03 『鼻血が止まらぬハンナ・ズィーガー』
『──あ? どうしたアーちゃんよォ? またどっか出掛けんのか?』
『あぁ。今度はちょっと遠出になると思う』
『ったく、アーちゃんも忙しねェなぁオイ。愛しの妻より『魔王』探しの旅の方が大事ってか』
『うっ……それは、悪いとは思ってるけどさ……』
『ほーぅ、そうか。悪いとは思ってんのか』
『な、なんだよその目は』
『アタシと結婚してすぐに、一年と百二十五日。『
『イ、イヴりん……?』
『テメェの長期外出記録だオラァ! アタシは全部覚えてんぞ? ホントに悪いと思ってんのか?』
『わ、悪かったって! 次はなるべく早く帰るから!』
『よぉし、言ったな?』
『あ、あぁ……い、一年以内には帰るようにするよ。『約束』する』
『──しっかりと聞いたからな。『約束』破ったらタダじゃおかねェぞ!?』
『ひっ……い、行って来まぁぁぁすッ!』
『なっ、オイ! アーちゃんテメェ! 健康には気を付けろよゴラァ!!』
◆───────────────◆
──イヴりんとジンの会話を聞いた途端、俺の思考は衝撃に打ちのめされた。
そう。俺が『生まれ変わっている』という事は、同時に『死んでいる』という事。そして、その事実に家族は──いや、恐らくは誰も気が付いていないだろうという事。
加えて……イヴりんが口にした、『もうすぐ一年になる』という言葉。そして、俺が『魔王城』に出立する直前まで、息子夫婦は子供を成していなかった事。俺が『魔王城』を見つけたのは、旅に出て割とすぐだった事。
それが意味する所は、恐らく……俺が『死んで』すぐに二人が子を成し、約十ヶ月後に俺が『生まれた』んだろう、と思う。
俺が死んでから、もうそんなに経っていたのか──。
その、俺にとっての『空白』の期間を、家族はずっと待っていた。俺が死ぬ可能性なんて欠片も考えずに、いつものように帰って来る事を、待ち焦がれていた。
──そう考えただけで、胸の奥が、酷く痛んだ。
「ねぇ、ハンナ」
「はいっ、何でしょうか奥様?」
気が付くと、俺の周りに居た人達は大分少なくなっていた。
色彩が乏しく、まるで水の中のようにぼんやりとした視界に映る影は、二人分。レイラとハンナが、物静かに会話をしていた。
「ちょっとだけ、体を流してきてもいいかしら?」
「あぁ、そうですねぇ。さっきは体を拭いただけで、あまり落ち着けませんでしたからね」
「うん……」
「そういう事でしたら、坊ちゃまのお世話はお任せくださいませっ」
「ふふっ、そう言って貰えると助かるわ。それじゃ、悪いけど、少しの間お願いね」
「はいぃ~」
そんな会話の後、ふと『柔らかくて温かいもの』が離れて、『超柔らかくて温かいもの』に包まれる。どうやら、レイラは風呂へ行き、ハンナに俺を預けたようだ。
「えへへぇ~……可愛いですねぇ、可愛いですねぇっ」
となると当然、蕩けた声で俺のほっぺたを
「あぁ、もう、こんな────ん?」
ジンが生まれて、割とすぐの頃だな。
俺はどうしても家を空けなければならないし、かといって、イヴりん一人で家事や子育てをこなすとなると、これがなかなか大変だった。
そこで、イヴりんと相談──半ば脅しを掛けられて、家政婦を雇おうという話になったんだが……そんな時だ。
自宅の庭にな、落ちて来たんだよ。
いや、何がって……『家政婦』が。
黒で統一されたシックな服装。同じく黒のロングスカートに、白いエプロンを着けた女性。そんなのが急に空から落ちて来たんだよ。『ズドンッ!』と。
「すんすん……すんすん……。ん~? ごしゅじん様の匂いがしますっ」
いきなりとんでもない音がしたもんだから、慌てて庭に出てみると、小さいクレーターを作って『そいつ』が横たわってたんだ。
身長一五〇センチ程の小柄な体躯。ふわふわと軽くウェーブの掛かった金髪で、長めのそれを後ろで一つに纏め上げ、『ドアノブカバーみたいなアレ』で覆っている。
「この、甘さの中にちょっと酸っぱさを感じる独特な匂いは、間違いなくごしゅじん様ですっ!」
おそるおそる近付いてみると、突然むくりと体を起こし、俺達の方に顔を向けたんだ。あの時、びっくりし過ぎて逆に冷静になっちゃったんだよなぁ。
『あ、あれ? ここはドコですかっ? あなた方は誰ですかっ? あ、私は【エルッカ】……えっと、『天族』のハンナ・ズィーガーですっ!』
『あ、どうも。ここは俺の家で、俺は家主のアルファルド・ニルドレア。こっちは妻のイヴリン』
『いやいや、何フツーに会話始めてんだよアーち……アル』
──『天族』。実物を見たのは、その時が初めてだった。
自分をそうだと名乗るハンナの背中には、伝承通り、純白の『翼』が生えていた。
俗に『神の使い』とも言われ、実際に目にするどころか、神話に登場するような『伝説』の種族だ。
そんなものが何故うちの庭に『落ちて来た』のか、それを聞いてみた所──
『私は【マルッカ】の──えっと、つまり『人間』達の暮らしを勉強する為に、『地上』にやって来ましたっ!』
『なるほど。いや、それは良いんだが……なんで『落ちて』来たんだ?』
『それはですねぇ……。お恥ずかしながら、日差しがぽかぽか温かくて、ですね。居眠りしちゃったんです……。あ、でもご心配無くっ! 私達『
『うちの庭は大ダメージだけどな』
『はうぅ!?』
──ってな感じだったから、うちでも人手が欲しかったし、庭の補償という形も兼ねて、『家政婦』として雇い入れたんだ。
「一体どこから? ごしゅじん様どこですかっ? ──あれ? 坊ちゃまが怪しいですねぇ。ちょっとだけ失礼しますっ」
そうそう、『天族』ってのは面白い魔法が使えるみたいなんだ。
俺達『人間』よりも複雑な魔法陣と呪文を学んでいて、その中の一つに──
「【ライエ・アルタ】っ!」
──『心を読む』事が出来る魔法があってな。
「はいぃ、読めますよ~」
…………え?
「やっぱりごしゅじん様ですっ! おぉ~! 会いたかったですよぉっ!」
気が付くと、何故かハンナに猛烈に頬ずりされていた。
というか、『ごしゅじん様』? まさか、俺が分かるのか?
「わかりますよっ! ごしゅじん様の『魂の匂い』がしたので、もしやと思って【ライエ・アルタ】を使ってみましたが……当たりでしたねっ!」
なんだと!? 衝撃の新事実! ハンナにそんな能力があったなんて……。
「私達『
いや、これは俺自身が望んでやった事じゃ無いんだ。何て言えばいいんだろうな……。
「ん~?」
あ、そうだ。
ハンナ、ちょっと聞きたいんだが……【ルキエ・ウル・アルムラス】って魔法は知ってるか?
「およ? およよっ!? ご、ごしゅじん様は『魔導王』──セフィリア様に会ったのですかっ!? それは、『魔導王』様にのみ使用が許される、ひじゅちゅ中のひじゅちゅじゃないでぶふっ! ……こ、興奮しすぎて鼻血がっ」
す、すこし落ち着け……ってオイ、ちょっと待て。『魔導王』……? セフィリア、だと?
「んぇ? は、はいぃ! 私達『
────。
───。
──。
一体、何がどうなっているんだ……?
セフィリアは、『魔王』じゃ無かったのか? 『天族』の王、『魔導王』……?
いや、だとしたら、何故、『城』が『地上』に……?
そもそも、あいつは自分を『魔王』だって……?
「おぉ~い、ごしゅじん様大丈夫ですかっ? あんまりごちゃごちゃしていて、上手く読み取れません……」
あ、あぁ、すまん。大丈夫だ。
ハンナ、もう一つ聞きたいことがあるんだが──。
「──ふぅ。ありがとうね、ハン、ナ……!?」
「あっ、奥様っ! おかえりなさいませっ」
なんとも絶妙なタイミングで、レイラが戻って来たようだ。それを期に、頬ずりをしていたハンナが──『超柔らかくて温かいもの』が離れる。
そして、レイラは引き攣った様な声を上げ、何かに驚いているようだ。
「ハ、ハンナ! あなた血だらけじゃない! どうしたの!?」
「ほぇ? ……あぁっ! ち、ちょっと興奮し過ぎちゃいまして鼻血が……申し訳ありませんっ!」
「だ、大丈夫なの?」
「えぇ、えぇ……問題ありません」
「そう、それならいいんだけど……。一体、私が居ない間に何があったの?」
「ふっふっふ、それはですねぇ! なんとっ! アル坊ちゃまがごしゅへぶっ!?」
──その発言を聞いた瞬間、俺はハンナに向けて『無詠唱魔法』を発動した。……発動してくれて良かった。
ハンナの頭頂部に、不可視の『魔力で出来た拳』を落とし、続く言葉を遮ったのだ。
だが、予想以上に魔法の威力が高かったらしく、そのまま目を回して気絶してしまった。すまんな、ハンナよ。
「ハ、ハンナ! どうしたの!? また興奮しちゃったの!?」
……もう少し、俺が『俺』であるという事は、黙っていて欲しいんだ。
少なくとも、今は、まだ──。
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