24 理科室2
「丸山さ……」
「黙ってろ」
丸山は一言、そう言った。梓もそれ以上話すのをやめた。
丸山は、スタンドに丸底フラスコをくくりつけ、その下にアルコールランプを添えた。そして更に同じものを三つ用意し終わると、椅子に腰を掛け、ポケットから携帯電話を取り出した。
「どこかへ電話するんですか?」
丸山の様子を見た梓が口を開いた。
「しないよ。ネットする」
「ネット?」
「ああ。日記代わりに、俺の彼女への思いを呟いてたんだ。最初はマメな人だと思って、こっちも軽く手を振りかえす程度で何も考えてなかった。でも、俺の彼女への気持ちは日に日に強くなっていったんだ」
丸山は梓の方を見て、少し間を置いた。梓が黙って丸山の方を向いていると、丸山は更に話し出した。
「このまま、俺の心の中だけにしまっておいたら気が狂いそうだった。でも学校の友達にもこんな事言えない。だからネットで呟こうと思った。でも、あまりにもその気持ちが強くなりすぎてね。最近じゃ、百四十文字程度じゃあ、まるで足りなく感じてた」
丸山は、ゆっくりと携帯電話の画面へと視線を戻すと、続けた。
「でも、もう終わる。いや、終わったんだ。俺はもう、一人なんだ……」
丸山は話し終わると、携帯電話に文字を打ち込み、それをサイトに反映させた。
――こんな事をしたって彼女は戻って来ない。でも、彼女への最後の償いをしないわけにはいかない。これで最後だ――。
丸山は携帯をしまい、何かをやり遂げたようにがっくりと肩を下げ、アルコールランプをじっと見つめた。梓はマンションの霊についての真実を話したい。話さないといけないと思っているが、今、丸山にその事を話した所で信じようとしないのは明白だ。梓は黙って、丸山の様子を伺う事にした。
そして、理科室に沈黙が流れ始めた。辛うじて時の流れを感じさせるものは、二人の息遣いと、暗闇の中で揺れるアルコールランプの炎だけだ。
「丿卜さん……」
梓は、今までよりも小さい声で、もう一回丿卜に呟いた。が、丿卜からの返事は返ってこない。
(どうしたんでしょ、丿卜さん)
梓は色々な可能性を考えた。丸山さんが、何かしらの霊避けを行っているのか、何か考えがあって丿卜が隠れているのか。それとも、自分自身が気絶している間に何かの拍子に除霊してしまったか。
「おい」
梓の思考は丸山の一言に遮られた。
「? ……何ですか?」
「本当の事、話してもらおうか」
丸山は、いつしか手にミトンをしていた。フラスコの中では液体から泡が引っ切り無しに出ている様子が、アルコールランプの炎に照らされてひっそりと見える。
「あ……はい。彼女は貴方に手を振ってたんじゃないんです。そして、火事で部屋が燃えて、熱くて苦しかったからもがいてたのでもない。いえ、それもあるかもしれないですけど、もっと他の、大きな理由があったんです。それは……うわあっ!」
梓は体中に、燃えるような熱さと痛みを感じた。丸山が沸騰したお湯の入った丸底フラスコを、梓に投げ付けたのだ。
勿論、それには蓋などされていなく、中からこぼれ出た熱湯は、梓の左足に降りかかった。
「もういい。言うな」
「怖いんですね、その先を聞くのが」
「……」
丸山は無言でもう一つのフラスコを手に持つと、ゆっくりと梓に歩み寄った。
そして、フラスコにしてあるゴム栓を取ると、フラスコを傾け梓の頭の上に熱湯を浴びせた。
「熱っ……ああっ!」
梓はたまらずに身悶えた。
「壁の中に、彼女の子供が埋められていたんです!」
「言うなよ!」
熱湯などに構わず話を続ける梓に、丸山は激怒した様子でフラスコを振り下ろした。
フラスコは梓の右肩に命中し、割れた。そして、割れたフラスコの中の熱湯が、更に梓に降りかかった。
「ううっ……! 彼女は一回建物から避難していた……でも子供を助けたくて、また戻って来た……」
「くそっ!」
熱湯を被りながらも淡々と話す梓に背を向け、丸山は急いで三つ目のフラスコを手にした。
「でも、彼女は助けられなかった。部屋の中で倒れてしまった」
「黙れよ!」
丸山は、今度は熱湯のたっぷり入ったフラスコを梓の頭に打ち付けた。フラスコはまたも砕け散り、中からの大量の熱湯が梓を襲った。
「うわあぁぁぁ!」
梓は強烈な痛みに、体を激しく左右に揺らし、もがいた。
「ううっ……うっ……」
首をだらりと後ろへと垂らし、梓は唸り声を上げている。
「はぁ……はぁ……やっと大人しくなったか……」
「……彼女は……死後も子供を、苦しみから解放してあげたい一心で……窓を叩いたり……開けようとしていたんです……」
「お前まだ……」
「焼死体大量喪失事件……聞いたことないですか?」
「む……」
「あるんですね。あのマンションの事を調べた時にでも見つけたんだと思うですが……」
「うるさい! そんな事はどうだっていいんだよ!」
「……彼女は火事で、体が熱くて痛かったからだけで成仏できなかったんじゃない。その多くは心の痛みからくるものだったんです……」
「……何でそこまでして、その事を話した?」
「彼女はもうあの世に行ってしまった。だから、私が真実を伝えなくちゃならなかったんです」
「そんな事、知りたくなかった……!」
「でも言わなくちゃいけなかった。貴方にとっても」
「俺にとっても? そりゃ、お前のわがままだ。お前は死人の肩を持ってる」
「いえ、貴方にとってもその方がいいと思ったんです。死人に、それも誤解によって心を縛られる。そんな人の危うさを、私は知っているから」
「でも……こんな事しちまった俺にどうしろってんだ……あ……」
丸山の瞳に、まだメラメラと燃えているアルコールランプの火が映った。
「そうだ……ははは……」
丸山は徐に火に蓋を被せ、アルコールランプの火を消した。そして、もう一回蓋を取ると、その中の炎口の方の蓋も外し、それを梓の元へと持っていった。
「アルコールってさ、よく燃えるんだよな……」
アルコールランプを梓の上で引っ繰り返し、中身をまけた。
「わ……ちょっと……」
上から降り注ぐ液体に、梓は慌てた。
「へへ……」
「ま……丸山さん?」
「四季織さん。貴方が死ねば、この事を知る人は誰も居ない。彼女は僕に手を振りながら、いつしか消えた。それが真実になる」
「丸山さん……気持ちは分かるですけど……それ、違うんですよ」
「違わないんですよ!」
丸山がマッチを擦ったその時だ。
「ここか!」
不意に、部屋に男の声が響いた。
「あ……!」
突然の来訪者に、梓は思わず声の方を見て驚きの声を上げた。
一方、丸山は振り向く一瞬の間、声の人物を何人か思い浮かべていた。が、そのどれでもない、一番ここに居るはずのない人物の姿を見て驚愕した。
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