たくさんライフ

鈴木介太郎

第1話 拉致られて再会

 葉月夕は冷たいコンクリートに倒れ伏していた。右頬がひんやりと冷たくて、殴られた頬の痛みが若干和らぐ。気持ちいいとさえ思えた。

「おい、立てやこら」

 葉月の顔先に立つニキビ面の少年がどすの利いた声で言った。

 その言葉は葉月の耳を素通りする。脳震盪でも起こしたのか、頭が意思に反して回ってくれず、うわの空でただコンクリートのひんやりとした感触を楽しむばかり。

 業を煮やしたニキビ面の少年が、しゃがみこんで胸ぐらをつかんだ。そのまま無理やり立ち上がらせる。葉月は足に力が入らず、膝は地面に着いたままだった。

「しっかり立てや!」

 右頬を殴られ、再び地面に倒れ伏す。そのまま三度頬をぶたれた。口の中が切れて、鮮血が飛び散った。鉄の味がした。

「てえめ、よくもナンパの邪魔してくれたな。死んで詫びろや!」

 そう言ってニキビ面の少年は転がっていた鉄パイプを手に持った。まるで甲子園を目指す野球少年のように念入りに素振りを始める。殺される、と葉月はその時になって初めて思った。バットで殴られたらただでは済まない。病院送りは確実、最悪死ぬだろう。

 フラフラとなんとか立ち上がる。

「お、抵抗する気か? ま、そのほうが面白いけどよー」

 一歩下がると、その倍のスピードで詰め寄ってくる。さらに鉄パイプを地面にこすりつけながら迫るので、異音が耳をつんざく。ニキビ面の少年以外にも数人ほど、この廃墟ビルに居るのだが、その全員がにやにやと嬉しそうに、楽しそうに葉月の様子を見ている。

 壁まで追い詰められた。

「死ねや」

 ニキビ面の少年がパイプを振り上げた瞬間、葉月は恐怖のあまり目を強く閉じた。一瞬が何分にも感じられた。

「夕ちゃん?」

 誰かが葉月の名前を呼んだ。痛みは襲ってこない。

 恐るおそる目を開くと、ニキビ面の少年は首を後ろに向け、パイプを振りかぶったまま停止していた。ニキビ面の少年越しに、葉月は声の主へと視線を向けた。

 そこに立っていたのは、十代ぐらいのセーラー服を着た女の子だった。髪は長く金髪で、鋭い目をしているが整った顔立ちの美人だ。葉月は彼女に見覚えがなかった。これほどの美貌を持つ、しかも女子高生の知り合いなど自分にはいない。それとも、この場に居る他の誰かが自分と同じ名前なのかもしれなかった。

「千夏、来てくれたんだな!」

 ニキビ面の少年が嬉しそうに言った。

「……気安くあたしの名前を呼ぶんじゃねえ」

 千夏と呼ばれた少女はしかし、ニキビ面の少年に辛らつな言葉を発した。その眼は嫌悪に満たされている。それにしても口調が激しい。

 千夏という名前を葉月は知っていた。遠い昔の記憶に、その名前の子が刻まれている。だが、信じられなかった。記憶の中の子と、目の前に居る少女の姿がまったく結びつかない。

「夕ちゃん、でしょ?」

 千夏はニキビ面の少年を無視して葉月に話しかけてくる。

 葉月は戸惑いながら答えた。

「……ええ、僕は葉月夕です」

「やっぱりそうだ!」

 彼女は葉月へと駆け寄ってくる。葉月は未だ事態を飲み込めずにいたが、かすかに思い出した名前を言ってみた。

「……もしかして、岡村千夏?」

「うん」

 そう言って、千夏は満面の笑顔で頷いた。

 

 葉月夕はうずたかく重なっているレンタルビデオと向かい合っていた。一つひとつ丁寧に、それでいて素早く返却処理を施していく。やる事は簡単であるが、決して手を抜くことのできない重要な仕事だ。ミスをすれば延滞になってしまいお客様に迷惑がかかる。

「すみません。いいですか?」

 そこに声をかけられた。振り返ると、女性のお客様が立っていた。このお客様の顔を、葉月はある理由によりよく覚えていた。

 周りを見回すと、レジ係の二人は会員カードの登録にかかりきりになっていて対応できないようだ。

 葉月は一旦作業を止めてレジに向かった。

「いらっしゃいませ」

 とマニュアル通りに笑顔で挨拶をする。

 手渡されたお会計のレンタルビデオは一本。葉月は確信を持ちながらタイトルを盗み見た。やはり、『もののけ姫』だった。

 バーコードを入力し、提示された会員カードをスラッシュすると、画面にレンタルされた回数が提示された。葉月はそれを読み上げる。

「お客様、こちらのDVDですが、三十七回ほど借りられておりますがよろしいですか?」

「あ、はい」

 一回以上レンタルをしていた場合、注意勧告するのがルールである。そのため三十七回目のレンタルであろうとも、マニュアル通りに葉月は進言した。そして葉月が彼女を覚えていた理由は、もちろん『もののけ姫』の異常なまでのレンタルの回数だった。

 作業をしながら、ふと葉月は口を開いた。

「もののけ姫、お好きなんですね」

 普段なら無用なトラブルにならないためにもマニュアル以外のことは言わない葉月だが、今回だけは違った。度重なるDVDのレンタルに、ある古い思い出が刺激されたからだ。

「……ええ」

 彼女は一瞬反応が遅れたが、しっかりと返事をした。続けて、

「彼が、好きなんです」

 と、幸せそうに言った。

「そうなんですね。お釣りになります」

 レシートに載せたお金を渡すと、お辞儀をする。

 彼女の背中を見送りながら、葉月は小さい頃仲の良かった幼馴染のことを思い出していた。一度蘇ると、次々と鮮やかに記憶は呼び起こされる。

 幼馴染の岡村海人は、映画が大好きで一週間に一回何かしらレンタルビデオ――当時はDVDではなくビデオだった――を借りて一緒に見ていた。彼には癖があり、好きな映画は何回も借りてしまうのだ。

 葉月はいつも、どうせなら買えばいいのにと思っていて、ある時その旨を伝えたことがある。すると海人は予想外なことを言った。

「俺はレンタル屋が好きなんだよ。買ったら行く理由がなくなるだろ」

 理由がなくても来たいときに来ればいいのに、と葉月は素直に思うのだが、そういう理屈ではないらしい。

「オネエチャン何借りたの?」

 甘ったるくて不快な声が不意に聞こえて、葉月は、はっと我に返った。

 声のした方を見ると、ガラの悪い少年三人が、さきほどレンタルしていったお客様に話しかけていた。というよりも、悪質に絡んでいると言った方が正しいかもしれない。

 女性は困ってしまったのか、硬直してしまう。尚も話しかけ続ける少年たち。女性は頭を下げて脇をすり抜けようとしたが、一人の少年――ニキビ面の少年――が立ちはだかる。

「ちょっ、無視しないでよオネエチャン」

「すみません、急いでますので……」

「そんな急がないでいいじゃんよ。借りたDVDを訊いてるだけっしょ?」

「……もののけ姫です」

「えー偶然! 俺も好きなんよ。気が合うじゃん俺達」

 ニキビ面の少年は女性の肩に手を置いた。女性は手から逃れようとしたが周りの少年二人が邪魔をして避けることが出来ない。

 明らかに迷惑な連中だった。

 葉月は助けようと思った。店員として困っているお客様を放ってはおけない。だが、助けようとするまでは良かったが、一つ葉月が失敗したことは警備員や警察を呼ぶことをすっかり忘れていたことだ。

 ――真にアホである。

「お客様、そちらの方が困っています。止めください」

 葉月は物腰柔らかに訴えた。

「あ? 誰だてめえ」

 ぎろり、とニキビ面の少年は葉月を睨み付けた。気圧されながらも説明する。

「えと、私はバイトの葉月夕です」

「そんなこたあ見りゃ分かんだよカス。邪魔すんじゃねえよ殺すぞ」

「いや、そういうわけにも……」

 葉月は根気強く言い続ける。しかし事態は悪化していく。

「てめえ、ド突き回すぞこら!」

 ニキビ面の少年がキレて手を出してきた。胸ぐらを掴まれ、激しくゆすぶられる。

「や、やめてください!」

 眼鏡がずれて視界がブレて前が見えなくなる。首が痛む。

 ようやく揺さぶりが終わると、眼前には恐ろしいほどの形相で凄むニキビ面の少年がいた。胸ぐらをつかまれたまま、ニキビ面の少年の片方の腕が後ろに振りかぶるのが見えた。殴られる、と思い身構える。

 とそこに、

「なにをやっているんだ!」

 危機一髪で警備員の男性が駆けつけた。さすがの不良少年たちも警備員は拙いと思ったのか、悔しそうに葉月と女性を一瞥しながらも「行くぞ!」と言ってどこかに消えた。

「大丈夫ですか?」

 女性が心配そうに言って倒れ込む葉月に手を差し出してきた。

「はい……ありがとうございます」

 有難くその手を取って立ち上がる。

「いいえ、私の方こそ。本当にありがとうございました」

 女性は、柔らかくはにかんだ。

 

 不良少年たちとの騒動が警備員のおかげで収束した後のバイトの帰り道、葉月夕は騒動の犯人でもある不良少年たちに待ち伏せされていた。瞬時に取り囲まれ、抵抗できないように押さえつけられた葉月は、口々に罵りの言葉を投げかけられながら、彼らに拉致され、廃ビルへと連れてこられた。

 そこで葉月は、偶然にも懐かしい知り合いと再会した。

「千夏、そいつと知り合いなのか?」

 ニキビ面の少年が意外そうに言った。そこには嫉妬の感情も含まれているように、葉月には感じた。

「あんた、気安く話しかるなって言っただろうが」

 そんなニキビ面の少年の想いとは裏腹に、千夏は彼を心底嫌っているようだった。

「おい千夏。亮って呼べって言っただろ」

 千夏はもう、そんなニキビ面の少年――改め戸川亮平を完全に無視して葉月との久しぶりの再会に感動の面持ちだった。

「夕ちゃん久しぶりだね! いつ帰って来てたの?」

「あ、うん。半年ぐらい前にね……大学に通うためにこっちに越してきたんだ」

「ここに近い大学って言ったら、坂守大学だ。て、半年も前に帰って来てたんだったら、なんで連絡の一つも寄越してくれなかったのよ」

「まあ、それは、タイミングというか……」

 実際のところ、葉月は幼馴染たちに会うつもりはなかった。大学に行くためにたまたま地元に帰って来ただけで、今更会いに行っても迷惑だろうと思っていたからだ。もう離ればなれになって九年が経つ。途方もない時間が経過していた。

「タイミング、ねえ」

 疑わしげに見つめる千夏。だったが、ふっと顔がほころぶ。

「ま、いいわ。とにかく行こ。積もる話もあるしさ」

「まあ、僕もそうしたいけど……」

 と言いながらちらりと盗み見ると、戸川亮平が憤怒の表情でこちらを見ていた。

「帰すと思うか?」

 亮平は恐ろしい一言を言い放つ。指の骨をぽきぽきと鳴らしながら。

「指、太くなるよ」

 千夏は的外れな指摘をする。葉月はくすっと笑ってしまった。その態度に亮平は過剰に反応した。だが千夏は、葉月の手を引きながら――その手の温もりに頬が熱くなった――堂々と帰途につき始める。

「おい待てや!」

 簡単には返してくれそうにない不良少年たちに、千夏はただ一言言った。

「もし夕ちゃんに手を出したら、てめえぶっ殺すからな」

「マジで?」

 口をぽかんとあけて、亮平は硬直した。千夏は、そんな亮平の気持ちを知ってか知らずか、そのまま一瞥もくれることなく悠然と廃ビルの外へと出た。

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たくさんライフ 鈴木介太郎 @harapeko26

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