第12話

 二十五日を迎える。

 いつも一日のほとんどをともに過ごしている僕たちは新鮮味を思い出そうと、待ち合わせ場所を決めると別々に家を出ることにした。化粧や服装選びに頭を抱えている香織さんを後ろに、玄関先で靴を履き終えると、

「それじゃあ一時間後に」

 言って、部屋を出る。

 かといって時間を潰す用もこれと言ってなかったのでコンビニに寄って、まず高科に香織さんが部屋を空ける時間を連絡して、雑誌を立ち読みする。ファッション雑誌を斜め読みしていくが、興味がないのか、緊張しているのか、内容は頭に入ってこなかった。流行の服を着てカメラ目線にポーズを決められるモデルの人たちの自信が、少しでも僕にもあればどこからか人生は変わったものになっていただろうか。そんなどうしようもないことを考えて、それでも今香織さんを隣に出来、毎日を過ごせていることに満足しているじゃないかと改める。

 余り長居しても疲れそうな気がしたので、店先で煙草をひとつ吸ってから待ち合わせの駅へ向かった。趣向を変えて、僕たちの実家のほう、千葉の片田舎をそれに選んだ。長く実家にも帰っていないし、高科以外にそちらの友達に会うこともないので、まず下り電車に乗ること自体が久しい。こういう日でも、田舎へ向かう電車内は空いている。香織さんの母校である西中学校が少子化を原因に廃校となってから、市の人口自体も減ったのだろうか。日本に限っても、人は溢れかえるくらい居るのに、主要な都市へ集まっては汗水たらして狭苦しく感じているのは、不思議なことだった。

 車内で、香織さんから家を出たと言う報告を受ける。それも高科に伝えたが、返事はない。朝から夕方までのシフトだと言っていた。

 降り立ってまず感じたのは、懐かしさよりも侘しさだった。広いロータリーにはタクシーが停まっているばかりで、それも運転手たちは煙草を吸いながら暇そうに談笑していた。歩いているのは老人が多く、若者も数人は居たがどれもこちら、駅のほうへ向かってくる。確かに若い人が遊ぶような場所は、昔からこれと言ってなかった。駅ビルのコンビニで缶コーヒーを買って、ずるずると音を立てて啜りながら香織さんの到着を待った。

 駅から抜けてきた香織さんはきょろきょろと視線を走らせながら僕の姿を探しているようだった。それに近づいていき、彼女が僕を認めてから、軽く手を上げる。

「お待たせ」

「全然待っていないですよ」

「それで、どこ行くの?」

 今のところ、香織さんに今日のプランは解説していない。

「とりあえずあっちのほうへ歩こう」指差し、先導する。「行きたい場所があるんです」

 二人で並んで歩きながら他愛もない話をしていたが、やがて彼女は目的地に見当がついたのか、周囲を見回しながら懐かしんでいるようだった。

 西中学校の校門はフェンスを締め切った状態で、校舎内には当然だが人の気配などないように思われた。古いことを理由にこちらが吸収されたわけだが、どうして校舎が取り壊されていないのかは判然としない。お金の問題かもしれないし、それこそ祟りでも起こるのかもしれない。ただ、残っていたのは僕にとっては幸いだった。

 しばらくフェンス越しに校庭を見ながら、香織さんは過去の回想を共有させてくれる。もうなくなってしまっていたが隅っこにあった桜の木の下で午後五時に告白をすると必ず成功するだとか、校舎脇のプールでは当時から数えて十年前に事故死した生徒が居て深夜になると水を掻き分けるような音が聞こえてくるだとか、中学校に横行していた七不思議が主だった。

「東中にも何かあったような気がする」そう言ってから、記憶の引き出しがうまく開かないことがもどかしくなって、「忘れちゃったけど」

 諦めた。だが香織さんは話していて興が乗ったのか、

「がんばって思い出してみてよ」

 楽しそうだった。

「何かヒントになりそうなワードをください」

「そうだなあ。トイレ、放課後、美術室、飼育小屋、体育館……」

「ああ、体育館」聞きながら、トイレを除けばどれも懐かしい響きだなと感じた。「体育館の倉庫に、出るって言う噂がありました」

「幽霊?」見飽きたのか、校舎を背にするようにしてフェンスに身を預ける。「不運にも事故死した……、みたいなやつ?」

「いや、確か、何とかという神様が出てくるって話でした。なんだったかな。とにかくそれに相談すると、戦略を授けてくれるとか」

「戦略って」けらけらと声を漏らす。「いかにも中学生が好きそうな言葉だね」

「今思えばそうですね。多分パソコンとか何かで拾い集めた知識を繋いで作った話なんでしょうね」もうすっかり忘れていたな、などと呟いてから、「どうします? 入ります?」

 聞くと、香織さんは驚いた。

「入るって、どこに?」

「もちろん、校舎内に」

「入れるの?」

「お化け屋敷扱いされているって言ったのは香織さんですよ? 近所の子どもたちに入れて僕らが入れないってことはないでしょう」

「こんな真昼間から?」

「それこそ子どもだって深夜には入りませんよ」

「クリスマスなのに?」

「それは、確かに」言って、笑う。「無理強いはしないですよ。懐かしいかなあと思って。本当のところを言うと、映画までの時間つぶしです」

「次、映画なんだ」顔が華やいだのは、僕たちにとってそれは共通の趣味となっていたからだろう。「何観るの?」

「それは時間になってからのお楽しみ、ということで」

 結局僕たちは校舎内には立ち入らなかった。というのも、どうしてか間が悪く、中から地元のヤンキーらしき少年が五人ほど、高笑いを浮かべながらだらしなく服を引きずって出てきたのが見えたからだ。白々しく通行人を装ってその場を離れてから、

「あれは確かにお化け屋敷かもしれない」

 そんなことを言うので、可笑しかった。

 ひとつ隣の駅に、全部で五スクリーンと小さいながらシネコンがあった。寂れたショッピングモールにかれこれ十五年ほどひっそりと佇んでいて、それこそ中学生の頃などはお世話になった場所だ。

 公開中のものは大手配給会社のものが主で、こうした田舎だからこそメジャーな作品を扱わなければ客が入らないのだろうと推測できる。ただ今に関して言えば、二週間限定で旧作上映を行っていて、目当てはこれだった。

 というのもそれが、香織さんが初めて家に来た日に一緒に観たあの映画だったからだ。これは偶然と言うには、運命的だと、僕は思っている。

 チケット売り場になってそれが判明すると、香織さんは嬉しそうな顔をしてこちらを見た。何を言う必要もない。大学生然としたスタッフにチケットを渡される。

 ポップコーンも飲み物も買わず、開場時間となるまでロビーのベンチで待っていた。基本的に観るとしても都内の劇場を選んでしまうことが多い僕たちにしてみると、どこか寂れて見える映画館と言うのは、却って新鮮な場所だった。やはり客が少ないのだろうか、スタッフも最小限らしく、ほとんど人が居ない。

 劇場内にも僕たちのほかには誰も居なかった。つまり貸切の状態である。でも、だからと言って僕たちは不純な行為を始めたりぺちゃくちゃと話をしたりなどはしなかった。時間になり、企業CMが流れ、新作の予告編が流れている間も、交わされたのはひと言二言だった。多分、僕にはこの後の展開を知っているから、どこか余裕があったのだろうと思う。もちろん映画の話ではない。ここで浮かれるほど杜撰な一日にするつもりはなかった。

 エンドロールの最後までしっかりと見届けてから、場内が明るくなってようやく、

「やっぱりいいねこの話」

 香織さんはそう言った。

 前にも言ったように僕の部屋で二人で観直したとき、僕は作品それ自体には集中できていなかった。それまでもDVDを持ってはいたが余り好きでもなかったわけだが、改めて観てみると、なかなか味のあるものだと思った。でもそれも、好きな人が好きだから好き、という思考の放棄のような気がして、実際のところはよくわからない。今言えるのは、彼女が満足したならばそれでいい、ということだ。

 さらに五つ駅を進み、レストランへ移動する。予約制のところでコース料理を食べるのは、無職には少々場違いな感じがして、二人で向かい合って笑った。ナイフやフォークは外側からか内側からか、そんなこともわからなかった。背伸びするのは、こういう特別な日だけにしておこう。

 お互いに若いカップルではない。こういうレストランで食事を終えた後、さらりとプレゼントを渡す器用さがあったほうが大人びているし、格好がつくのだろうが、生憎クリスマスその日となると、周囲に似たような演出をこさえている連中が居る中で、そんなことは恥ずかしすぎて出来ない。ここを勝負どころにしなくてよかった。

 帰り道の途中、一度トイレに立ち寄って高科にメールを入れる。

「お前本当に来年一年間全部奢ってくれるんだろうな」

 どうやら良好らしい。

 最寄り駅から、会話が減る。というより、僕の応対が生返事になってしまい、続かなかった。

「楽しかったね」

「うん」

「もうクリスマスも終わりだね」

「早いね」

「今年ももう終わり」

「あっという間だった」

 その程度がせいぜいである。

 部屋の前まで来て、鍵を差し込んで、緊張がピークに達する。本当に十全にプラン通りにことが進んでいるのかどうか、やはり人に頼まず、僕が後に出ることにして自分で準備をすればよかった。後悔ばかりが浮かんでくるが、開かずに居るのも不自然だ。

 開いて、香織さんを先に入れた。玄関の明かりが灯ると、

「何これ」

 言うので、僕も顔を覗かせる。

 開けてすぐの床にバラの花束があった。これは頼んだことではない。高科の演出で、気障っぽかったが、香織さんは喜んだようで、それを抱えるとこちらを振り返った。

「何これ!」

 そして繰り返した。

 実際この花束に関しては僕もわからなかったため、曖昧な顔になっていることを自覚しながらも、

「サプライズです」

 言って、手で先を促した。

 リビングにある二人分とするには大きすぎるケーキと、そのすぐ傍にある小さなケースを見て、香織さんは抱えたばかりの花束を無造作に落としてしまった。それはまさしく「落としてしまった」という表現が相応しいほど、無意識なものに思われた。

 そしてその花束と同じように、床にくずおれる。

 驚いて、彼女の肩を抱えた。

「大丈夫ですか」

 香織さんは両手で顔を覆うと、肩を震わせ、泣き出した。

「どうして」彼女は言う。「どうしてこんなことをしてくれるの?」

 それが喜びなのか、あるいは責めている言葉なのか、わからなかった。

 だから、

「ごめん」

 考えることを放棄して、答える。

「嬉しい」彼女は搾り出すようにして言葉を継いだ。「すごく嬉しいよ、日野間くん。でも、だめだよ」

「だめ?」

「なんで、そんなに優しくしてくれるの……」

 いつか言った言葉を、彼女はまた、僕にぶつけてきた。

 僕は何も返さないまま、ただ彼女を抱きしめるに留めた。

 ひとしきり泣くと、恥ずかしそうに目じりを拭いながら、

「ケーキ、食べよ」

 そう言った。

 その日初めて、僕たちは身体を交えた。


「私のためにはなんでもしてくれるんだよね?」

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