2 霊媒体質
――今日もまた、手を振る彼女に手を振りかえした。遠目に見る限りではスタイルもいいし、真っ白なワンピースもシンプルでセンスが良いと思う。髪は肩か、ひょっとすると腰まで伸ばしているのかもしれない。きっとサラサラなんだろうな――。
「はあ、またか……」
俺は溜め息をついた。元から霊媒体質の俺は、不幸な事に、霊が俺に近寄った時点で気付いてしまったのだ。
「オマエヲコロスコロシテヤル」
やはりそうだ。案の定、お決まりの言葉が耳元に囁かれた。当然の如く、女性の、おどろおどろしい、低く唸るような声だ。
「ああ、それ系の霊ね、今までどれくらい居たかなあ、そんなの」
相変わらずのテンプレな霊に、俺は飽き飽きしていた。とはいえ、出来るだけ早く誰かにお祓いをしてもらわないと、たちの悪い霊なら死んでしまうかもしれない。いくら慣れているとはいえ、呪いに耐性が付くわけではない。
「ええと、取り敢えず時間稼ぎだな」
俺は鞄の中から粗塩を取り出すと、体に振りかけた。霊は一瞬怯む雰囲気を感じさせたが、それは本当に、ほんの一瞬だけだった。
「ナメタマネヲ!」
霊の声が、再び耳元へと囁かれた。さっきよりも語気が強くなっている。
「……更に挑発してしまったか」
どうやら、この霊は、お祓いに対してそこそこの耐性は持ち合わせているらしい。
「……厄介だな、おい」
このタイプは、俺か、俺に似た人間に悪意を持った、悪霊ってところだろうか。執念が強い分、素人の俺の手には余りそうだ。
「ええと、この辺に神社ってあったっけ……」
俺は早足で歩きながら、スマートフォンにこの周辺の地図を表示させた。
「寺ならあるな、ちょっと遠いけど、ここからじゃあ、ここしか無さそうだ」
俺は逆方向へと方向転換した。
「あー、やべえかな……いや、ギリで大丈夫か……」
俺は霊の威圧感とこれまでの経験から、どれくらい持つかを考えた。
「おっと……こいつ、俺に憑依しようとしてやがる」
一瞬、意識が消えそうになった。俺はバッグの中から清酒を取り出し、口にほおばった。
「キサマ!」
案の定、霊が怒りだした。無理もない。悪さをしようとした相手が、何故か次々と小賢しい対処をしているのだから。
とはいえ、俺としても対処しないわけにはいかない。これといって目標も無いまま生きている俺だが、死ぬなんてのは、もっての外だ。
(さて、これもどれくらい持つ事やら)
意識ははっきりしたものの、それは一時的なものだろう。今から、緩やかにだと思うが、俺の意識は侵食されていくだろう。または、霊が何かを仕掛けてきて、意識が乗っ取られる前に事故死するかもしれない。
「やれやれ……」
自分自身のあまりの霊媒体質に、自分自身で呆れてしまう。
自分がかなり危険な状態に置かれている事、そして、今まさに死の危険と隣り合わせになっている事は分かっている。が、もはやそれが日常茶飯事になっているので感覚が麻痺しているのだろう。俺は霊の声を聞きながら、真昼の街中を淡々と歩き続けた。
「ちょっと! あたしのに何してんのよ! 離れなさいよ!」
「……うん?」
少女の声が聞こえる。かなり幼い声で、恐ろしさは感じられないものの、恐らくは霊。この絶賛激怒中の霊とは別の霊だろう。
「ナンダキサマハ!」
「あんたには関係ないでしょ!」
なにやら言い争っているようだ。
「ジャマヲスルナ!」
「きゃあっ!」
いや、この雰囲気は、言い争っているどころの話ではない。もっと直接的に……霊なりに、自分の体……があるのかは分からないが、霊体か何かで喧嘩しているのかもしれない。
「こいつっ! お前なんか、あいつに比べたら全然弱っちいんだから!」
「ギャアッ、ナニヲスルキサマ!」
幼い声を発している霊の方は俺の味方をしているみたいだが……経験上、そんな怖さを感じさせない霊の方が、かえって悪い場合が多い事を、俺は知っている。
「あんたなんか、全然怖くないんだからっ!」
「……チッ、キブンガソガレタ。モウスキニスレバイイ」
俺の近くから、すうっと一つの霊の気配が消えた。
(もう一人の霊が最初の霊を追い払ったのか。気分は楽になったが……)
俺は寺に向かって歩き続けながらそう思った。
「はぁ……はぁ……やったわ!
最初の霊が去ったのに、まだ俺から離れない。どうやら、この霊の方も俺が目的らしい。俺の名前を知っているという事は、俺の顔見知りだろうか。声の若さから、ばあちゃんではなさそうだが……。
「……大丈夫だ」
俺は慎重に返事をした。それに感謝の気持ちなど込められているわけは無く、ただ、相手の事を探りたいための返事を口から発した。
「良かった! 怪我も無さそうだし、一安心ね」
霊の声が聞こえた瞬間、目の前に人が現れた。いや、これは人の姿をした霊だ。少女声の霊の何かしらのトリガーを、ふとした拍子に引いてしまったのかもしれない。
その姿は、少女は少女でも小学生の低学年くらいに幼く、肩にリボンのついたピンク色のTシャツに、二重フリルの水色スカートを履いていて、長いツインテールは僅かに風になびいている。
「……」
幼い声だとは思っていたが、年齢までこれ程だとは思わなかった。俺はその姿を見て一瞬足を止めた。が、すぐ再び足を進めた。幽霊に気を許してはいけない。気を許した瞬間に何をされるかは、嫌というほど思い知っているから。
「そういえばさ、どうやって追っ払ったんだ、あの霊」
とうとう辿り着いた寺の石段に腰を下ろしながら、俺は霊に聞いた。ここまでくれば、とりあえずは安心だろう。危険だと感じたら、すぐにでも寺に飛び込んで除霊してもらえばいい。
「どうやってって……戦ったのよ。あの気味の悪い女の霊と」
「女の霊って……お前だってそうだろ」
俺にとっては、こいつも気味の悪い女の霊である事に変わりは無いのだが、気が立って何かされたらたまらないので、俺は出来るだけオブラートに包んで言った。
「そうだけど……やっぱり幽霊は苦手だし……」
「苦手なのか? 自分も幽霊なのに」
「……」
霊はこくりと頷いた。
「……まあいいや。で、戦ったって、殴り合いの喧嘩でもしたのか」
「そうに決まってるじゃない。武器なんて持ってないんだから」
「はは、なんだか生きてるような幽霊だな。俺の会った中でも珍しい」
霊を怖がったり、霊同士で殴り合いをした霊なんて、今まで数多くの霊と遭遇してきた俺でさえ、見た事も聞いた事も無い。
「そうなの? あたし、ここに来たばっかりだから、他の幽霊がどうしてるかなんて分からないの」
「ふうん……」
所謂「この世」に来てからまだ日が浅いという事か。こんな事、これまで考えもしなかったが、霊の世界なら、そんな概念があるのかもしれない。
「ん? 待てよ、一回成仏したって事か?」
この世に来たという事は、これまではあの世に行っていたという事だ。
「……うん、良く分からないけど、そうだと思う」
この様子だと、死んだ時にはすんなりとあの世に行けたという事だろうか。
「何でもう一回この世に来たんだ?」
「あたしにも分からない」
「あの世で問題でも起こして追放されたか?」
「そうじゃないと思うけど……」
彼女は不安そうな顔をした。どうやら本当に、右も左も分かっていないらしい。
「何だ、あの世で何かあったのか?」
「……ごめん、あの世の事は聞かないで。あんまりいい思い出は無いから」
「……」
「……」
暫くの沈黙の後、俺は口を開いた。
「ああ。分かった」
例えそれが霊であれ、触れられたくない事に干渉するのは趣味が良くない。
「何で俺の名前、知ってたんだ?」
「何でって、あたしの姿、見えるんでしょ?」
「見えるが?」
「分からないの?」
「んー……俺の名前を知ってるって事は、顔見知りには違いないんだろうが……」
俺は懸命に記憶を掘り起こしたが、見当がつかない。
「ほら、学校で給食の時、一緒のグループだったじゃない」
「学校? ああ、そうか」
この格好って事は、恐らく小学校の時に亡くなった人なのだろう。それも、恐らくは低学年。
「……ああ、思い出した。確か小一の時、病気で亡くなった子が居たな」
「そう! その子、あたし!」
「えっと……?」
「そうよ!
「ああ、そうだった。そんな奴、居たなあ」
俺はぼおっと空に浮かぶ雲を見た。
「……それだけ?」
「それだけって、他に何をしろと?」
「もうちょっと、こう……感動の再開とかさ……」
「だって、知人の霊に合うのは初めてじゃないし、そんな小さい時の記憶なんて殆ど無いようなもんだし……」
おぼろげには覚えているが、何かを話せと言われても、困る。
「そんな……」
悠の顔は崩れ、泣きそうな顔をし始めた。
「いや、まあ、なんだ。他、当たればいいんじゃないか? お前の事、俺より覚えてる奴、居るかもしれないし」
祟られても嫌なので、軽くフォローをしてみる。
「な……何よ、その言い方!」
うむ、俺の、どれだけ意識しても治らない口の悪さは、霊に対しても有効らしい。
「すまんな、これだけは自分でもどうにもならないんだ……てかさ、お前、こんなにしおらしい性格だったっけ?」
この会話で俺の記憶のどこかが刺激されたのだろうか。何となく、悠の性格を思い出した気がする。
「なっ……」
どうやら彼女を怒らせてしまったようだ。泣きそうな顔に加えて、怒りそうな要素もプラスされてしまったらしい。
「……呪ってやる」
でた、霊の決まり文句。この言葉、これまでに何千回聞いただろうか。
「ま……とにかく、早く成仏しろよ。俺は心霊現象にはとっくに飽きてるんだよ」
「……憑いてやる」
うむ、これもお決まりの言葉だ。最初は変わった奴かと思ったが、人間、やはり霊になるとステレオタイプになり下がるという事だろうか。
「なんだよ、幼馴染とか言いながら、他の霊とやる事は一緒かよ、勘弁してくれよ……ま、いいや。お前、無害そうだし、どうせ暫く憑いてたら、つまらなくなって帰るだろ」
俺は最早、会話するのも面倒臭くなり、そんなセリフを吐いた。
「……絶対……」
「うん?」
擦れ声で、かつ不明瞭な言い方に、俺は思わず聞き返した。
「絶対一生憑き纏ってやるんだから!」
こうして、この霊とは思えない一言によって、俺と霊の、奇妙な共同生活が始まってしまった。が、それ以上に奇妙な事が起こるだろうとは、この時の俺は夢にも思っていないのであった。
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