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神上が事務所に戻ってきたのは香苗の休憩が終わろうとする頃だった。休憩室の出入り口横に設置された姿見で香苗が身だしなみを整えていると、片手に数枚のメモ用紙をひらひらと振りながら神上がやってきた。

「しゃべれないんだね。あのおばあちゃん」

 神上の持ってきたメモはその大半が老婆の書いた文字で埋められていた。筆圧の定まらない、ミミズの繋がったような文字が綴られていた。

「歯がほとんどないんですよね。入れ歯もしていないから、何を言ってるのか全然分からないですよね。今日は、何て言ってました?」

「この前持って帰った商品がね、アレルギーのある材料が入ってて食べれなかったんだって。それで、食べずに捨てちゃったから、どうしたらいいかって」

「販売履歴は確認したんですか?」

「今から見るところ。ただ、買った時間もお昼頃って以外は具体的に教えてくれないし、商品もランチタイムで三十食くらい出てる人気メニューだから、特定するのは難しいかもね」

 神上はそう言いながら事務所のデスクに向かってパソコンで過去の販売履歴を検索し始めた。

「わかっていてそう言ってるんですよ。一番売れているメニューを買ったことにすれば、販売履歴を調べても、実際に買っていないことがバレないって。どこで覚えたんでしょうね、そんなこと」

「確かに話しを聞いた限りだと、曖昧な部分が多いから詐欺っぽいけどね。でも、調べるのに少し時間がかかるって言ったら、案外すんなり帰ってくれたよ。ほら、連絡先もちゃんと書いてくれたし」

 神上が香苗に見せたメモには、工藤光代くどうみつよ、という名前と共に固定電話らしき番号が記されていた。香苗はその老婆の名前が工藤光代であることも知っていたし、その電話番号にも見覚えがあった。工藤光代がこの店に現れるようになったのは二年ほど前からで、前任の店長も工藤には飽きるほど付き合わされていたのを香苗はよく見ていたからだ。神上の持つメモに記された電話番号が工藤の自宅にはつながらないことも、当然知っていた。神上にそれを言うべきか迷ったが、香苗の休憩時間は既に数分オーバーしていた。それに神上というこの新任店長が、工藤光代にどんな対応をするのか見てみたい、という気持ちがあったことも嘘ではなかった。

「電話、かけてみたらいいと思いますよ。面白いところにつながりますから」

 香苗はそう言ってタイムカードを素早く打刻すると「戻ります」と神上に軽く頭を下げて仕事場へと舞い戻った。

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