警察沙汰

 その頃僕は、スキンヘッドにした。得度した気分である。もともとQBハウスで五厘刈りにしていたのだが、それに飽き足らず、自分で電気シェーバーを使って、ジュリジョリと髪の毛を落とした。自分で言うのもなんだが、よく似合っていた。

 それからブログを始めた。(今やっているのとは違う)そして、訳のわからない文章を書き続けていた。ブログではないんだけれど、その頃書いた文章を正常に戻った後、読んだことがある。全く、意味がわからなかった。だから見た瞬間に削除した。この物語を書くのだったら資料としてとっておけばよかったと後悔している。(ちなみにその時作った詩集? みたいのは残っている。文字数が足りなかったら添付するつもりだ)

 ごっつぁんのために購読し始めた神奈川新聞は全然まともに読めなかった。当然である。躁状態では物事に集中ができなくて文字を追えないのである。同じことは読書にも言えた。未読の文庫本が山のようにあるのだが、読む気になれず。積ん読のアルプス山脈を形成していた。


 この時点でまだ僕は自分が躁状態とは思っていない。全てを世間のせいにしていた。


 トラブルが起きた。僕が家の前の道路で拾ってきた木の枝を、

「お前は力が強すぎる」

 と訳の分からないことを言って、バシバシ、地面に叩きつけていた。すると隣のうちの、いかにもヤンキーなご主人が、

「うるせえんだよ」

と言って出てきた。

「すみません」

 とりあえず、謝る僕。

「道路も木くずだらけやないか」

「すみません」

「それにあのゴミ捨て場。あんなにゴミが出ているのもあんたのせいやろ」

「そうです。大掃除しました」

「とにかく、家の前きれいにせんかボケ」

「分かりました」

 躁病なのによく耐えたぞ、自分。

 僕は、呪詛の言葉を言いながら、道路のも木くずを片付けた。ついでにアパート前も片付けて、きれいにした。そして民間の不用品回収車を呼んで、ゴミ箱のゴミを回収させた。金七万円也。完全にボッタクリだと思うが呼んじゃった手前しょうがない。言われるがままに払った。金銭感覚の麻痺も躁状態の特徴だ。

 でも正直、ヤンキーなオヤジには腹が立った。そのイラつきを抑えるために僕は近くの寺に行った。作男みたいな人がいたので、

「ボロ雑巾でいいので一枚もらえませんか」

と尋ねた。作男の人はきれいな布を僕にくれた。僕は作男の人に今回の顛末を話した。すると、

「辛抱辛抱。ならぬ我慢をするのが辛抱」

と話してくれた。僕はそれでイラつきが消えた。そしてヤンキーオヤジの家の郵便ポストに『蒙が開けました。ありがとうございました』というメッセージに使いかけのテレフォンカードを添えて入れた。さぞ、面食らっただろう。それ以来ヤンキーオヤジには会っていない。


 そんなある日の夜。訪問者があった。元妻である。元妻は泣いていた。僕の定期購読していた雑誌の件で、僕の元いた職場とトラブったらしい。僕は元の職場で定期購読していた雑誌を元妻の店受け取りに変更していた。

「あなた知っている?」

 元妻が言った。

「あなたが店に来たら、警備員を呼ぶことになっているんだって」

「知らなかった」

 それを聞いた僕は怒りに震えた。


 日曜日。僕は早起きすると新聞を読み、それを丸めて生首を作った。そして、女史と契約社員の女の名前を書き、なぜか「許す」と一筆したためて頭上に、ダイヤモンドシャープナーを突き刺した。それを元の職場の従業員入り口まで自転車で持って行って、そっと置こうと思ったんだけど、警備員のおじさんが出てきたので、おじさんに渡した。おじさんは嫌がっていたけれど、無理やり渡した。


 次の土曜日、僕は躁状態の最高潮を迎えていた。なぜか、また元妻が来ていて、酒を飲んでいた。そして、猫に会いに行こうという話になって、バス停まで出ることになった。僕は大きな木の枝を手に取った。

「そんなの持って行っちゃ駄目」

 と言われても無視、一人でぐんぐん進んだ。そして大通りに入ると我慢できなくなって「ウォー」と叫びながら車道を走った。序章で切り取ったシーンである。その時、たまたま自動車も人もいなくてよかった。その時の僕の爽快感は再現することができないほど、気持ちよかった。どちらかというと鬱状態の今、あの爽快感、みなぎる充実感が懐かしい。ちょっとあの頃に戻りたくなる考えが、頭をよぎる。でも、いけないんだ。他人に迷惑をかけるし、その後に激鬱が待っているのだから。

 結局、タクシーで、元妻のマンションに行った。枝はタクシーに乗ったところへ置いてきた。

 猫は相変わらず猫だった。だが一匹減っていた。チビがいない。アビだけだ。

「どうしたの?」

 僕が聞くと、

「この部屋で二匹は飼えないから、チビは実家に渡した」

と元妻は答えた。チビの方が僕になついていたから悲しかった。悲しい時には泣く。感情の起伏が激しいのも躁状態の特徴だ。

 元妻は、明日仕事だからといって先に寝た。僕にはこれから長い夜が始まるのだ。用意してきたiPodで音楽を聴く。喉が乾く。階下には自動販売機がある。そこでジュースを買う。元妻のマンションは聖徳太子を祀ってある石碑がある。そこにお祈りを捧げ、また道路に出る。歩いている人を観察して遊ぶ。驚いた人も多いだろう。風呂敷を頭に巻いた人が当然、聖徳太子碑から出てきたらちょっと怖い。

 そのあとはiPodで、山本潤子の『いつでも心に花束を』をリピート再生しながら聞いていた。お湯の貼っていない湯船で。ヨガのポーズを真似しながら。その間、元妻は一度も起きなかった。


 翌日は会社に行く元妻と一緒に部屋を出て電車に乗り、僕が先に電車を降りた。そこからバスで最寄のバス停に行き、歩いてアパートに帰った。

「シャワーを浴びよう」

 暑さで汗びっしょりのシャツを脱ぎ、シャワーを浴びる。ついでに伸ばし放題の髭も剃った。さて出ようと風呂桶から出るとチャイムが鳴った。

「ちょっと待ってください」

 僕が言うと、今度はコンコン扉を叩く。

「待ってください」

 僕は体も拭かずにシャツをきた。場合によっては怒鳴ってやろうと思いながら扉を開けると、

「あんた、元いた会社を脅かしたでしょ」

二人の警察官がそこにいた。

「脅す?」

 僕にはピンとこなかった。

「新聞紙を丸めて、なんか兇器みたいの刺したでしょ」

 ああ、あのことか。僕はとぼけた。

「さあ」

「ちょっと表出てくれる」

「いいですよ」

「あんた、病気で休職中なんだね」

「そうなんですか?」

「これから店長さん呼ぶから」

「呼ばない方がいいですよ。怖がるから」

 すると別の警察官が言った。

「この紙に上申書書いて」

「書き方わかりません」

「教えるから、言われた通り書いて」

「はい。あっ間違えちゃった」

「拇印でいいから訂正印押して」

「シャチハタでもいいですか?」

「ああ」

「じゃあ持ってきます」

 僕は走って部屋に戻った。そしてシャチハタを訂正箇所に押す。

 そうして、生まれて初めての上申書なるものを書いた。内容は……忘れちゃった。

 そうこうしているうちに女史がタクシーで現れた。歩いて十分もかからないのに。

 女史の顔は引きつっていた。僕は先制攻撃した。

「僕の元妻をいじめるなよ」

 そして、女史の服に虫が付いていたので、追い払ってやった。

「そういうことやると怖がるから」

 警察官が僕をたしなめた。

 女史は特に何も言わないで去って行った。何しに来たんだろ。未だに疑問だ。

「もうやらないね」

 年の行った警察官が僕に言う。

「やりません」

「じゃあ、握手だ」

 僕は握手した。それで終わりだと思った。そしたら横から図体のでかい警察官が出てきて、

「あんた、口が悪いな」

 と言ってガンをつけてきた。頭にきたのでガンをつけ返す。

「お前の顔、絶対忘れないぞ」

「こっちこそ」

 顔がぶつかりそうになった時、僕は体の力を抜いて図体のでかい警察官の体に寄っ掛かり、そのまま相撲の形になった。

(相手はびっくりしている。今なら投げられる。でも投げたら、公務執行妨害で逮捕されちゃうかもしれない。ここは投げられて、頭を打ったふりをしよう)

 躁なのに、なぜか冷静な思考ができた。僕は自分から地面に叩きつけられたように投げられたふりをした。で、警察官が焦ったところで「ばあ」とおどけてやった。警察官のリアクションを見る余裕まではなかった。ここまでやったのに、逮捕もされず、署に連行されることもなかった。警察官は、僕が精神を病んでいるって知っていたのだ。とっとと帰ってしまった。


 その夜、ジュースを買いに自動販売機まで行き、帰ってきてふと見ると、図体のでかい警察官がバイクに乗ってこちらを見ている。僕は静かに会釈をした。

 本題とずれるから時系列が崩れるけれどここに書いておこう。あの図体のでかい警察官とは近所で起きた別の事件で再会した。僕があの時のことを謝ると、図体のでかい警察官は「一般市民に少しやりすぎました」と謝罪してきた。僕の気持ちはとても晴れやかだった。

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