第3話  入社準備を始めよう!

 


 就職説明のパンフレットを眺めているのもいいかげん飽きた頃に、潮の香りがしてきてもおかしくはないような都内湾岸地域に到着した。港湾関係者なのか倉庫街の守衛所で受付をしているじいさん。なんだかこのまま船で売られていくような気もしないこともない。


「もうちょっとじゃ」


 港湾労働者がまばらにいるなか、明らかに使用していないような古い倉庫が立ち並ぶ一角に入る。本当に使用していなかったらしく、左右に収納されるタイプの低い鉄門の前にハイエースを止めて、鉄門の掛けられている頑丈そうなロックを外している。鉄門を押して開けようとするが、大分重いらしく思いのほか開いていない。


「こちらは私が」

「じいちゃん大丈夫っすか? 自分やるっすよ!」

「二人には世話になるの……(チラッ)」


(社会派紳士は動じない。既に人数の足りている状況に出張る必要性は微塵も無い。あの程度の目線ではこの俺は動かせん)


 二人は律儀にハイエースが入った後にまた鉄門を閉める。じじいが満足そうに頷き、またもやこちらに目をやってくる。


(ふんっ。全く寂しがりのじじいだぜ。俺達はあんたの孫じゃないぜ。ハハッ)


「……まだ内定とは言っておらんけどのう」

「ああっ! おじい様っ! もしよろしければハイエースの窓などお拭き致しましょうか!? ご希望であれば、あらん限りの水抜き剤で燃料タンクを満タンにしてみせますっ!」


 ありあまる優しさで、じいさんの心と体を鷲づかみにする。


「ええいっ! 離さんかっ! いらんわい! そんなに水抜き剤を入れてどうするんじゃ! ワシは水抜き剤をセールスされるのがこの世で一番嫌いなんじゃ!」


(まずいっ! どうすれっば!?)


「お願いしますっ! 見捨てないで下さいっ! ここまで来て見捨てるなんてあんまりじゃないですかっ!? なんでもっと速く見捨てなかったの!? 私が悪いの!? ここまで気を持たしておいてっ! このっ!」

「わかった! わかったわい! とりあえず離さんかっ!」

「離したら見捨てるのねっ! 絶対離さないわっ!」

「わかった! お主は内定じゃ! なっ!? わかったじゃろ!?」


(ふん……仕方ない。手を離してやるか……) 


「なんて男じゃ……こんな者を……ワシも年をとったもんじゃのう……」


(見ればわかるな……ふんっ)


 するといつのまにか鉄門を閉めていた二人がこちらをうかがっていた。


「パイセン只者じゃないって思ってましたけど……すごいっすね……」

「仲間としては頼もしい限りだ」


(……なんだか評価が上がってるのか下がっているのか良くわからないな)


「じいさん。もちろんこの二人も内定なんだよな?」

「内定を出したとたんタメ口とはの……お主を落としてもこの二人は内定じゃ……っええぃ! 何するかっ! これっ! 離さんかっ!」


 こうして愚かにも、じじいとじゃれあっているうちに日は落ちていく。



 


 こうしてめでたく内定をもらった俺は、その内定をくれたじいさんと、二人の仲間と共に古びた倉庫の中にいる。薄暗い倉庫内は、ただただ広く静まり返っている。音といえば、たまに反響する俺らの声や足音のみ。そして光においては、数少ない窓や半透明化された天井の一部から差す夕日のみで、より薄寂しい気分にさせる。


(まさか本当に人身売買のブローカーに売られるんじゃないだろうな……)


 現実に起こりそうな状況と場所が、否応なしに気分を鬱屈させる。聖夜と紺野さんは覚悟を決めているのか、動じない様子で辺りを伺っている。


「度々またせて悪いがの、ちょっと待っていてくれぬか」

「……」

「は~い」

「分かった」


 薄暗い倉庫の奥へ進んで行くじいさん。そのまま闇と同化して化けて出てきても、おかしくない雰囲気でもあった。じいさんとじゃれ合っていた時とは打って変わって、不安がこみ上げてくる。このまま流されていいものなのか。


「どうしたんすか? パイセン?」

「いや……追われて逃げている状況とはいえ、さすがに流され過ぎだなと思ってさ。何も分かってないのにホイホイついていっちまってるんだ」

「しょうがないんじゃないっすか? 選択肢が多く存在しない時もあるっすよ」

「大丈夫。一人じゃない」


(なんでそんなに嬉しそうなんだよ! この角刈りっ! これからどうなるかも分からないのに……)


「考えても仕方ないっすよ! とりあえず選択肢があった事に感謝するっす!」

「これからの事はこれから考えればいい」

「……」


(今は考えるだけ無駄か……あのじいさんが戻ってこないうちは……っ!?)


 すると、静けさを破る乾いた甲高い音が倉庫内に響き渡る。じいさんが歩いて行った場所からだ。俺はすぐさまに音の原因を理解したが、何故それを動かすのかは理解出来なかった。


「あっ! 来たっすよ!」

「あれは……」

「……」


 先ほど闇に消えていったじいさんが一台のスクーターに乗って、派手に騒音をまき散らしてこちらに向かってくる。タイヤを暖めているのか左右に車体をあおりながら、こちらにやってきた。


「待たせたの」


「おおっ! J◯G90じゃないっすか!? クールっす!」

「聖夜知ってるのか?」

「はい! 親父がこれで通勤してるんすよ!」

「懐かしいな……」


(紺野さんが旧友に出会ったように懐かしんでいる。あ……でもこの人、友達いなさそうだからこの表現は間違いだな)


 じいさんはアクセルを一定にしたり、あおったりしてアイドリングが安定するのを待っている。そのスクーターのナンバーは黄色でフェンダーレス仕様。純正リアキャリアも取り外しされていて、リヤショックも他社製品に変わっていた。


 そして倉庫内に高音を轟かせているチャンバーはユーロスタイル。チャンバーから伸ばされた排気管は後方部分で180度折れ曲がる。そして前方へ戻りサイレンサーが装着されるのがユーロチャンバーとなる。


 服装は革ツナギになどにはなっておらず、先ほどと一緒で山高帽に燕尾服、そして革手袋。持っていたステッキは釣りのロッドホルダーを流用しスクーターに備え付けてある。だが一番に俺が気になったのはじいさんの靴だった。先ほどの革靴ではなく、白のハイテクシューズに変更されている。


「なんじゃ? ワシの靴に見とれたかの」

「なんで靴を履き替えたんだよ」

「互いの大事な足下じゃ。単車に乗るなら、靴とタイヤはDUNL◯Pが定めじゃろ」


 自信満々にそう答えるじいさんの目は輝いていた。俺もDUNL◯Pにはお世話になっている一員として認めたいところではあるが、なかなか素直になれない自分が存在している事も確か。


(タイヤとテントは認めるけどな……)


 その他にも製品はあるが、俺には直接関係がないので評価は分からない。


「それでこのスクーターでどうしよってんだ、じいさん。まさかこれでお出掛けしようってんじゃないだろうな? このスクーター原付二種のクセに一人乗りだろ」

「詳しいっすねパイセン! 親父がいつかくれるって話した時に、二ケツ出来ないぞって念押しされたの思い出したっすよ!」

「お出掛けするなら自慢のハイエースで向かっているわい。お主は考えが浅はかじゃの? えっ?」

「……」


(このクソじじい。どうしてやるか。さっきのハイエース盗難車ですって通報してみるか)


「じいちゃん、でも本当にどうするんすか? そのスクーターで何かするんすか?」

「お主は誰かと違って聡明じゃの」

「……」


(とりあえず一報入れておくか……)


「スマホをしまうのじゃ」

「……」

「取り消ししようかの内定」

「(スッ)」


 内定を盾にされ脅される可哀想な俺。この凶悪なじじいの姿をした妖怪は、俺の激しい憎しみを吸って生き永らえている。そう、俺はじじいに負けたのではない。この哀れなじじいという名の妖怪を生かしてやっている聖人でもある。


(退治しないだけでもありがたく思えよ……)


「本当に分かりやすいのう。お主は……もう黙ってくれればええわい。んじゃ用意もした所で説明するかの」


(早くしやがれ)


「コホン。それでは今からお主らを異世界へ旅立たせる」


(……はぁ? こいつマジモンかよ。こういう奴ってハッキリ言ってやりたいけど、禁止用語を盾に名誉毀損とか言って余計面倒な事になりそうだからな。とりあえず精神の位が高すぎるっていう表現くらいにしとくか。精神ってのは高すぎても低すぎても駄目だからな。いや~位が高いっすね!? お・じ・い・さ・ん?)



「コホン! それじゃ始めるとするかの……お主らそこから少し下がってくれぬか? そうじゃ。もう少し……その辺りなら大丈夫じゃろ。それじゃ始めるとするかのっ!」


 すると甲高い2サイクルエンジンの排気音が今まで以上に響いて倉庫内を支配する。合わせてリアタイヤとユーロチャンバーから激しい白煙が巻き上がり、じいさんもスクーターも煙にまかれる。


(フロントタイヤを軸としてリアタイヤを空転させて円を描くように動いている!?)


「すっげー! カッコいいっすよじいちゃん!」

「マックスターンか……」


 紺野さんはその行為を知っていたようだ。いったい何をするつもりだ。とち狂ったかと考えたその時、じいさんはタイヤ跡で円を描き終わっていた。


 すると今度は円周上からホイルスピンするようにスタートダッシュをし、向こう側の円周までタイヤ跡を付ける。円周の外にはタイヤ跡を付けずそのまま奥へ走り抜け、その場所でクイックにUターンをする。そして最後に円周内に付けた直線と円が交わる点から、向こう側の円周まで直線のタイヤ跡を付けて走り抜ける。直線的な動作を合計五回繰り返し、その形は完成する。


(五芒星……魔方陣!?)


「凄いっす! 星っす! ☆っすよ!?」

「排気ガスとタイヤの匂いが複雑に絡み合って、それでいて互いを尊重している。これは匂いのハーモニー」


 紺野さんは鼻をクンカクンカさせて匂いを嗅いでいる。悦に入ったらしく恍惚としている。続けてじいさんは煙と爆音を立てながら、三つの五芒星を作り上げる。出来上がった三つの五芒星の中心点は、大きな正三角形の各頂点であろう位置だった。


(じいさんがスクーターとリンクし合っているっ! じいさんというスクーターなのかスクーターというじいさんなのか。なんにせよ一つの生物のように、そしてそれが当然であるかのように寸分違いない五芒星を仕上げる妖怪。侮っていたぜ……)


 するとそんな俺の心を見透かしたかのように、じいさんはこちらを見て頷く。その瞬間、少し間合いを取り加速をつけて、三つの五芒星を取り囲むよう外側に大きな円をアクセルターンで作り上げる。


「……とまあ、こんなもんかの」

「すげーっすよ!? じいちゃん! いぶし銀っす!」

「たしかに刺激は強いが、その奥に秘められた繊細な工業製品の化学的な味わい……まさかこのような淫靡なるフレグランスいに出会えるとは……恐悦至極」

「……」

「……どうしたかの?」

「……いや。完敗だ。ここまでの御方とはな」


 じいさんはその言葉に安心するかのような微笑みを見せ、荒ぶったスクーターのエンジンを切る。三人とも興奮冷めやらぬ状態であった。徐々に晴れる煙とともに現れる、大きな円に入った三つの五芒星。魔方陣とも見える立派なその形に、俺たち三人は魅了されていた。









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