神に近づいた日

 最初に勘違いして欲しくないのは、この執筆段階の僕は自分のことを神だなんて思っていないことだ。もし、そうだったら、また躁状態になってしまったか、ただの気違いだ。僕は普通の、いや脳にちょっと持病を持った一般人だ。それだけは注意して読んで欲しい。


 それは体育の日だった。僕は急に、元妻のところに自転車で行こうと決めた。理由も何もない。自分が行きたいから行くのだ。この時点で、実のところ僕は薬をきちんと飲んでいなかった。その理由は食事をきちんと摂っていなかったからだ。処方された薬は食後に飲む薬だったので、食事をしない僕は薬を飲むタイミングを逸していた。だからテンションは最高潮を維持していた。自転車で道に出ようとする。すると出入り口に大きな犬が二匹立っていた。散歩の途中だろう。実は僕、犬が大の苦手だ。いつ噛まれるかわからないからである。なのにその時は「わんちゃんおいで」とばかりに犬に抱きつき、頰ずりをした。犬は興奮いて、舌舐めずりをペロペロとしてくる。これじゃあ、ムツゴロウさんだ。飼い主さんも喜んでくれる。「僕、犬苦手なんですよ」なんて言っても「ご冗談を」と言われて終わりだ。満足しきった犬はまた安保に戻る。僕は飼い主さんに会釈した。自転車をこぎ出しても真直ぐ元嫁のところに行くことはしない。ローソンに入って、秋の新作スイーツを買う。そして、出てすぐのところで食べる。今はどこでも一緒だけれど、その頃はローソンに肩入れしていた。理由は黙ってトイレを貸してもらえるからである。もしかしたら、たまたまなのかもしれないが、ローソンだけが『ご使用の際は一声お掛け下さい』の文言がなかった。他のコンビニには必ずついているのにそれがない。それだけでローソン贔屓になってしまった。

 包装紙をゴミ箱に捨てて、出発だ。


 僕は鶴見川の河川敷を爽快に自転車で進んでいく。足はサンダルばきだ。途中水たまりを見つけると、自転車を降りてバシャバシャと水遊びをする。気持ちがいい。空は雲ひとつない快晴。気分が良くなるのも良く分かる。そのうち、自転車は日産スタジアムに近づいてきた。何か催しがあるのだろう。自動車がたくさん止まっているし大勢の人がひしめき合っている。でも僕には関係ないもん。元妻のマンションめがけて一直線。あっ、神社がある。赤い鳥居だからお稲荷さんだ。僕は水で汚れけがれを払おうとしたけれど手水に水が張っていない。残念だ。ここは簡単に礼をして済まそう。さあ、急げ。山道を登れって、元妻のマンション行くのに坂道なんかあったっけ? わかんないけど突進だ。登れ! 頂上に着くと見たことあるよな、ないよなところに出てしまった。迷子だ。たぶん、マンションを通り越してしまったのだ。トイレに行きたい。しょうがない、この自動販売機の裏でいたしましょう。誰も見ちゃいないよ。

 さあて、どうしよう。そうか、元妻に、メールを送ってみよう。いつまでたっても返事は来ない。じゃあ、戻ろうか、それで「聖徳太子の石碑のあるところって聞けば分かるだろう」僕は自転車を反転させた。それらしき道に出た。でも自信はない。通りすがりのおじさんに「聖徳太子の石碑はどこでしょう」と聞いたら「へえ、そんなのがあるの」と逆に感心されてしまった。役立たず。でもおじさんと会話していたら、マンションが見つかった。「あれが聖徳太子の石碑です。謂れは分かりません」とおじさんに教えてあげた。いいことしたなあ。


 マンションのチャイムを鳴らす。出てきた元妻は仕事の準備の真っ最中だった。

「あれ? 今日は休みじゃないの」

 僕が聞くと、

「公休日変わった。いちいち教える筋合いはないでしょ」

と元妻は答えた。

「水を飲ましてよ」

「いいよ」

 僕は座るところを探した。ない。ああ、あった。タンスの上だ。僕はタンスの上に椅子を置いてそこに座った。

「何やってるんだか」

 呆れながら、元妻がエビアンのペットボトルを持ってくる。

「いただきます」

 グイッと飲んだ。

「中身は水道水だよ」

 元妻が言った。

「仕事なら帰るね」

「待ちな、弁当買ってあげる」

「ありがとう」

 元妻の支度が終わり、出発となった。

「あそこの弁当屋さんだよ」

 元妻が指差した。

「そうざいが百円。弁当が三百円だ。どれがいい?」

「ええと、天丼」

 元妻の弁当と袋を分けて入れてもらった。それを自転車の後部に取り付けた、ものいれに納めた。

「じゃあね」

 元妻は駅に向かった。僕は急いで行けば、次の駅の直前の踏切で会えると思い、全速力で道を突っ走り、次の駅の手前の踏切で電車を待った。電車が来た。電車が早すぎて何も見えなかった。残念。

 そうするとお腹がすいてきた。近くの公園でさっきの天丼を食べることにした。そうしたら気がついた。誰も僕を見ていない。遊んでいる親子たちは僕を無視していた。だが僕はこう感じた。

「僕の姿は誰にも見えないんだ。それは僕が神だからだ」

 本当はホームレスの人に見られたんだと今なら思う。でもその時は、自分は神で、次元が違う。だから見られない。いや、見えないんだと思ってしまった。お居るべき、躁状態の勘違い。

「ならば」

 と実験をしてみた。食べ終わった、空き容器と割り箸。これを植え込みに捨てたら、文句を言われること間違いなし。それならば見えている。僕は人間だ。でも、それも見えてなかったら、僕は神だ。そんな屁理屈で、ゴミを植え込みに捨ててみた。誰も見ていない。見えていないんだ。僕は神だ! そう思い込んだ。 


 気分を良くした僕はオリンピックで、携帯DVD再生機をカードで買おうとしたら限度額オーバーで買えなかった。買い物の出来ない神がいるもんか。僕は、接客した人に呪いをかけた。呪いが効いたかどうかは定かではない。


 こうして神になりきった男に、地獄の苦しみが待っている。それは次のエピソードでご紹介しよう。

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