道州大兵法(どうしゅうだいへいほう)~異現代歴史小説~

天道安南

1 兵法第一帖 前段 青山崇史ここに在り 1

兵法 前段

 事、常に始まり有り。人、それを知らず。ただ後に知るのみ。

 人、常に始まりに在り。事、静かして動く。ただ後に明らかなり。



☆青山崇史(あおやまたかし)


 青山崇史はふと視線を感じて、車椅子の上から周囲を見回した。

 壇上には、会場の注目を一身に集めた女性が堂々と立っている。

 それをしわぶき一つせずに聞く聴衆がいる。


 青山が控えた幕の内側には、スタッフが待機している。やはり全員が壇上を見ている。気のせいか?

 車椅子に座っていると、普通の人間とは視線の高さが違う。思わぬ角度から人の表情や顔を見たり、普通では見えないものが見えたりする。同時に普通の人が見えるものも見えないこともある。

 青山は今度は、固定テーブルをつっかえ棒代わりにして立ちあがり、全体を見回した。

 ――誰もいない。

 正確には大勢の人がいる。だが自分を見ている者など、どこにもいない。だいたい、どこの誰が、壇上の重要中心人物などではなく、幕の中に控える青山などを見るというのか。

 ――気のせいか。

 

 青山崇史はいま、神奈川県庁の大講堂、その壇上、下手に居る。参列者からは見えないが、彼からは全体がよく見渡せる位置だ。

 新しい女性知事を迎えての、その歓迎式典だ。

 

 旭日28年9月、神奈川県に初の女性知事が誕生した。

 時代が昭和から旭日の世に移行して以来、全国各地でぼつぼつと女性知事は誕生していた。しかし、今回、東京と神奈川という首都圏の二つの地で、同時に女性が知事選挙に立候補し、同時に当選した。

 

 そして今日、いま、神奈川県庁では、新知事の就任初日を迎えていた。

 県庁前の広場で華々しく歓迎の花束贈呈があり、今は庁内の大講堂で、新知事スピーチが行われている。

 神奈川県庁に勤める職員にとっては、新しいボスを歓迎しているという態度表明の日だ。神奈川県初の女性知事ということで報道陣も多い。


 青山はもう一度、周囲を見回した。

 どうしても、見られているという感覚が消えないのだ。視線の全てがこの新知事一点に向けられている時に、それとはまったく違う方向に視線を送る人間は、行事の進行にかかわっている職員のみである。そうでなければ別の目的でこの行事を過ごしている人間だ。とにかく青山を見るのはヘンだ。

 だが相手がすでに視線を外したのか、青山には視線の持ち主が誰か分からなかった。

 

 今日一日の全てを取り仕切っている青山は、これまでのところすべてを成功裏に進めていた。たかだか新知事歓迎式典の一日だから、大したことはない。

 神奈川県庁ではこのところ、全体が関わる少しばかり難しい仕事は若手が担う、という習慣になっていた。となると最近は、ほぼこの青山に振られる。

 

 青山崇史という県庁職員は、優秀で落ち度がない。常にそつなくこなしてくれるから、安心なのだろう。元来持っているリーダーシップの資質と、車椅子という見かけが加わってか、彼が一歩も動かずに周りの職員を指示して動かすのを、みな抵抗なく受け入れる。

 そういうわけで彼は今、このセレモニーを含めたこの一日の企画と当日の実行委員長役を務めている。

 ――あと少しだ。

 もう一度座りなおして、壇上を見た。

 あっ。青山は小さく声をあげた。

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