23 理科室

 ――見つけた。あれが俺から彼女を奪ったのだ――。




「う……ん……ここは……」

「理科室だよ」


 たった今目覚め、まだ意識が朦朧としている梓に、男は言った。


「……貴方は?」


 梓は徐々に意識がはっきりしていくのを感じながら、目の前で見下ろしている男に尋ねた。


「お前に恨みを持っている者だ」

「恨み……? ……貴方はさっきの……」


 梓は男の顔に見覚えがあった。目の前に居るのはコンピュータ室に居た三人のうちの一人だ。


「丸山だ。お前は四季織梓。お前の名前はコンピューター室で聞く前から知っていた。俺にとっては忘れられない名前だ」


 丸山はとても不快そうに、そして悔しそうに言った。


「丸山さん? 何で……あれ?」


 梓はようやく自分の体の違和感に気付いた。部屋が暗く、はっきりとは見えないが、腕が後ろに回され、上の方の何かに括り付けられているらしい。足の方も、両足首を一緒に縛られているようで、身動きが取れない。


「あの、これ……」

「パソコンのコードだ。見れば分かるだろ」

「動けないんですけど……」

「悪いがそのままだ」


 丸山は、机から一本のメスを手に取った。


「あの……それ……」

「お前が……彼女を殺した」


 丸山はそう言うと、徐にメスを、梓の袴から覗かせているすねへと近寄らせ、そして、切り付けた。


「うあっ!」


 梓の悲鳴が理科室に響く。


「へえ……切れるんだな、これ」


 丸山が意外そうに言った。


「あ……あの、痛いんですけど」

「そうだろうな」


 丸山は梓の袴をめくると、今度は太腿を切った。


「あっ!」


 梓の悲鳴を聞きながら、丸山は淡々と、そしてゆっくりと、梓の足を切り刻んでいった。


「ううっ……私が彼女を殺したから、こんな事を?」

「そうだ」

「誰だかは分かりませんけど、私、人なんて殺してませんよ」

「殺したんだよ。お前は」


 丸山はメスを机の上に置き、同じ机の上に置いてある薬瓶の蓋を開けた。


「それは何ですか?」

「塩酸だよ」


 丸山はピペットで塩酸を吸い上げると、再び梓に近寄った。


「あ……あの……」

「お前が彼女を殺した時、彼女はどれだけ苦しんだんだ?」

「い……いや……」


 もがく梓など気にも留めず、丸山はピペットの塩酸を梓の体に垂らした。


「あ……」


 丸山は特に狙いは定めなかったが、ピペットの塩酸は、梓の左腕、腹、そして左足と、左半身全体にかかった様だ。


「う……うあああ!」


 梓が苦しそうにもがき。体をのた打ち回らせた。


「殺人犯が、一丁前に痛がりやがって。彼女の苦しみはこんなもんじゃなかった筈だぞ」

「彼女……その彼女って……ああああっ!」


 丸山の持つピペットから、塩酸が容赦なく梓を襲っている。


「俺なんかに毎日手を振ってくれてた人だよ!」


 度重なる質問にイライラした丸山は、再びメスを手に取り、梓の太腿に突き刺した。


「いやあっ!」


 梓は太腿、そして全身から感じる激痛に、思わず体を逸らせ、そして、がっくりと項垂れた。


「うう……人……違いです……私、そんな人、知りません……」

「嘘をつくなぁ!」


 丸山は足で梓の顔を蹴った。


「お前がやったのは分かってるんだ。先月の十一日。その日を境に、彼女は俺に手を振らなくなった。それどころか、姿を現さなくなった」

「十一日……」

「その日何かあったか、彼女のマンションの管理人に連絡を取った。そしたらお前の名前が出てきたってわけだ」

「十一日……マンション……」


 梓の脳裏に一人の霊が浮かんだ。


「あ……分かりました。彼女、違うです。彼女はもう死んでいたんです。霊だったんですよ」


 マンションで除霊した、白いワンピースの女性の霊だ。


「そんな事は薄々感づいてたんだよぉ!」


 丸山は、梓の太腿のメスを抜き取り、再び近くに突き刺した。


「うわぁああ!」

「毎日健気に俺に手を振り続ける彼女を、どうして除霊したんだ!」

「うぅ……か……彼女が火事で苦しんでたから……」

「火事? ……そうか」


 丸山は何かを思いついたらしく、部屋の奥の棚の前に移動して棚を開けた。


「お前に彼女の苦しみを味あわせてやる……」


 丸山は上の空でそう言うと、棚からアルコールランプを、引き出しからマッチを取り出し、机の上に置いた。

 そして、マッチでアルコールランプに火を点け、火にメスをかざした。


「ふふふ……」


 丸山はぼおっと、火に包まれているメスを見つめている。


「丿卜さん……? 丿卜さん……?」


 丸山が自分から遠ざかった隙に、梓は丿卜に呼びかけた。


「丿卜さん……? 丿卜さん……?」


 いくら呼びかけても、丿卜の返事が返ってこない。


「何だ? もう譫言を言うほど参ってるのか?」

「あ……いえ……何でもないです」

「……」


 丸山は怪訝そうな顔を梓に向けたが、すぐにメスの方へと顔を戻した。


「丿卜さん……」


 梓は更に丿卜への呼びかけを続けた。


「丿卜さん、居ないんですか?」

「何ぶつぶつ言ってるんだ!」


 丸山はいきり立って、梓へ早足で近付き、手に持ったメスを梓の肩へと突き刺した。


「うあっ!」

「ち……気に入らねえな……」


 丸山はメスを抜いた。


「あの時だ……駿一と喋っていた時……俺にとって、あの時が一番幸せだったかもしれない。彼女に会いに、マンションまで行こうかとも考えてた……」


 丸山は上の空でそんな事を言いながら、熱されて高温になっているメスを、巫女装束の隙間から露出している首の部分に押し付けた。


「う……っ!」

「俺があの時彼女の部屋に行ってたら、どうなってたかな……」


 ぶつぶつと言いながら、丸山はもっと下、鎖骨の付近へとメスを当てた。


「うぐ……」

「きっと……こんな奴なんかに成仏させられずに、ずっと俺に手を振り続けて……」

「それは違うです」


 丸山の話を遮って梓が言うと、丸山は叫んだ。


「違わねえよ!」


 丸山は、梓の肩へとメスを突き刺すと、踵を返し、再び棚へと向かった。


「ううっ……丸山さん?」


 梓が話しかけるが、丸山は反応しない。


「丸山さん、彼女の事……本当の事が知りたくありませんか?」


 丸山は、淡々と何かの用意をしているが、梓の話には何の反応も示さない。


「丸山さ……」

「黙ってろ」


 丸山は一言、そう言った。梓もそれ以上話すのをやめた。

 そして、スタンドに丸底フラスコをくくりつけ、その下にアルコールランプを添えた。

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