苦しさが伝わらない

 躁鬱病は人に理解してもらえない病気だと思う。躁状態では周りの人に迷惑をかけて、嫌われる。または恐れられる。鬱状態では寝たきりになってしまい、人との交流は途絶え、自分の殻に閉じこもってしまう。苦しみを訴えられるのは、精神科の先生だけだ。


 このままではホームレスになってしまう。よくて、生活保護だ。働きたい。でも働く勇気とモチベーションが出ない。どうしたらいいのか。極論として自殺の影がつきまとう。


 この病気の認知度はまだ低い。特に躁状態で暴れる人を見たことのある方は、少ないと思う。これが単極性の鬱病との大きな違いだ。鬱病はもう、社会に認知されている。そして、適切な処置と薬の処方で治る。完治する。なかなか治らずに長期重症化する方もいるだろうが必ず完治する。焦らず治療を続けて欲しい。でも、前にも書いたので繰り返しになるが、躁鬱病(双極性障害)は完治しない。薬で一生涯、症状を抑えていかなくてはならない。特に僕みたいに激躁と激鬱を引き起こした人間は双極性障害Ⅰ型に分類される。波が大きいのだ。


 でも、この病気になって約四年。躁状態になったのはあの夏から秋にかけての五ヶ月間だけだ。あとはずっと鬱状態である。なんでだろう? 躁鬱ならば、躁状態になってもおかしくないはずなのに。


 僕は考える。あの躁状態は、医師が処方したパキシルとトリプタノールによる薬害の躁状態だったのではないかと。そして、今も続く鬱状態はその激しい後遺症なのではないかと。


 ならば、医師を訴えればいいのではないかとも思うが、証拠が何もない。適切な治療であったと言われればそれまでだ。泣き寝入りするしかない。


 思えば、損ばかりしてきた人生だった。それは僕の奇矯な性格のせいだろう。もっと広い心で大局を見極めていれば、こんなことにはならなかっただろう。だけど、小心で狡猾な僕は目先の楽さを選んで、厳しい道を歩んでこなかった。その結果がこのざまだ。でも今更、後戻りはできない。なんとかして、生き延びなければならない。自殺の誘惑は絶えずある。でも、実際にやろうとしてもその決断ができない。僕は小心なのだ。死ぬことすらできない。


 ああ、本当になんとかしなくてはならない。預金も尽き果てた。借金するあてもない。このままではここも追い出される。本当にホームレスだ。でも、厳しい季節を屋外で過ごす気力がない。どこか無償で、こういう病気の人間を保護してくれる施設はないだろうか? 僕はとても一人で生きてゆく自信がない。ああ、神様、僕に宝くじを当てさせてください。


 

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