元妻、先生と喧嘩する

 同居以来、元妻は二週に一度の診察に必ずついてきてくれるようになった。それは心強いものだった。一人でクリニックに行くのはとても怖かった。対人恐怖症になってしまったのかもしれない。そして、この頃から手が震えて字が書けなくなってきた。もしかしたらパーキンソン病とかリュウマチとか別の病気になってしまったのかという、恐怖も出てきた。とにかく心細い。元妻の存在はそういう意味ても頼りになった。


 診療中も元妻が付き添ってくれた。先生は僕の診療が終わった後、必ず元妻の意見を聞くようになった。元妻は前向きな意見を言っていたように思われる。前向きな意見というのは僕がもう社会に出て働けるということが中心だったのだが、詳しいことは忘れてしまった。たった二年くらい前のことなのに思い出せない。これは病気のせいだろうか、それともこれから起きる事件の印象が強すぎるせいだろうか。それも分からない。


 事件が起きる前、僕はインターネットで『ノリトレン』という薬を見つけた。なんでもすぐにやる気が出てくる。人によっては躁転してしまうということだった。「これを服用したい」と思った。ちょっとくらい躁転してもいいやという気持ちがあった。鬱状態の辛さはもう懲りごりだ。躁状態の方がずっといいと、よくない考えを持っていた。


 事件が起きたのは、僕がノリトレンを使ってみたいと先生に言おうと思っていた時だ。最初はノリトレンの話を元妻にしてもらおうと思っていた。けれど拒否された。「自分で言え」と言われた。僕は自分では言えないなあと思っていた。

 僕の診察が終わり、いつものように元妻に先生が意見を聞いた時に、バトルが始まった。詳細は忘れてしまったのだが、要旨としては、元妻が、僕はもう働けるのではないかと先生に聞いたのだったと思う。それに対して先生が、「精神医学は何年も何名もの医師が研究してたどり着いたものだ。あなたはそれに文句を言うのか」ということを言った。それに元妻がエキサイトして言い返す。先生はもっとエキサイトしてこう言った。

「うつ病より、ずっと自殺率が高いのが躁鬱病なんですよ」

 恐ろしい言葉だった。

 このバトルの間、僕は置き去りにされていた。患者本人を無視して、付添人とバトルをする先生に僕は不信感を抱いた。「転院しよう」とその時考えた。ようやくバトルが終わった。僕は聞いた。

「ノリトレンという薬を服用してみたいのですが」

 それに対して先生は、

「そんな薬、ヤブ医者が出す薬です。わざわざ躁転させるようなものだ」

と言った。

 ああ、この先生は患者の意見に耳を貸さないんだなと思った。元はと言えば、先生が、トリプタノールとパキシルを僕に服用させたから、僕は躁転したんだ。その責任はどうなるんだと言いたかったが、もう三十分近く診察室にいる。一刻も早く、外に出たかったので黙っていた。先生は次の予約も取らずに、診察を終えた。


「転院する」

 僕はそう決めた。インターネットで、近くの精神科医を探した。すると変わった病院を見つけた。受診日は毎週火曜日のみ。有名な東京の大学の先生が、診察するという。

「ここだな」

 と直感で、選んだ。そして、元妻に連絡を取ってもらう。そしたら先生が「いらっしゃいと」言ってくれた。決定だ。早速、クリニックに紹介状を書いてもらう電話を元妻にしてもらう。そしたら、一度病院に来いという。もう先生の顔を見るのも嫌だったが、紹介状を貰うために仕方なく行く。その日の先生は落ち着いていた。

「なんで、転院するの?」

 との質問に、

「交通費が高くつくからです」

と嘘の答えをした。角が立たないようにするためである。そして、

「長い間、ありがとうございました」

と礼を言った。

 こうして、元妻と先生のバトルから、新しい病院への転院を決めた。これが良かったのかどうか、今の段階では決め付けることができない。

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