第9話
1988年4月、いろいろありましたが、ともかく無事に大学生になれました。
今回は複数合格し、まだいくつか受験が残っていましたが、そこは行くのを取りやめました。選べる立場になるってのは気分いいものです。大東文化大学の経済学科に入ることになりました。ここの卒業生には「鉄拳チンミ」の前川たけし先生もいます。
私と同じく二浪していた高校からの友人も、めでたく初志貫徹して地方の国立大学の理系に進みました。高校、浪人とオタクを競い合った彼は、大学卒業後、富士通に就職します。
ようやく、この時期は春なんだなあと、数年ぶりに実感できました。
さて、この頃からいわゆるバブル景気の時代になるのですが、正直いいまして、ここからの4年間が個人的に人生で一番カネが無かった時期でありました。なので、あまりバブルの記憶というものが無いのです。オタクですから、かの有名なマハラジャとかにも遊びに行きませんでしたし、スキーも行かなきゃ海外旅行も行かない。車の免許は大学時代でどうにか取得したけど、結局ペーパードライバーのまま今に至る。
それはともかく、大学生活です。
これまでの、地獄の受験勉強無限ループとは違い、変化のある生活がやっとはじまります。4年後の卒業というとりあえずのゴールがあります。
大学合格後に速攻で原付免許を取得し、中古のオンボロ原付に乗って、自宅から大学まで通う毎日が始まりました。
大学に入り、最初に大型教室で経済学部の特別講義を受けました。その一つを鮮明に覚えています。当時快進撃していたスーパードライの戦略に関しての講義でした。
スーパードライ以前のビール業界は、キリン6割の1人勝ちで、なかなか覆らない状態。例えばサントリーがさかんにテレビのCMで攻勢かけても、実際に買いに行くとキリンしか置いていないから、まあキリンでいいかということになる。容器をペンギンにしたところで同じ。飲み比べても味がそう違うものでもないので、結局「そこにあるもの」つまりキリンを買う状態だった。しかしスーパードライは明確に味を変えた。だから客は従来の「ビールを買う」から「スーパードライを買う」に行動が変わった。
ああ、これが戦略というものか。代ゼミで佐藤忠志先生が言っていた「ルールを変える」という意味が実例で納得できたのでした。
キャンパスの中はサークルの勧誘活動も盛んでした。
空手や柔道の道場も当然ありましたが、痛いのやキツイのは怖いしやりたくないのでパス。でも面白そうなものに「
で、勧誘の張り紙の中から「中国拳法研究会」というのを見つけます。部活動ではなく学生のサークルらしい。これなら無理なくできるかな、と、勝手に期待する軟弱な私。少年サンデーでの「拳児」の連載は、単行本の3巻あたりに入った頃だったと思います。
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