第6話
喜ばしいことに、次回のデートはすぐに決まった。
香織さんからの連絡で、次はカラオケに行ってみたいと提案されたのだ。彼女曰く、歌は元々好きで、これならば発散への近道になるのではないか、ということであった。あくまでも僕は現状、彼女が立ち直るために利用されるだけの人間でしかない。合意の上とは言え、それは少々悲しいことでもある。ただ、会えるならば文句のひとつもありはしない。
どうやら香織さんも現在無職らしかった。無職同士、時間はいつでも合わせられる。その日の夕方に合流しようと決まる。僕は以前ほど畏まったものではないにしろ、自分の中でお気に入りの服を選んで待ち合わせ場所へ向かった。
平日の夕方とは言え、カラオケは混雑にあるらしかった。現在満室状態で、部屋が空くには最短でも三十分は掛かるであろうという話だった。僕たちは名前を残しておき、空いたら連絡をくれるよう頼んで街へ戻った。
「どうしますか?」
「とりあえず小腹を満たしておいたほうがいいかな?」
そう言っておなかをさするので、手近にあったファミリーレストランに入る。メニューを開き、端から端まで眺めている彼女の様は子どもみたいで、実際、ハンバーグにするかオムライスにするか、それとも和食にするかと目移りしているようだった。
結局僕はハヤシライスを、香織さんはイタリアンハンバーグを選んだ。
「オレンジジュースと言い、どちらかと言うと趣向がお子様ですよね」
そう笑いながら言ってみると、
「今のは良くないよ、ハンバーグ好きとオレンジジュース好きを敵に回した」それから仰々しく煙草を咥え、「ハヤシライスだって似たようなものでしょ」
「まあ、そうかも」
二回目にして、少しフランクな雰囲気へと変化してくれたことが嬉しい。こんなことで喜ぶなんてまるで高校生の恋愛のようだと自覚して、恥ずかしくなった。僕もそれを払拭するように、煙草を吸う。
ハヤシライスが先に来る。律儀に彼女のハンバーグを待とうとしばらく手をつけないで居たが、そんなことは気にする必要などないと一蹴される。お互い、もう成人してだいぶ経ったが、無職という立場で言えば同じで、ましてやこんな関係において礼儀などどうだっていいと彼女は言った。それはあるいは、敬語に対しても向けられた言葉だったのかもしれないが、好意的に捉えすぎだろうかと不安になる。
結局食事中にはカラオケからの連絡はなかった。
どうしようかと迷いながらもひとまずコンビニに入り、香織さんが雑誌を立ち読みしているのを横から見ていた。顎の付け根に黒子があるのを見て、どこか得した気分に浸る。
「あれ、香織さん?」
コンビニに入ってきた女の子がそう声を掛けてきて、雑誌に集中していたせいか香織さんは肩をびくつかせる。女の子はこちらに近寄ってきて僕を一瞥してから、
「どうしたんですか、こんなところで」
香織さんに向き直って続けた。
見た目から言えば大学生のような人だった。背が低く、着膨れした様は幼く見える。ただ化粧や髪型は今風で、あえてそうしているようにも思われた。
「桜子ちゃん」僕と居るところを見られたのが嫌だったのか、少しこちらを気にしながら香織さんが返した。「ちょっと遊んでいるところ。あなたは?」
「バイト辞めて暇なんです。そちら、彼氏さん? 出来たんですね、良かった」
相変わらずこちらには視線を向けない。確かに、この場において部外者である僕をじろじろと見るのも失礼なことだ。
「彼氏ではないですよ」しかし無視されるのも堪らず、言った。「友達、ですかね?」
香織さんに聞くと、彼女は首を捻った。
「どうだろうね」どうしてそう曖昧なことを言うのか、不思議に思う。所謂、脈がある、というやつなのだろうか。その解釈こそ好意的か。「多分、友達」
「へえ。ともかく男性と遊びに出るなんて、良かったですよ」笑顔を向ける桜子ちゃんは、もしかすると香織さんの現状を知っていて、慮ってくれているのかもしれない。優しそうな子に見えた。「素敵な方のようだし」
「うん。いい人だよ」と言ってから、「ごめん、紹介しておくね。この子、実家の近所に住んでる飯田桜子ちゃん。今、大学生。で、こっちの人は、日野間翔太くん。私が落ち込んでいるのを知って手を貸してくれてるんだよ」
最後のほうは小さな声で、香織さんはそう言った。
桜子ちゃんはようやく僕をちゃんと見た。
「どうぞよろしく」
「こちらこそ」桜子ちゃんは頭を下げる。「お邪魔みたいですから、私はもう行きますね、失礼しました。香織さん、また、連絡しますよ」
そう言って何も買わずにコンビニを出て行った桜子ちゃんを見送ってから、香織さんは開いたままだった雑誌をラックに戻した。どこか疲れているように見える。
「どうしたんですか?」
「ん?」しかし彼女にしてみればそれが無自覚だったらしく、しばらく僕の問いについて考えているような間を持った後、「ああ、昔からちょっとあの子苦手なんだ」
「苦手?」
「うん」それからどう説明するべきか悩んでいる顔で、「まあ、結構ほら、ずけずけと聞いてくるでしょ。ああいうのが、ちょっとね」
どこか煮え切らない部分があるような気もしたが、どう聞けばいいのかわからなかったし、いざ聞こうとしたタイミングでカラオケからの電話が入り、その場は流れた。
開始一時間であらかた好きな歌を歌い終えたらしい香織さんは、だらしなくソファに身を預けて、深いため息を漏らした。
「多少は発散できました?」
「うん」マイクの電源をオンオフしながら、「やっぱり声を出すのはいいね」
「そうですね。と言っても、僕はまだひとつも歌ってないですけど」
「ごめんね付き合わせて」
「いやいや、そういう意味じゃないですよ。香織さんを立ち直らせるよう高科から頼まれた身ですから。どこまでもお供しますよ」
恭しく頭を下げると彼女は笑った。
「頼もしいね」
「それはどうも」そこで一度会話が途切れそうになって、僕は思わず、「桜子ちゃんってどんな子なんですか?」
先ほど生まれた違和感を解消しておくことにした。それはもちろん、彼女に語りたくない部分を語らせるということだが、こういうところを共有しておくことは恋愛関係において重要なファクターである。
案の定少し言い難そうにしたが、カラオケと言う密室空間であるからか、比較的すぐに話してくれる。
「いい子だよ。凄くね。仲良くもしているし」
「だけど、苦手なんですか?」
聞くと彼女は唸った。
「まあ、ずけずけ聞いてくるっていうのはさっき言ったよね」
そこで僕はぴんと来た。なるほどやはり浮かんだ考えに間違いなさそうだ。
「こんな明け透けなことを言ったら失礼だとは思いますけど、要するに桜子ちゃんは香織さんが失恋したことを知っているわけですよね。香織さんにしてみればそこには余り触れてほしくないという部分であるところの。でも聞いてきて、答えざるを得なかった。にもかかわらず僕と居るところを見られて、あまつさえ彼氏と間違われて、バツが悪かった」
香織さんは僕の話を聞き終えると、諦めたように溜息をついた。
「大体そんなところ。あの子、何でも聞いてくるからさ」
「僕には」と言葉に出して驚いた。「僕には教えてくれないんですか? その部分」
香織さんはマイクを持ったまま、こちらを見た。僕は出来るだけ真正面からそれを受けるように姿勢を正す。誠意を伝えたかった。
でも、彼女はにこりと微笑んで、マイクをテーブルに置くと、
「追々ね」
そう言っただけだった。
悔しい、という感情が沸き起こってから、次第に冷静さを取り戻すと、決して悪い返事ではなかったようにも思えてきた。ひとまずは追求しないでおく。
「僕も歌おうかな」
そんな台詞はどこか胡散臭く、情けない。
総じて三時間歌ってからカラオケを出る。外は寒く、人々は身を丸めるようにして家路についている。
僕たちは駅までの道を、ほとんど会話もなく歩いていた。
そこへ、
「あれ、香織じゃん!」
若い女の声が上がって、二人でそちらを見た。
「夏帆?」香織さんが相手を視認すると、華やぐ。「久しぶり!」
また一人置いてけぼりを食った形で、再会を喜ぶ二人を見ていた。夏帆さんというのは仕事帰りらしく、パンツスーツにコートを羽織っていた。
「あ、ごめんなさい」ひとしきりはしゃいで、落ち着くとこちらに頭を下げる。「私香織の高校時代の友人で、前田夏帆と言います」
「日野間翔太です」
「恋人?」桜子ちゃん同様、まず聞くのはそこらしい。「かっこいい人ね」
あえて聞こえるような声量を残した囁きで、夏帆さんは顔を綻ばせる。
「違う違う、友達だよ。ね?」
慌てたように両手を振るので、
「そうです、友達ですよ」僕も合わせる。「あれでしたら、このあと飲みにでも行かれたらどうです?」
どうして自分がそう言ったのかはわからなかった。嫉妬、なのかもしれない。そうだとすれば酷く矮小で、醜い。
「ごめん」と言って今度は顔をしかめる。「私明日も早いんだ。もう飛んで帰らないといけないの」
「私も明日は仕事だから」香織さんは白々しく嘘を吐いてから、僕の脇を小突いた。「今度連絡するよ」
「うん。わかった。ごめんね引き止めて、またね」
「気をつけてね」
夏帆さんが去ると、香織さんはむくれた顔を見せる。
「どうしたんですか?」
「飲みに行けば、なんて言わないでよ」
「でも、旧友との久しい対面でしょ? 勿体無いと思って」
「私の状態知ってるでしょ? ああやって向こうの元気に合わせる余裕はないよ」
「僕の前では出来ているじゃないですか」
「それは」言って、彼女はこちらを見た。「日野間くんだからだよ」
なるべくそれを好意的に捉えないようとしても、顔が緩むのを止められない。
「へえ。何で僕なんですかね」何度目かの質問だ。「桜子ちゃんだって、夏帆さんだって居る中で、なぜ見ず知らずと言って過言ではなかった僕のことを選んだんですかね」
そう言うと、彼女は怒ったように口を尖らせて、
「だから、興味があっただけだって。純の話からして、いい人そうだなって。似たような経験も持ってるし」
つっけんどんに言い放つのが、面白かった。
同時に、近所の幼馴染でもなく、高校時代の友人でもなく、この僕を選んでくれたことに、ついに声を出して笑ってしまった。彼女は不審そうにして、しかし何も言ってこなかった。
駅で別れる。また連絡するよ、という彼女の言葉は、早くも電車内で果たされた。
「今日もどうもありがとう」
「いいえ。僕も楽しかったです」
こんなにずぶずぶと香織さんに嵌っていく自分が恐ろしかったが、止める必要もないだろう。あとはいつ、どうやってこれを伝えるかだけを考えるのだ。
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