第6話 井の頭公園-三月  藤田 辰雄

「カンカンカン」息子の秀也が踏み切りの音を口まねしている。

 毎朝七時にこの小さな踏み切りで立ち止まり、列車が通るのを二、三本見なければ、朝のお散歩は再開されない。

夏の間は暑かった早朝の日差しも、九月の下旬にもなるとだいぶ和らいできて心地良い。歩いている人も少ないこの時間帯に散歩できるのは、贅沢のようにさえ思える。フリーのライターというやくざな仕事をしているおかげで、比較的時間の自由が利く午前中の時間に息子と過ごすというのが、妻との約束事になっている。夜遅い日の翌朝は正直辛いが、息子はそんなことにはお構いなしに、六時半になると判で押したように散歩をせがみに私を起こしに来る。

「次に来る電車は何色かな?」まだ警報音の口まねをしている秀也に私は尋ねた。七色ある井の頭線の色を当てるのが、最近秀也がはまっている遊びだ。

「キイロー」

「うーん、残念。黄色い電車は井の頭線には走ってないんだよ。黄色じゃなくて、オレンジかな?」

「オレンジー」秀也は元気良く言い直す。

 散歩とはいっても、秀也は横着をしてずっとベビーカーに座っているくせに、この場所でだけは自分の足で立って、電車が来るのを踏み切りから覗きこもうとする。危ないので、抱きかかえて支えようとするのだが、すぐにその手を払いのける。そういうところは強情だ。その目の前を、オレンジ色の電車が通り抜ける。

「すごいね!当たりだ。オレンジだったよ。なんで分かった?」

「つぎはピンク」

「えっ、もう一台見るのかい?もう行こうよ」

「やぁだ、ピンク」

「分かった、分かった。もう一台だけだよ」

 私はあきらめて、上げかけていた腰を下ろして秀也と視線の高さを合わせる。次の電車が来るまで、しばらく時間がかかりそうだ。開いている踏み切りの前で足を止めている様子は、まわりから見たら不審に思えるだろう。

(無理心中しようとしているなどと思われなければいいけれど…)

 列車が来るまでの間、両手を使ってキツネやハトなどの影絵を作って息子をあやしていると、踏み切りの向こう側に女の人が近づいてくるのが見えた。渡るのかなと横目で見ていたが、どうやら渡る気配がない。どうしたのかと思って、カニの手を作ったままそちらに目を移すと、踏み切りの脇に供えられた花を換えているところだった。何となく見てはいけないところを見てしまった気がして、思わず目をそらす。すると、警報機の音が鳴り出し、遮断機が閉まり始めた。

 次の電車はピンクだった。またもや秀也の言った通りの色だった。

「すごいぞ、秀也。また当たりだ。今日は冴えているね」

 もしかしたらこの子には特殊な能力があるのかもしれないと、親ばかなことを考えながら、開きはじめた踏み切りを渡る準備をする。二回とも色を当てたのが余程嬉しかったのか、秀也はすぐにベビーカーに乗り込んで、上機嫌で散歩を再開した。ベビーカーを押して、踏み切りを渡っていくと、線路脇には焚かれた線香の煙が漂っていた。先程の女性が花と水を交換し終えて、ちょうど手を合わせているところだった。四十代後半だろうか。暗い色のワンピースに黒いローヒールの靴。手には小さな数珠を携えている。きゅっと締まった唇には、その地味な格好には不似合いなほどの鮮やかなサーモンピンクの口紅がさされている。若い頃にはさぞ美しかったであろうと想像できる透き通る白い肌が、中年を迎えた顔立ちにもまだしっかりと残っている。暗い色の装いのせいもあるだろうが、どこか悲しげな雰囲気がその表情には宿っていた。

 私たちの気配に気づいて、ふいに顔をあげた女性と目が合った。彼女は私の姿を認めると、「あっ」と小さな悲鳴にも似た声を上げた。一瞬私は顔見知りかなと思って、今一度彼女を観察するがどうにも思い当たらない。どうしたものかと戸惑っていると、彼女のほうから声がかかった。

「失礼いたしました。知り合いに良く似ていたものですから」

 どうやら人違いらしい。不思議な事だが、私にはよくこういう事がある。どうも世間にありふれた顔立ちのようだ。

「そうですか。実はよくそう言われるんですよ。よっぽどこの顔は出回っているらしい。ハハハッ、どうぞお気づかいなく」

 私はそう答え、ベビーカーとともに立ち去ろうとする。しかし、二人の会話を聞いていた秀也がベビーカーから手を伸ばして、婦人が先程取り替えたばかりの花に触れようとした。どうやら活けられた菊の花に興味をもったらしい。

「おはな おはな」

「こらこら、それは大事なものだからね。触らないで」

 私はあわててベビーカーの向きを変える。

「可愛いお子さんですね。おいくつですか?」婦人が先程の非礼を詫びるように、声をかけてきた。

「二歳半なんですが、やんちゃで困っています」息子の手を押さえながら、苦笑いして私は答える。

 そんな私をもう一度見つめながら、婦人は口を開いた。

「だけど、本当によく似ている。昔の主人の若い頃なんですが…。特に目元なんてそっくりだわ」

 婦人は感心したように、私の顔に見入っている。黒衣を着た妖艶な婦人に見つめられて、私は少々照れくさくなる。

「そのご主人の供養ですか?」赤くなりながら、思わずそんな事を口走ってしまう。

「いえ、そうではないんですが…」

 私は深入りしすぎたことに気付き、詫びを言いながら逃げるように踏み切りを後にした。

「バイバーイ」秀也はそんな私の思いにはお構いなく、明るくさよならの挨拶を婦人に送った。


 その後、朝の散歩をしていると、時折その婦人を踏み切りで見かけるようになった。奇妙な事にいつも決まって月の後半、正確に言うと二十四日だった。恐らくは、亡くなられた方の月命日なのだろう。会う時は決まって、暗い色合いの服を着ていたから…。だいたいは、軽く会釈を交わすだけだったが、秀也の機嫌がいいと、しばらくあやしてくれたりもした。子供向けの歌を一緒に歌ってくれたり、時にはお菓子をくれる事もあった。

 しかし、季節がめぐり、だんだんと寒さが増してくると、外に出るのが大好きな秀也もさすがに早朝の外出は厳しいとみえて、朝の散歩の時間は自然と消滅してしまった。しかし、その間も私の脳裏には、なぜかあの婦人の事が引っかかっていた。美しいせいもあるだろうが、それだけはない。あの悲しみが宿る瞳に、時折別の感情が走るのを感じられたからかもしれなかった。その感情を表現するのは難しかった。あれはどういう種類の感情なのだろうか。自責の念?懺悔?いや、もっと深くて暗い闇をたたえた種類のものに思えた。それが何から生じるものなのか、私には気になっていた。

 婦人に対して邪まな気持ちを持っている訳ではなかったが、なんとなく妻には彼女のことは話せずにいた。秀也も何色の電車を見たかということは、妻によく話したが、婦人のことについては触れずにいた。電車以上の興味を惹かれなかったからかもしれない。


 そして、寒い季節もようやく峠を越し、そろそろ桜が咲きはじめるというある朝、目が覚めた秀也は思い出したように朝の散歩をせがみ始めた。

「そろそろベビーカーも買い替えなくっちゃいけないわね」妻はそう言ってため息をついた。

 確かに以前より大きくなった秀也は、今のベビーカーでは窮屈そうだ。それでも無理やりそれに乗り込んだ秀也は、「いってきまーす」と元気良く挨拶をして出発した。久しぶりの朝の散歩が余程嬉しいらしく、鼻歌まで歌っている。私も朝の散歩に気持ちのいい季節が再び巡ってきたことに喜びを感じていた。自然に気分がはずむのを私も感じながら、秀也お気に入りの電車の見える散歩道をたどっていく。

 そして、あの踏み切りが近づいてきた。そういえば、今日は三月二十四日。あの婦人が来る日だと思い当たる。果たして彼女の姿がそこにはあった。彼女も私たち親子に気づき、踏み切りの向こう側から手を振ってくれた。秀也はベビーカーから降りて、彼女の方へ駈けだしていく。あわてて私も空のベビーカーを押して、秀也を追いかける。

「おはよーございまーす」

「あら、久しぶりね。秀也くん、ご挨拶が上手になったわね」

「おはようございます」私も声をかける。

「だいぶ大きくなったわね。もう立派なお兄ちゃんね」婦人が感心した表情で、秀也に声をかけた。

「うん、もうしゅーやはおにーちゃん。かけっこもできるし、えもかけるし、おうたもうたえるんだよー」

 そういうと、秀也は最近気に入っている歌を歌い始めた。

「あーおいおそらに しろいくもー みどりのそーげん らべーだー あおみどーいろのかわのそこー ピンクのさかなおいました おやつにドーナツあげますよー いちにーさんごーしーろくなな ぱくっぅ」

 大きな声で元気に歌う秀也を、私は微笑みながら見つめていた。それからふと、婦人の顔を見た。

 彼女の顔は蒼白だった。目は一点を見つめ、普段はなまめかしいピンクの唇からも血の気が引いていた。口は固く閉ざされ、まるで呼吸を忘れてしまったかのようだった。

「その歌…、その歌は誰に教わったの?」

「ちーさいおねえちゃん!ここにいたのー。でんしゃのおうただっていってたー」

 その言葉を聞いた途端、婦人は腰が抜けたようにへなへなとその場に座り込んでしまった。一体何が起こったのか私には訳が分からなかったが、一人ではとても立てそうにない彼女に肩を貸して歩かせ、近くの公園のベンチにゆっくりと座らせた。公園の水道の水でハンカチを冷やして彼女の額に当て、散歩の休憩用に持ってきた秀也のリンゴジュースの紙パックにストローを刺して飲ませた。糖分が効いたのか、彼女の頬に徐々に血の気が戻ってきた。目の焦点を合わせるかのように頭を振りながら、彼女はぼんやりと私の顔を見つめた。

「お恥ずかしいところをお見せいたしました。おかげで助かりました」

「大丈夫ですか?近くの病院までお送りしましょうか?」

「いえ、もう平気です。ただびっくりしただけですから」公園のすべり台で遊び始めた秀也を目でとらえながら、彼女は呼吸を整えて言った。

 そして、不思議そうに私に尋ねた。

「息子さんはなぜあの歌を知っていたのでしょうか?」

 彼女の質問に、私は少し考えてから答えた。

「私にも分からないのです。どこかのお嬢さんから教わったようなのですが…。」

 私の言葉を聞いて、じっと黙りこみながら彼女は何かを考えていた。その様子は話そうか、話すまいか悩んでいるように見えたが、決心したように彼女は私に言った。

「あれは私が娘のために作った歌なのです。ですから、知っているのは娘だけのはずなのです」

「娘さんに…」

「そうです。あの歌は娘がまだ小さい頃に、井の頭線の電車の車体の色を教えるために作った歌なのです。青いお空がスカイブルー、白い雲がアイボリーホワイト、緑の草原がライトグリーン、ラベンダーはそのままラベンダー色、青緑色の池はブルーグリーン、ピンクのお魚はサーモンピンク、おやつのドーナツはベージュ色。全部で七種の車体の色を歌った歌なのです」

「不思議ですね。なぜその歌をうちの秀也が知っているんでしょう」私は、彼女の表情をうかがいながら尋ねた。

「娘さんは、どこか子供向けの施設などで歌を教えているなんてことはありませんか?もしかしたら、妻がそういった所に連れて行った時に覚えたのかもしれない」

「いいえ、そういったことはないと思います…。娘は四歳の時に亡くなったのですから。そして、今日がその祥月命日なのです。毎月あの場所で供養しているのは、その娘なので

す」

「それでは、あの踏み切りで…」

「そうです。あの踏み切りで、私のせいで亡くなったのです。だから娘は私のことをまだ恨んでいて、それを知らせるために、息子さんにあの歌を教えたのだと思います」

「だけど、まさかそんな…。だってもう亡くなっているのでしょう」

「でも、そうでも考えない限り説明がつきません…」

 そう答えると、婦人は視線を落とし、ハンカチで目頭を押さえて黙ってしまった。


 私はどうしていいものか迷いながら、彼女の顔と公園で遊ぶ秀也の姿を、かわるがわる見つめていた。そして、思い切ってこう切り出した。

「もしよろしければ、その事故のことをお話ししていただけませんか?あの踏み切りで知り合ったのも何かのご縁です。私は縁というものを大切に考えています。私の顔が昔のご主人に似ているというのにも、不思議なご縁を感じます。話したくないというのでしたら、今言ったことはどうぞ忘れて下さい。でもなぜか私には、あなたのお話をうかがうべきだという思いが湧き起こって消えないのです。もしかしたら、微力ながらもお力になれるかもしれません」

 そこまで言い終わると、私は静かに婦人の反応を待った。私がそう言ったのは一つの賭けだった。婦人に話をさせた方がいいという勘が私に働いていた。彼女は心の中に、暗い闇の塊を抱えているのだ。それは今まで吐き出したいとは思いつつも、誰にも伝えたことのない種類の塊のはずだ。あの悲しそうな瞳の奥底に宿る暗い光は、そのことを暗示しているのだと私は思い当たった。今後恐らく二度とは訪れないであろう、闇を吐き出す機会が今、彼女に巡ってきたのだ。私では力不足かもしれないが、賭けてみる価値はある。私は今一度呼吸を整えて、彼女の反応を待った。

 ハンカチを顔から離し、うなだれた姿勢で私の言葉を聞いていた彼女は、目を閉じたまましばらくじっとしていた。頭の中で私の言葉を整理し、その言葉の意味と予想しうる結果とを天秤にかけているように見えた。二分ほど経ってから、彼女は深呼吸を二、三回すると、思いのほか明るい光を瞳にたたえて私を見つめた。

「ありがとうございます。そうですね。これも何かのご縁かもしれません。ご迷惑だとは思いますが、年寄りの懺悔と思って聞いていただけますか」

 そう言うと、彼女は今までたった一人で抱えていた闇をゆっくりと語り始めた。


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「この事は、今まで誰にも話したことはありません。墓場まで話さずに持っていくつもりでした。でも、あなた様と息子さんの顔を見て、気が変わりました。お話し申し上げることで、私はともかく、亡くなった娘が少しでも救われるのかもしれません。あの歌は、そうしろという娘からのメッセージだという気もいたします」

 そう前置くと、婦人は姿勢を正して地面の一点を見つめたまま、低い声で話し始めた。まるでそこに亡くなった娘さんが座って聞いているかのように。


「もう三十年以上前になりますが、私は吉祥寺にある旧家に嫁いでおりました。その家と私の家とのつながりは直接はなかったのですが、その家の跡取りの方が、私のことをたいそう気に入ってくれて、半ば親の反対を押し切る形で結婚したのです。私は当初は、そんなたいそうなお屋敷に嫁ぐことに気後れをしておりましたが、いざとなれば家を捨ててでも私を守ると言ってくれた彼の言葉に動かされて、その家に入ったのでございます。

 私の家とは比べものにならないくらい広く、お手伝いさんが二人もいる生活は優雅なものに思われましたが、現実は厳しいものでした。聞くところによると、彼が子供の頃から許嫁の約束をしていた家もあったそうでございます。その家は古くから続く旧華族の家系で、彼が私と結婚したことでその家門にも泥を塗ってしまったようでした。そんな訳ですから、家柄も資産もない私のことをご両親は良く思っているはずもなく、私に辛く当たる日々が待っておりました。

 特に主人の母である、私にとっては姑に当たる人は、私がちょっとでも粗相をしようものなら厳しく叱りつけ、いつまでも家のしきたりを覚えないと言っては、大きな声でなじるのでした。主人はそんな姑と私との間に入って頑張ってくれましたが、所詮昼間は仕事に出て留守になります。次第に姑と過ごす時間の長さが重苦しく感じられ、立派なお屋敷もなんだか見かけだけ大きい牢獄のように思えてきたのです。でも、跡取りになる子供さえできれば、姑の態度も変わるだろうと思い、日々耐えて暮らしておりました。

 そして、結婚して二年目に、待望の子供を授かりました。男の子だったこともあり、主人、両親ともに大層な喜びようでした。産み終えた後は、私も大きな仕事を成し遂げた思いで、誇りと安堵を感じたのを覚えています。

 ところが、これでご両親の私に対する風当たりも変わるだろうという思惑に反して、その後の息子との生活は予想せぬものでした。産まれた子供は家の跡取りとして、大事に扱われましたが、家の伝統として乳母が息子の世話を担当し、実の母親である私は満足に抱くことさえ許されませんでした。それでも、少しは息子と一緒に過ごせる時間がありましたので、その時間を大切にして姑とも上手くやっていこうと努力をしました。その頃には、だいぶ家のしきたりや伝統にもなじんでおりましたので…。

 

 そんな生活に転機が訪れたのは、息子が来年から小学校へ入学するという時期の事でした。なんと姑は、息子のことを寄宿舎完備の全寮制の学校に入学させるというのです。主人をはじめ、男児は代々その学校に入学させるのが伝統となっているからというのが理由でした。息子と少しでも長く一緒の時を過ごしたいと考えていた私は猛反対しました。今親元を離されては、この子は一生親の愛を知ることなく生きていかなければならなくなると私は考えたからです。しかし、私の主張は一顧だにされませんでした。さらに私を失望させたのは、主人も私の考えには賛同してくれなかったことでした。主人もこの全寮制の学校で学び、その教育の質の高さと校風とに心酔しているからというのがその理由でした。

 私は絶望しました。息子がこの家からいなくなれば、また以前と同様の姑と顔を向かい合わせて過ごす生活に戻ります。愛する者と引き離された上に、再び針のむしろの生活を続けていくことなど、当時の私には耐えられそうにありませんでした。最後の手段として、もし息子をその学校に入れるならば、私は家を出て行くと宣言しました。

 反応は冷ややかでした。主人は何でそういう話になるんだと怒り、姑は嫌なら早く出て行きなさい、母親としての自覚も責任感もない者に用はないと言われました。そう言われて、引くに引けなくなった私は本当に家を出て行ってしまったのです。

 ある日、主人が仕事でいない平日の昼間を狙って、荷物をまとめる時間も惜しんで、ほとんど着の身着のままの状態で飛び出したのでした。今から考えると、とても浅はかな行為ですが、当時はそうすることで、私の意志の固さと幾ばくかの抗議を示したかったのでした。けれども現実問題として、家を飛び出したものの行くあてなんてどこにもありません。実家にはとてもじゃないですが戻れません。旧家に嫁いだ私は、実家の両親にとって自慢の種でした。今更戻ってきても、迷惑な話です。戻ったところで早く向こうの家に帰って、謝りなさいといわれるのがオチです。

 私は、元々友人が多い方ではなかったのですが、主人と結婚してからは更に交友関係は狭くなりました。私を泊めてくれるような自由がきく女友達は、私には思い当たりませんでした。ホテルに泊まることも考えましたが、当時は女の一人客は売春婦か自殺を考えているのではないかと勘ぐられる煩わしさがありました。仮に泊まれたとしても、ホテルに一人きりでいるのは、なんだか寂しくて耐えられそうにないと思いました。

 その日は、暦の上ではすでに春でしたが、まだ寒さがだいぶ残る日でした。昼の内はまだしも、日が暮れてくると、冬の冷気が私を体の芯まで凍えさせました。薄手のコート一枚しか着てこなかったことを後悔しましたが、後の祭りでした。さらに行くあてもなく、むやみに歩き回っていたせいで、片方の靴はヒールが取れてしまう始末でした。そんな中、私の足は、いつしか一軒のマンションへと向かっていました。そこは結婚する以前、高校の同窓会に出席した時に、何人かの気の合う仲間と一緒に三次会をした家でした。学生時代はそれほど親しくしていた訳ではありませんでしたが、彼がその当時から私に関心を寄せていたと、ある人から聞いていました。彼なら私を受け入れてくれるはずだという打算が働いたのでしょう。夜遅くドアベルを鳴らした私の姿を見て、彼は驚きました。そしてほとんど手ぶら状態で、寒さに凍えている私の格好を見て更に驚いたようでした。それから、すぐに私を家の中に迎え入れてくれたのです。冷え切った私の体を温めるために熱い風呂を沸かし、温めたワインと手作りの夕食まで用意してくれました。吉祥寺の家とのあまりの対応の違いに私は驚き、感動しました。結婚してから初めて、私個人として大切に扱われている思いがしました。妻としてではなく、母としてでもなく、家の嫁としてでもない、女としての私自身がそこにいました。夕食とホットワインをありがたくいただき、少し酔ってもいたのでしょう。

「もう帰るところがないの。ずっとここにいてもいい?」という言葉さえも発していました。その言葉を聞くと、彼は強く私を抱きしめ、「離さないよ」と言ってくれたのでした。

 もう私には吉祥寺の家に未練はありませんでした。息子の事を愛してはいましたが、私の息子というよりは、あの家の跡取りとしての役割の方が大きく、ろくに言葉を交わすことさえできないのです。私が求める人間らしい生活はあそこにはないのだと自分に言い聞かせました。この人とここで生きていこうと酔った頭で考えました。少しやけにもなっていたのでしょう。私の事を心から大事にしてくれる人と一緒にいるのが、本当の幸せな生活だと信じ込もうとしました。

 

 でも、その感情は長くは続きませんでした。翌日の朝早く、主人が迎えに来たのです。どこをどうやって探したのか、仕事帰りのよれよれの背広のままで、玄関に立っていました。一晩中探し回っていたのでしょう。眼の下には隈ができ、疲労が全身から滲みだしていました。

 彼はただ一言、「帰ろう」と言いました。他の男と一緒にいる私をなじるでもなく、怒るでもなく、ただ「帰ろう」と。

 私はその言葉に素直に従いました。従わざるを得ませんでした。その言葉を発した主人の瞳には、私への愛が溢れているのが見て取れたからです。そこにはすべてを許し、受け入れてくれる優しい光が宿っていました。なぜ私は、彼の思いを忘れてしまったのだろうと悔やみました。

 家に帰り、ご両親に詫びました。てっきり怒鳴られ、嫌味を言われると思っていましたが、彼らは何も言わずにただ静かにうなずくだけでした。主人に訳を聞いても、静かに「もう大丈夫だから」と答えるだけでした。

 主人がご両親と大喧嘩をして、息子を公立の小学校に入学させるよう説得したのだとお手伝いさんから聞いたのは、それからだいぶ経ってからの事です。何でも、私を連れ戻すために、息子と過ごす時間を増やすこと、家のことは一切私に任せること、それらが守られなければ、妻子と一緒に家を出て行くとまで言ってくれたそうです。私は反省しました。私が大事にされていないなんて、ただの私のひがみだったのだと実感しました。こんなにも大事にしてくれている人がずっとそばにいてくれたことに感謝しました。それからの私は、姑にもできるだけ穏やかに接するように努力し、家事もお手伝いさんにまかせっきりでなく、自分でできることはすべてするように努めました。何よりも、息子と親密に過ごせる時間が増えたことで、新たな生きがいも湧いてきました。

 その翌年には、新しい家族にも恵まれました。娘が二人生まれたのです。双子の姉妹でした。そして、この頃が私の幸福な生活の頂点でした。この後、私は自らの振る舞いから生じた事態に、地の底に突き落とされるのです。


 娘たちは幼稚園に入園する年頃になり、健康診断を受けることになりました。双子ということもあり、体格はやや小さめでしたが、健康そのものとの診断に安心しました。

そしてふと、血液型の欄を見た瞬間、私は文字通り凍りつきました。娘たちは双子とはいっても二卵性双生児でした。まったく同じ遺伝情報を分かち合っている一卵性双生児とは違い、二卵性の場合は血液型が二人で異なる場合があります。そして、私の娘たちもそうでした。

 でも、驚いたのは二人の型が異なっていたからではありません。私を凍りつかせたのは、血液型の種類でした。私はO型なのですが、娘たちはA型とB型でした。そして、主人はB型なのです。つまり、娘たちは主人の子ではないという事です。私の記憶の渦は、家出をしたあの夜までぐるぐると遡っていきました。あの日、私は一度だけ過ちを犯しました。その報いがこの結果なのです。私は生まれて初めて神というものの存在を確信しました。天罰なのだと。私は一生この罰を抱えて生きていかねばならないのだと。

 私は、血液型の事は家の誰にも伝えませんでした。この事が分かれば、私はおろか娘たちさえもこの家から追い出されるかも知れないと思ったからです。彼女たちはこの家の子ではない訳ですから…。なんとしても、そのような事態は避けなければなりません。娘たちに罪はないのです。私は、健康診断の書類を庭で焼き捨て、血液型の話題には触れもしませんでした。ただ、健康状態は良好だったとだけ家人には話しました。

 その日以降、私は用心深く生活するようになりました。娘たちを医者に連れていく時は必ず私が一人で連れていくようにしました。お手伝いさんには、何か他の用事を申し与えて付き添いを任せることはしませんでした。事故などで輸血しなければならない事態が起きないように、危険な場所に行くことは一切禁じました。今考えると子供じみた考えですが、その頃の私は、娘たちの血液型を一生隠して生きていかねばいけないと考えていたのです。

 しかし、そんな日々の緊張がふと緩んだ時に、あの事故が起こったのです。彼女たちからほんの少しだけ目を離した隙に、娘たちは運命の踏み切りに吸い込まれるように行ってしまったのです。まるで、何者かに呼び寄せられるように。

 

 その日、桜の花びらを集める遊びに夢中になった娘たちは、普段近づいたこともない踏み切りが危険だという事さえ分からなかったのかもしれません。娘たちが踏み切りの中にいるのを見つけた私は大声で呼び戻しました。しかし、あわてた娘たちは二人が二人とも線路の溝に足を取られてしまったのです。靴が鉄製の線路と線路の隙間にぴったりとはまってしまい、自分たちでは抜くことができない様子でした。ちょうど二人の靴のサイズと隙間とがきっちり同じ幅だったのでしょう。私は必死になって、一人ずつ娘の足を引き抜こうとしました。でもその時、無情にも踏み切りの警報音が鳴り響き、列車が近づくことを知らせはじめたのです。


 私の耳元に、悪魔の囁きが舞い降りてきたのはその時です。


 時間が限られている中で、どちらの子を優先して助けるべきなのか。恐らく私は普段からも意識せずに、そのことを考えて生活をしていたのだと思います。つまり、明らかに主人の子でないという証拠を持っているのは、一人でしかないという事実をです。そうです。B型の娘は、私と主人からも生まれる可能性を持った子です。しかし、A型の娘はそうではありません。

 警報音が鳴り響く中、私は無情にもそれまで助けようとしていた娘のそばを離れました。泣き叫び、私にしがみつこうとする娘の指を一本一本開いて外しながら。そして、もう一人の娘のもとへ走り寄ったのです。彼女の足も同じように線路に深くはまっていました。その足を私は力一杯引き抜きました。できる限りの力を振り絞って…。私が持っている以上の力をも使った気がいたします。私の腕には、まるで魔物か何かが取り憑いているかのようでした。

そして、彼女は助かりました。彼女だけが…」


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 私は呆然としていた。婦人の語った話は私の想像を遥かに超えた内容だった。話すのを促したことを、私は今更ながら後悔した。私には重すぎる咎だと思った。しかし、婦人はこの重荷を今までたったひとりで背負ってきたのだ。数十年間誰にも話すことなく…。一体そんなことが可能なのだろうか?

 その時だった。いつから聞いていたのか、秀也が婦人の前に歩み寄りこう言ったのだ。

「あのね、おねえちゃんがいってた。あのおうたはね、とてもだいじなうたなんだって。だいすきなひとにおしえてもらった、だいすきなうたなんだって。だから、あのうたをうたうと、いつでもこころがあたたかくなるんだよって」

 それだけ言うと、秀也はまたすたすたと今まで遊んでいた砂場の方へ行ってしまった。

私だけでなく、婦人も言葉を失っていた。そして次の瞬間、彼女はとめどない涙で泣き崩れていた。

 二十分程してようやく落ち着きを取り戻した婦人を、私と秀也は井の頭公園駅まで送って行った。恐縮して何度も頭を下げる婦人の目は、涙の後の赤みをまだ残していた。しかし、それまで彼女の瞳に宿っていた闇はほとんど影を潜めていた。

公園に戻る道の途中で、私は秀也に尋ねた。

「本当にお姉ちゃんは、あの歌の事をさっきみたいに言っていたのかい?」

「ううん、でもあのおばちゃんのかおをみていたら、そういったほうがいいとおもったの」

 この子は私に似ず、勘が良すぎるところがある。一体誰に似たのだろうか?


 まだ遊び足りない秀也をしばらく公園で遊ばせ、昼近くになってからやっとベビーカーに乗せた。だいぶ遅くなってしまったので、家で心配しているであろう妻に、今から帰ると電話してから帰途についた。

家に帰るために再びあの運命の踏み切りまで歩きはじめる。すると、踏み切りからは新しい線香の香りが漂い、その傍らで小柄な若い女性が手を合わせているのが見えた。

 瑠花さんだ。彼女は私たちの気配に気付いて、顔を上げた。そして、秀也を見つけると笑顔で手を振ってくれた。

彼女と出会ったのは、寒くなって中断した早朝の散歩から、暖かい昼の散歩に切り替えた頃だった。小柄でスレンダーな彼女を、秀也は「小さいお姉さん」と呼んで、親しみ懐いていた。ちょうどあの婦人と入れ替わるようにこの踏み切りで出会い、それ以来彼女は秀也の事をとても可愛がってくれている。一緒に花を摘んだり、鬼ごっこをしたり、歌を教えてくれたりした。井の頭線の色の歌も瑠花さんが教えてくれたものだ。私は敢えてそのことを婦人には黙っていた。彼女は亡くなった芽依さんが教えてくれたものだと信じていたから。

 でも立ち止まってふと考えた。もしかしたら、あの婦人は瑠花さんが教えてくれたのかもしれないと、ぼんやり感じていたのかもしれない。でも、それを言ってしまうと数十年間秘めていた闇を解き放つ機会を失ってしまう。だから…。

 ひらひらと舞い始めた早咲きの桜の花びらを数えながら、私はそんなことを考えていた。





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井の頭公園駅


 相対式ホーム二面二線を有する地上駅。駅舎は吉祥寺方面ホーム側に立地し、渋谷方面ホームとは地下道により連絡している。二〇〇九年度の一日平均乗降人員は六九三五人で、井の頭線内では最も少ない数値となっている。

 なお、隣接の吉祥寺駅との距離は六〇〇メートルである。急行通過駅だが、花見シーズンの土曜・休日のみ臨時停車し、井の頭公園の花見客でこの時期だけは賑わいを見せる。

 また、この駅から一番近い渋谷寄りの踏み切りには、いつも季節の花と飲み物が誰とはなく供えられている。



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