第十五章 ディータ

第53話 湧きあがる疑念

――2018年8月14日、15時00分、千葉県沖上空――


 ダレス国際空港発、ユナイテッド航空9681便。成田空港に向かうその機中に玲子はいた。

 ポルトガル沖の調査が7月末までの予定で、当初は8月の頭には帰国する計画だったが、思わぬアクシデントのために、結局2週間遅れで、しかも米国を経由して帰ってくる結果になってしまった。


 玲子が潜水調査の途中で急遽リスボン港に戻った理由は、菅野が矢倉に打ち明けた一連の真相――つまり菅野たちが、実は海上自衛隊に属し、ナチスのV5を追っているのだという一連の話――について、急ぎ情報の裏取りをしなければならないと思ったからだ。


 そもそも玲子は、初めから水睦社を信用してなどいなかった。とりわけ、矢倉がポルトガル沖の調査のためにスポンサーを探していた際に、あまりにもタイミングよく水睦社が登場したことが気に入らなかった。全てが何者かに仕組まれたシナリオの中にあるような、言いようのない不快感が、ずっと玲子に付き纏っていた。

 しかし、ぼんやりと掴みどころのなかったその不快感は、菅野からの話を境に、明らかな疑惑となった。


――矢倉は何らかの陰謀に巻き込まれている―― 

 玲子にとってその考えは、最早確信に近いものだった。そしてジャーナリストの立場で、矢倉の身を守ろうとするならば、事の真実を突き止めて、それを盾に使う以外にない。玲子はそう考えていた。


     ※


 あの日玲子は、菅野が呼び寄せたベッティーナ号に同乗してリスボン港に戻った。陸に上がった菅野は、玲子に何の挨拶をするでもなく、迎えに来ていた黒い公用車に乗り込むと、すぐに走り去っていった。玲子はその菅野の行動に、これまでとはまた違う違和感を覚えた。

 しかしその時には敢て、それ以上に考える事はしなかった。正体の知れぬ違和感の追及よりも、これから取るべき自分の行動の方に関心が向かっていた。


 玲子はフェリペに頼んで港にタクシーを呼んでもらうと、スーツケース一つだけを持って、すぐにポルテラ空港に向かった。玲子が行く先はドイツ。

 何故ならば、伊220にまつわる諸々の情報が全て第四帝国に繋がっており、ナチスの情報を得るには、当事国のドイツが一番確実だと玲子は思ったからだ。


 ドイツに着いた玲子は、すぐにドイツ連邦公文書館を訪れ、ナチスに関する資料の閲覧を請求した。不慣れなドイツ語の書類とあって、翻訳ソフトの世話になりながら、玲子は、資料一覧のアウトラインを読破するだけで、丸3日もそこに通い詰めることとなった。


 しかしそのような多大な労力を費やしたにも関わらず、玲子はそこで評価に値する資料に出会う事は出来なかった。せいぜい参考になりそうなものと言えば、戦争当時のUボートの作戦記録くらいだが、膨大過ぎてそれを閲覧する気にもなれなかった。

 なぜこれほどまでに資料が無いのかと、玲子は不審に思った。


 仕方なく玲子は東京に電話をして、TV局のルートで現地の軍事評論家を紹介してもらう事にした。事情通に話を聞けば、今後の調査の方向性も立つのではないかと考えたからだった。だが結果として、玲子はそこでも有益な情報を得る事はできなかった。そればかりか、その軍事評論家から知らされた事実は、玲子の希望を打ち砕くものだった。


 軍事評論家によれば、現代のドイツにおいてはナチスを検証する事も、それについて議論することも、反ナチス法という法律で禁じられているのだと言う。

 反ナチス法を調べてみたが、そのような法律は見当たらなかった。

 ジャーナリストの立場で取材を装い、現地の人間にその周辺の事を訪ねてみたところ、どうやら反ナチス法という明示された法律は無いようで、民法、刑法、行政令などに反ナチスの方針が多岐に渡って織り込まれており、それを総称して”反ナチス法”と呼ぶようだった。

 またナチスに関する議論は、禁止はされてはいないようが、ナチスを批判する議論に限られているという話も聞いた。


 個人的にナチスの真実を探ろうとする学者や歴史家は、恐らくは存在しているのであろうが、ドイツにおいては、その研究成果が表に出る機会は恐らくは得にくいことだろう。

 つまりナチスの当事国であるドイツでは、ナチスに関する有益な情報は、得ることが難しいという事だ。


 玲子が思い浮かべるナチスは、誰も疑う余地のない完全悪だ。しかし本当にそうだったのだろうか? それは戦後のプロパガンダによって醸成された、バイアスの掛かった定義では無いのか? 

 玲子は思った。子供だましのオカルト集団が、ヨーロッパを席巻するまでに勢力を拡大することなど、有り得ることなのだろうかと。


 全ての光には影が生まれる。逆に言えば巨大な影を作るには、それに匹敵する光が有ったという事ではないのか? 

 当時のドイツ国民はそんなに愚かでは無かったはずだ。ナチスにだって、光はあったのではないか? しかしドイツ国民はそれを知る権利を放棄し、ひたすらナチスを憎むことだけが、アイデンティティとなっているのだ。

 ナチスを批判することしか許されない国。ナチスを顧みる事を放棄した国。それがドイツという国ならば、言い変えるならばドイツとは、世界で最もナチスを知らないという国という事ではないのか?


 玲子はドイツでの調査を断念し、割り切れない思いのままアメリカに渡った。

 玲子が次に訪れた先は、ワシントンDCにあるアメリカ国立公文書管理局。


 そこにはドイツ以上にナチスの資料が充実していたし、申請書類さえだせば、簡単に閲覧が許された。

 玲子は現地で学生のアルバイトを20名ほど雇い、第四帝国に関する記述を探して行った。玲子が行ったのは、まずはヘッドラインを一通り洗ったのち、関連がありそうな資料については、更に踏み込んで、『第四帝国』や『V5』『ザビア』という重要なキーワードについて検索するという、単純ではあるが確実な手法だった。


 たっぷりと一週間の時間を費やし、分かった事はと言えば、ここにも玲子が探している資料が無いという事実だった。

 第四帝国の間近に迫る資料まではあるのだが、その先にリンクするはずの資料が、何故か例外なく遺失扱いになっていた。

 玲子にはそれが、作為的な隠蔽としか思えなかった。当然ながら、資料の存在自体が消えているために、連邦政府情報公開法を活用して、裁判で開示を迫るという手段も使えなかった。


 しかしながら玲子は、そこで得られた収穫は小さくは無いと思っていた。何故ならば、徹底した隠蔽が計られたと言う事実は、それが正に存在したという証でもあるのだから。


 次に打つ手は――

 玲子は最早、水睦社に直接アタックするしかないと考えていた。


――皆さま、この機は間もなく成田国際空港に着陸いたします――


 玲子の思考を遮るように、機内には女性の声でアナウンスが響いた。窓から外を見ると、眼下の海上には、幾つもの貨物船の姿が見えていた。



――2018年8月15日、ノルウェー、トロムソ、Uボートブンカー――


 矢倉が監禁されている部屋には迎えの男2人が現れた。

「我々のリーダーに会っていただく」

 男の一人がそう言った。前日にカルロスが、ディータに会わせると言った言葉通りだった。

 矢倉は男達の先導でエレベーターに乗せられた。男達に視線を遮られ、階数の表示を見る事はできなかったが、矢倉は随分と長い時間それに乗っていたように感じた。


 矢倉はエレベーターから降りると、長い廊下の突き当たりの部屋に案内された。室内を見回すと、正面の大きな窓からは、薄いカーテン越しに日の光が差し込んでおり、そこが地上に建つ建物だという事が分かった。窓の外には石畳の街並みが見えた。

 その部屋は広い書斎のようで、左右の壁一面に作りつけられた書棚には、床から天井までぎっしりと化学の学術書や論文集が詰まっており、左手にある大きな木の机の上には、小さな電気スタンドと、ペン立てだけが乗っていた。


「こちらへ」という声が聞こえた。

 声のした方を向くと、部屋の右手の一番奥まった場所に、車椅子に座ったカルロスがいた。

「ここは?」

 矢倉が訊くと、「テレンダールという街だ」とカルロスは答えた。


 その街の名は、銃撃戦で死んだノルウェー人が住んでいた場所であり、矢倉達がトロムソに訪れた時、レンタカーで通った場所だった。探し当てたUボートブンカーは、テレンダールの街の地下深くにあったということだ。

 カルロスの側にあるソファには、やや茶色掛かった金髪に青い目の、ゲルマン風の顔つきの男が座っていた。年齢は矢倉とさほど変わらないように思われた。


「紹介しよう、ディータ・リームだ」

 カルロスは言った。


 その男は立ち上がりもせず、矢倉に座るように、正面のソファを目で示した。

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