしても出せないって感じに見えた。知り合いに心療内科の人間がいるから、そいつに聞いてみたんだ。事故や事件に遭遇して、そのショックで一時的に声が発せられなくなるというのは、珍しいケースだけれど起こりうるらしいよ」
香苗は神上の観察眼と洞察力に驚くばかりだった。たった一度カウンター越しに話しを聞いただけでそこまで見抜けるものなのだろうか。以前の社員たちは工藤光代に対して『入れ歯も買えない貧乏な老婆が物乞いをしている』程度にしか思っていなかった。香苗自身もそう感じていた。しかしどうだろう。神上が一歩踏み込んだだけで、工藤光代に対する印象は一変してしまった。
――一人一人に対して真剣に向き合うことなんじゃないかって、僕は思ってる――
つい先程聞いた神上の言葉が香苗の脳裏にリフレインする。工藤光代と真剣に向き合ったとき、何が見えてくるのか。その先に香苗と神上が出来ることはあるのか。この神上崇平という人間は、一体どこまで工藤光代と関わろうとするのか。もう少しこの物語の行く末を見てみたいという感情が香苗の中に湧き出していた。神上は石山に質問を続けた。
「工藤さんが詐欺まがいの行為を働くようになったのは、ご主人が亡くなってから、ということですか」
神上の問いに石山は首を傾げて少し考えてから「どうだろうね」と答えた。
「うちが工藤さんと関わり始めたのも旦那さんが亡くなってからだからね。それ以前のことは、ちょっとわかんねえな」
「そうですか……。ご主人が亡くなられた場所、ここから近いんですよね」
神上が霊園の入口の方、川がある方角を指さして聞いた。
「ああ。来るときに橋を渡ったでしょう。川沿いに遊歩道が整備されてるから、そこから入ってしばらく行くと河原へ降りていく道があるんですわ。今日あたりは暖かいから、釣りやら散歩に来てる人もいるんじゃないかな」
「わかりました。ありがとうございます」
神上はそう言うと丁寧に頭を下げて、踵を返した。
「行くんですか? 河原の方」
「うん。やっぱりまだ気になるしね。天野さんも行くでしょう?」
「もちろんですよ。ここまで来て帰るなんて、なんだか気持ちが悪いですから」
少し面倒そうな素振りで答えた香苗だったが、既にそんな感情は香苗の中からきれいさっぱり消え去っていた。
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