十二月の出来事

 十二月になってようやく躁状態から脱出できたように思う。あくまでも主体的な感覚だけど。それはそれでよかったのだけれど、代わりに気の弱くて何にもできない惰弱な男がこの肉体に帰ってきてしまった。これが本来の僕の生まれつき背負った宿命的な性格だから、仕方ないけど、僕は本当にダメ男だ。そんなダメ男が、ポツンと狭い『出入り自由の監獄』に置かれていると、将来のことなど、いろいろ考えて不安になる。不安はいつしかパニックとなる。結局、残っているデパスに頼ることになる。


 そんな状況に救いの手を差し伸べてくれたのは、元妻だった。どういうアプローチがあったかは覚えていないが、気がつけば、僕は元妻のマンションに入り浸っていた。そうすれば食事を出してもらえる。生活費が浮く。その代わりに、僕は元妻の掃除、洗濯を受け持つことになった。そういうことをやる気力は、この時はまだあった。


 僕はアパートと元妻のマンションとの二重生活に入った。どちらかといえば、マンションの方にいる時間の方が長かった。元妻は昼間、会社に行っているので、僕は一人だ。あとは猫が一匹いるだけである。この猫が僕を無視するか、逃げるかというだけの、可愛げのない猫で、ちっとも僕の無聊を慰めてくれない。僕は、なんだか外に出るのが面倒臭くなって、読書をしたり、昼寝をしたりして、元妻の帰りを待っていた。このころから、だんだんと鬱状態が顔を現してくる。だがまだ、この段階では動けた。先走ってしまうと激鬱状態の時には、床からはい出せなかった。詳しくは後述する。

 

 ある日、アパートの方に帰ると、保険の更新のお知らせが来ていた。保険といってもアパートを借りるために入っていた保険だ。アパートは二年契約なのに保険は一年で切れてしまうのか。ちょっと不思議に思った。

 その話をすると、元妻はちょっとキレて、

「そんなアパート出てしまいな。私が二人と一匹が住める場所を探すから」

と言った。別に、よりが戻ったのではなくて、僕は元妻に保護された、野良猫のようなものだった。元妻は何を思ったのか、

「私があなたを守る」

とまで言ってくれた。感動ものである。僕は、それに甘えることにした。他に頼るしるべもない。こ汚い中年の野良猫を助けてくれるのは、元妻のように義侠心のある人間しかいない。


 年も押し迫って、元妻の会社は繁忙期に入った。忙しくて、帰宅時間は遅くなる。僕はクリスマスもクソもなく、一人寂しく本を読み、惰眠を貪った。食事は元妻の帰ってくるのをただ待った。僕は料理をしない。面倒なことは大嫌いだ。そうすると、出来合いのものが多くなる。そして僕は昼間、全然動かない。躁病の最盛期、六十キロだった体重は八十を簡単に超えて九十キロまで増加した。ズボンをはくのも一苦労。シャツの真ん中のボタンは圧力に負けて、いつも外れていた。何とかしなくてはと思ったが、何の努力もしなかった。


 年末になって、初めて知ったのだが、元妻は年明けに病気の手術をすることになっていた。驚いた。その前に、新しい物件を探そうということになった。でも、元妻は忙しい身、僕はそういう面倒なことは性格的にできない。結局、正月休みの時に、探すことに決めた。


 単なる家主と居候の関係だが、二人で一緒に住むことになって、なんだかほっとした。これはこれで、幸せなんじゃないかと思った。今までの不運と不幸を取り返せるかとも思った。しかし、神様は僕に甘くなかった。さらなる辛苦を僕に与えてくれたのである。

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