第2話

 私の母親は、見た目と中身が「めぞん一刻」の「一の瀬のおばさん」で、少々のことでは動揺しないのですが、それでも産まれた子どもがあまりにも病弱で、医者から「この子は20歳まで生きられないかも」と告げられたのはショックだったようです。ことあるごとに「痩せる思いだった」と口にしてました。でも150センチの身長の母が172センチの私と体重がさほど変わらないので、あまり信用しかねるわけですが。

 まあ、それでも我が子の成長と行く末は心配していたのはわかります。なんせ、身体が弱い。いつも病気がちで、医者と顔なじみになってしまうくらい。すぐに寝込む。そして吐く。幼少期は枕元に洗面器が置かれてましたなあ。

 あと、食が細い。ご飯をお茶碗一杯食べることができない。おかずもいつも残す。せめてご飯は全部食べろということで、味噌汁をご飯にかけて腹に流し込む。カレーやハンバーグは人並みに食べてましたが、それでもお代わりなんてめったにしない。

 食べないから身体も大きくならない。小学校ではいつもクラスで一番小さいまま。運動もできないから運動会は苦痛でしかなかった。走れば必ずビリでしたし。だから近所の子供たちも野球とかに誘いません。誘われても、おそろしいことにルールを理解していなかった。当時アニメが始まった「ドカベン」読んでやっと理解したくらい。


 一度だけ、剣道の道場に、母親と一緒に見学に行かされました。このガキ身体を鍛えないとどうしようもないと思ったのでしょう。でも、身体が弱く気も弱い小学生の私は、こんな竹刀でバチバチやるようなの、おっかなくて仕方なかった。こんなのやらされるなんて、当時の心境としては「刑務所送り」以外の何物でもなかった。

 家へと帰る道すがら「あーゆーの、ボクには向いてないと思う」とポツリと言ったのをハッキリと覚えてます。母も覚えているようで、後年「あたしゃあの時、『こりゃダメだ』とあきらめた」と言ってました。

 中学に入った時は、身長が130センチなかったかな? 卒業時は150センチあったか疑問です。背の低さは強いコンプレックスを植え付けました。だから「硬派銀次郎」とか「リングにかけろ」の石松とか、チビで強いキャラクターが好きでしたね。でも自分で強くなろうとか全く思わなかった。

 中学では今でもよくわからないのですが、部活動とクラブ活動があり、どちらか片方は運動系に入るようにとの通達がありました。野球やサッカーなどの団体競技なんて全くできませんので陸上部に入りました。が、半年も経たずに腕を骨折。単にハードルでこけて手をついただけです。で、1ヶ月経って治ってまた骨折。これもコケて手をついただけ。医者も呆れてました。さすがに学校も無理させない方針になり、めでたく文科系の部活に転入いたしました。そりゃ責任問題になるもんね。

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