オタクの異常な熱情 または私は如何にして心配するのを止めて空手を愛するようになったか

皆中きつね

第1話

 今、私の手元には一冊の本があります。C.W.ニコルさんにサインを書いてもらった「私のニッポン武者修行」(角川選書)です。そこに記されている日付は1993年8月29日。もう23年も昔のことなのか。

 思い返すと不思議な気がして仕方がない。その数年前までは、空手どころか運動全般が無縁だった私が、あの日は空手着を着てニコルさんと一緒に稽古をしたのだから。


 2016年現在の私は48歳。30過ぎて結婚し、今では2児のパパです。

 女房は私が空手の黒帯になった後に出会い、結婚しました。その女房が私の両親や妹と会話する際、私に関する認識で話がかみ合わなくなる事があります。

 女房にとって私は「黒帯のオタク」ですが、私の実家からすれば「虚弱体質のオタク」だからです。


 これは、オタクという言葉が一般的でない時代からオタクで運動音痴だった少年が、マンガ「拳児」やC.W.ニコルのエッセイを読んで空手に憧れを持ち、ついには黒帯まで取ってしまうというお話です。

 主人公はなかなか空手をはじめませんが、どうかお付き合いのほど、宜しくお願い申し上げます。


 私は昭和43年に都内の病院で産まれました。ウルトラセブンが放送中だった時代です。

 生後すぐに、状態が悪化し慶応病院に移され全身輸血を受けたそうです。なんでも慶応病院初の事例だったそうで。

 出産後、まだ入院中の母は「なんで赤ちゃんと会えないの?」と不思議がっていたそうですが、病院と父はそんな大変な事態になっていることを退院まで隠し通したようです。母を心配させまいとしてのことです。そりゃね、初産の赤ん坊が死にかかっているなんて、そうそう言えませんよ。

 でも母は、「あんた新生児黄疸で全身の血を入れ替えたりして大変だったんだよ」と、よく言ってましたが、状況をちゃんと理解してはいなかったようです。

 私も結婚して最初の子どもが生まれたあたりで、「新生児黄疸で全身輸血はおかしいよな、なんか別の病気と間違ってるんじゃないの?」と気づきます。うちの母親は天然者なので、当時の説明内容を絶対間違って記憶してるんだろう、しょーがねーなー。でも実際のところ何だったんだろ?

 と考えて、当時の病院が建物は変わったが現存していること、その病院が現在の勤務先と目と鼻の先であることを思い出しまして、向かいましたよその病院へ。

 ダメモトで当時の診察記録が残っているか訊いてみました。

 奇跡って、あるものですね。残ってましたよ記録が。しかも、古い記録の廃棄処分が決定した直後で、あと3日遅かったら廃棄業者が引き取りにきていたらしい。

 で、医者からコピーを渡され説明を受けた私は、仰天して素っ頓狂な声で叫んでしまった。

「え! 母ちゃんRHマイナスなの!?」

 母体と赤ん坊とのRH不適合による新生児溶血性黄疸、その対応としての新生児輸血、これが正確な当時の状況でした。

 いやー、ビックリした。

 でももっとビックリしたのは、この事を伝えた時の母親の反応。

「そんなことあるわけないじゃない。あたしゃずっと会社の健康診断受けてるけど、そんなこと一度も言われたことないよ」

 70過ぎて病気もケガもしたことがない頑丈人間の鈍感さをうらやましく思った。

 病院はホントのことを告げてもよかったと思う。どうせ理解しないから。

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