3 金本宅

 ――近いうちに彼女の家を訪ねてみようと思う。彼女は俺の姿を知ってる筈だし、俺も毎朝彼女に手を振っている。だから、全くの他人というわけではないと思うし、ちょっと玄関で話をするだけなら出来るかもしれない――。






「えと……名前は、十六歳、高校二年生……」


 巫女装束に身を包んだあずさが、手元のA4サイズの紙を見て読み上げた。夏にこの服装は少々きついが、この仕事をやっている時には巫女装束を着ている方が色々と都合がいいので、少しくらい暑いのは我慢しないといけない。


「ほう、梓と同い年とな。学年は一つ下のように御座るが」


 梓の背後で、黒い甲冑に全身を包んだ霊が言った。


「そうですね丿卜へつうらさん。ちょっと親近感を感じちゃうですけど……趣味はネットと、それを利用したライブ配信……」

「して、その映像がこの動画か」

「ええ、ネット上では彼自身の事と、この『ひとりかくれんぼ』の途中で連絡が途絶えた事について、議論が始まっているみたいですね」

「この動画は己でアップロードしたわけでは無う御座るか」

「ええ、誰かが録画していて、それを上げたみたいです」

「ふむ……」


 暗闇に、テレビの光だけが煌々と輝いている映像を、二人は注意深く見た。


「金本さんは、恐らくこの辺りにあるクローゼットの中に居る筈です」


 梓が画面右上の部分を指差した。


「うむ、暗うてよう見えんが、この部屋を見る限りだと、どうやらそのようだのう」


 丿卜は頷いた。


「あ、ここです」

「む? テレビが消えたのか」

「はい。ここで異変に気付いて中止していれば、こんな事にはならなかったのに……」

「金本は気付いていなかったと申すか」

「あのクローゼットの隙間からは、テレビの画面は見えないと思うです。こんな場合は大抵、オフタイマーのせいか、または放送終了したせいで、音が出なくなったり暗くなったりしたんだと勘違いすると思うです。それも、心霊現象を信じない人ほど」

「なるほどな」

「そして、程無くして何かの霊が降霊し、この部屋で暴れていくわけです」


 梓はノートパソコンを閉じ、立ち上がった。


「さて、その霊が具体的に何をしたのかは、この映像じゃ分からないと思うですけど、この現場に残された霊気の跡を見れば、ある程度は推測できるですよね」

「……梓よ、某は、そういった能力は持ち合わせておらんのだが」


 丿卜は少し俯き、困ったように頭をかいた。


「ああ、そうでしたね。じゃあ解説していきましょうか。私も誰かに話して考えを整理しておきたいし」

「うむ」

「まず、この部屋全体に、ぽつぽつと点在する霊気です」


 霊気を感じようと意識した梓の目には、この部屋に雑然と点在する霊気が見えている。霊気は足跡のような形だったり、なにかを引きずった跡のような形だったりと様々な形をしている。


「雰囲気的には二種類ある感じですね」


 梓には、どの霊気の跡も青色の薄い蛍光色に見えているが、梓は二通りの霊気を感じていた。


「という事は、多分、二人の霊が降りてきたんだと思うです」


 梓はもう一度、周りを見渡した。


「この部屋全体を使って、二人の霊は――争っていたんでしょうか。とても有効な関係とは思えませんね」


 次に、梓は窓に目をやった。


「窓の端や窓枠に霊気の跡が集中してるです。霊は多分、窓から出て行ったのでしょう」

「霊体なのに窓からとは、妙な話に御座るな」

「妙じゃないですよ。二人はこの世に来たばっかりなんですから。それに、丿卜さんだって、生きていた時の習慣は捨てきれないでしょ?」

「む……左様に御座るな。背後霊故、移動する時は何も問題は御座らぬが、座ったり寝転がったりすれば、休んだ気にはなるのう」


 丿卜が手を組んで考える様子を見て、梓は笑みをこぼした。


「丿卜さん、今している腕組み。まさにそれこそが、生きていた時の名残の仕草なんです。生前の癖や性質は、死後も大体引き続いて同じになるんです。この世に相当長く居ついてる丿卜さんだってそうなんだから、たった今来た霊がそうじゃないわけないんです。で……」


 梓はクローゼットへと近寄った。


「ここですね」

「ほう、クローゼットに御座るな」

「ちょっと憑依してみて下さい」

「うん?」


 丿卜は言われた通り、梓に憑依した。霊気の跡を見れる梓を通す事によって、丿卜も霊気を見ることができるのだ。丿卜は再びクローゼットを見た。


「これは……壮絶に御座るな」


 クローゼットには、びっしりと、青色をした手形状の霊気の跡が残っていた。


「突然呼び出された霊が、呼び出した人に怒るのは良くある話です。この霊も例に漏れなかったのでしょう」

「なるほどな。そして、あの様な事になったと……」

「ええ……悲しい事ですけど……」


 梓は目を瞑り、両手の掌を合わせ、体を前に傾けた。


「……さて、気性の荒い霊は、どんな事をするか分かりません。それも、無理矢理この世に連れて来られた霊です。かなり危険でしょう」

「む、相違ない」

「なら、早く除霊しないとです。まだ霊気の跡が残っているうちに、霊の居場所を掴みましょう」




「えっと……こっちですかねえ……」


 梓は、今にも消えそうな霊気を、必死に目を凝らして探しながら歩いている。


「某に聞かれても困る。某は霊にござるが、霊感とやらは持ち合わせておらんのでな」

「ですよね……あっ!」


 梓は町の雑踏の中に、一際存在感を発している霊気の跡を見つけた。


「まだ新しい霊気の跡があるですね」

「ほう、昼間に霊が目立った行動をとるとは珍しいな」


 梓は急いで駆け寄った。


「争った跡がありるです、霊気はやっぱり二種類」


 金本の部屋の状況と似ている。梓はそう思った。


「片方はあの部屋の霊と雰囲気が似てるですね」


 二種類の内、一種類は別の霊だと確信できるが、もう一種類の方は、あの部屋の霊気とかなり近い雰囲気がする。


「確か、あの部屋にも霊が争ったと思しき跡がありましたよね。あの危険な霊の可能性が高いです。この霊の雰囲気、よく覚えておきましょう。さて……」


 梓は霊気の跡の全貌を見るべく、その軌跡を目でなぞった。


「かなり長い間争っていたのか、この通りにずーっと跡があるみたいですね」


 コンビニや書店の並ぶ人通りの多い大通りに、これ程長い霊気の跡があるのは、数多くの心霊現象に立ち会っている梓にとっても、異様な光景だった。


「して、どちらの方向に向かうのだ、梓」

「うーん……」


 通りに沿って跡があるのは確かだが、問題は霊がどちらの方向に進んでいったかだ。

 左に行けば、書店やゲームセンター「カルナバル」等の、所謂遊び場的な所が多くなり、人通りはさらに増える。右へ行くと住宅街が目立ち始め、逆に閑散としてくるだろう。


「うーん、梅田書店方向に伸びている霊気の方が、心なしか新しい気はするですけど……霊って一般的には賑やかな所には行きたがらない筈なんですよね」

「うむ、なれど、その一般的な事が、此度の霊に如何程まで当てはまるかという事だな」

「はい、どっちに行くかは殆ど運任せになってしまうかもしれませんけど……これまでのデタラメ具合から考えると、梅田書店方向の方が確率はありそうですね」

「うむ、そうかもしれんな」

 梓の言葉に丿卜が頷くと、梓は梅田書店の方へと歩き出した。

 薬局、不動産屋、金物屋等、様々な店が立ち並んでいる中で、最近新しく出来た百円ショップが、一際目立つ存在感を放っている。


「おや、梓ちゃんじゃねえか、その恰好だと、今日はお仕事かい?」


 梓が歩いていると、八百屋の山田さんが話しかけてきた。


「あ、山田さん、こんにちは。今日もいい天気ですね」


 梓は足を止め、挨拶をした。


「いい大根入ってるよ! いや、梓ちゃんはこっちの方か」


 山田さんは、手に持った大根を引っ込め、代わりに傍らに積んである箱から桃を取り出した。


「……! これは……形もいいし、色もいい。おまけに大きいです!」


 梓は歓喜した。綺麗な桃色をしていて見るからに美味しそうだ。


「だろう。見た目だけじゃなくて、味もいいんだぞ?」

「うーん、欲しいですぅ」


 梓の口から涎が垂れ下がる。


「まあ、それなりに値は張るんだが……梓ちゃんには世話になってるし、安くしとくよ」

「本当ですかっ!」

「あー、コホン……梓よ」


 梓の後ろで丿卜の咳ばらいの音がした。


「あ……えっと、帰りに寄れたら寄るですね」

「ああ、仕事中だったな。頑張れよ、梓ちゃん!」

「はいっ、頑張るです! だから桃、安く売って下さいね!」

「ちゃっかりしてるな、梓ちゃんは、任せときない!」


 梓は早く桃が食べたい気持ちを抑え、再び霊気を辿って歩き出した。


「早く除霊して、桃を食べないと……」


 梓はそう言いつつ歩みを進めた。右奥には、百円ショップよりもさらに新しい店舗のアイスクリームショップ「プリムラ」がある。梓はそこに前々から行きたかったが、なかなか行く機会が無かった。とはいえ、ここで更に寄り道するわけにもいかない。しかし、気になるものは気になる。梓の視点は知らず知らずのうちに、そこへと釘付けになった。


「んー……んっ?」


 梓は視界の隅に違和感を感じ、違和感の方へと視線を向けた。


「あ、居ましたね。よく居る浮遊霊ですけど」


 何やらそわそわしている浮遊霊だが、この霊気の元の霊に間違いなさそうだ。が、どうやら、金本の部屋に居た霊の方ではないらしい。


「うーん、私が探してる方じゃないみたいですね。でも、何か手がかりを持ってるかもしれないし、一応、聞いておきましょうか」


 梓は霊に歩み寄った。相変わらずそわそわしていて落ち着きが無い。


「えと、そこの霊さん?」


 梓はそっと話しかけた。


「ナンダ、ワタシニナレナレシク……ソノカッコウ、ワタシヲジョレイスルツモリカ。イイダロウ、ジョレイサレルマエニ、オマエニノリウツッテヤル!」


 霊は突然捲くし立てると、怒り狂っているかのように梓に襲いかかってきた。


「ひゃっ!?」

「ウオ……!?」


 梓が短い悲鳴を上げた瞬間、霊は消滅してしまった。


「あ……」

「梓、そなた……」


 梓はとっさに印を結び、霊を祓ってしまったのだ。


「つい、防衛本能で祓っちゃいました……ま、まあ、イライラしてて危険そうだったし、あのまま現世に居るよりかは霊にとっても、いいんじゃないでしょうか?」

「やれやれだのう……」


 丿卜は呆れた様に言った。


「白昼堂々と町中をうろうろしてる霊もおかしいですよ。しかも、突然襲いかかって来るなんて」

「まあ、それはそうだがの……」

「よほど恨みの強い霊なのか、または逆に、相当霊を引き込みやすい人間に誘われたのか……どちらにしても、あんなに機嫌が悪い状態なら、行く先々に争った跡があってもおかしくはないですね」

「確かにそうかもしれぬな」

「こっちじゃなかったみたいだし、もうちょっと霊気を辿って行ってみましょうか」

「いや、それは出来ぬだろう」

「えと……あれ?」

「どうした梓?」


 梓が後ろを振り向くと、霊気の跡はいつの間にか一つになっていた。


「もう一人の霊の方は感情が静まったという事なのか、跡が消えるですね」


 霊気の跡は、霊がエネルギーを強く発していればいるほど濃く残る。怒りを抱いていたり、悲しかったり、そして楽しい時も、精神が昂っている時ほど霊気の跡は濃くなるはずだ。


「さっき除霊した霊は怒り狂っていたから、あれほどはっきりと、そして長い時間、跡が残り続けていたのでしょうね。もう一人の霊の跡は消えてるです」

「ふむ、喧嘩から逃れられてほっとした。というところかのう」

「さっきの霊が金本さんの部屋の霊なら辻褄は合うですけどね。なんだか感じが違うんですよねー……」

「うむ……まあ、今更どうこう言ったところでどうにもならぬ。もう一方の霊が、まことの金本の部屋の霊なのかも分からぬのだしな」

「確かにそうですけど……はぁ、仕方がありませんね。捜し続けるにしても、また一から手掛かりを探さないとだし、この件ばかりにかまってもいられませんし。今日の所は一旦切り上げましょうか」


 梓がそう決めて踵を返した頃には、もうすっかり日が暮れていたのだった。

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