第51話 潜入

 矢倉がフェリペと再会した翌日から、すぐに調査は始まった。

 フェリペはフィヨルドの探索は、「いつものポルトガル沖にくらべたら訳もない」と言った。広い海原を正確にトレースする必要がなく、単純に海岸線に沿って船を進めるだけで良かったからだ。


 フェリペが傍らに置いている、調査プランを書きこんだ海図には、予め重要なポイントに赤い印が入っていた。それは相棒のトビアスが、ポルトガル軍で対潜哨戒機に乗っていた経験から、「もしも自分なら、そこにUボートブンカーを造るだろう」と判断した場所で、テレンダールの街の海岸側に、その赤い印が集中していた。


 もう一人の相棒のベニートが、3日かけてマルチビーム測距器で海岸線を調査すると、海底には横穴が幾つも発見された。フィヨルドは氷河が浸食した谷が沈水してできたものであるため、海底の形状が複雑で、自然の洞窟があるのも当然のことだった。


 次にベニートは、サイドスキャンソナーを海底に近い深度まで沈めて曳航した。通常の海底調査であれば、マルチビーム測距器の方が調査精度も効率も良いが、岸壁面の横穴を探すような特殊な調査となると、目的深度までセンサーを沈める事ができる、曳航型のサイドスキャンソナーの方が有効だった。


 大型の潜水艦が潜航したままで進入できそうな横穴は3カ所あった。採取したデータを検証していたベニートは、その内の一つに注目した。その横穴は水深30mにあり、奥からは電車のレールのように、2本の突起物が並行して真っ直ぐに海底に伸びていた。


 自然が作ったの造形なのか、人工物なのかを探るために、翌日トビアスがMADを沈めた。そのレールには明らかな金属反応があり、MADによれば、更にその2本のレールの間に、もう1本別の、細い直線の金属反応があった。


「ここに違いない」

 ベングリオンと菅野は同時に声を発した。トビアスも間違いないと頷いた。矢倉たちはすぐにドライスーツを着こみ、タンクを背負うと、舷側から海面にエントリーした。


 この日の水中は透明度が高く、海面近くからも海底面が確認できた。矢倉達は潜ってすぐに、2本のレールの位置を目視した。そして一旦海底に着底して、そのレールの金属の質感を手で確認した。

 レールの内側に発見された金属反応は、直径が4センチほどもあるワイヤーロープだった。


 矢倉達はレールを辿るように横穴に侵入していった。10mほど中に入り、まだ外からの光が届く場所に、2本のレールの上に跨るトロッコのような、巨大な構造物を見つけた。その構造物には片側に8つずつの車輪が、4か所に分かれて配置されており、両側で合計すると64個の鉄の輪がレールに乗っていた。


 更に奥に進むと、外光の侵入は全く無くなって、周囲は真っ暗になった。

 矢倉は光量の高いライトを持っていたが、5分ほど泳いだ後でも、その光が照らす先は闇に溶け込み、行きつく先までの距離は全く見当がつかなかった。

 矢倉は横穴がこれほど深いとは予想していなかった為、水中スクーターを用意しなかった事を後悔した。先が見えない以上は闇雲に進むのは危険だ。

 エアーが残っている内に、どこかで折り返すしかない。あと10分が限界だなと矢倉は思った。


 タイマーを確認し、そろそろ菅野たちに折り返しを指示しようとした時だった。背後からキーンという甲高い音が聞こえてきた。何事かと思う矢先、もう一度キーンという音が聞こえた。

 その音は正確に5秒に一度聞こえ、段々と音量が大きくなっていった。そして一際大きくキーンと音が響いたのを最後に音は聞こえなくなった。


 ただならぬ気配を感じた矢倉は、菅野たちにすぐに出口に戻るように指示を出した。3人は進行方向を変え、元来た道を逆に辿り始めた。

 海上に残ったフェリペたちにもキーンという音は聞こえていた。トビアスはその音に聞き覚えがあった。それは潜水艦が発するアクティブソナーの音だった。


 遠くの海面には数頭のクジラが異常行動をとって暴れているのが見えた。急いで舷側に駆け寄り、海底を見下ろしたトビアスの視線の先には、そのクジラとは比べものにならない程大きな、巨大な黒い塊があった。

 その塊は船の遥か下方をくぐり抜け、ゆっくりと切り立つ崖に忍び寄ったかと思うと、先端から岩壁の奥に消えて行った。


     ※


 矢倉は出口に向けて泳ぎながら、妙な違和感を肌で感じ取っていた。前方、つまり出口側から明らかな圧迫感があった。

 そこにはゆっくりではあるが、泳ぐ手を止めるとゆっくりと後方に押し戻されるような力強い海流が発生し始めていた。


 やがて矢倉が照らすライトの先に、黒い影が浮かび上がった。それは明らかに巨大な潜水艦の姿だった。身の危険を感じた3人は、思い思いの方向に散って行った。横穴下方の壁に張り付いた矢倉の真横を、潜水艦の巨体が進んで行った。


 強い乱流が潜水艦の側面を巻いており、矢倉は手に持ったハンドライトを流されてしまった。ゴーグルについた小型ライトを頼りに周囲を見回すと、そのほのかな光が照らす先には、菅野の背中が見えた。

 菅野は流されまいと、必死に取りつくべき岩を手探りで探していた。しかしすぐにその体は壁面から引き離された。


 回転しながら流される菅野の腕を矢倉は掴んだ。矢倉はしばらくの間、そこで耐えていた。しかし潜水艦側面の大きなふくらみが通過しようとする際、一気に強い乱流が発生し、矢倉は菅野を左手で掴んだままで、自らもその流れの中に巻き込まれていった。


 船底を舐めるように流された矢倉は、何も見えないままで、潜水艦の船尾にあるはずのスクリューに巻き込まれまいと、必死につかまることのできる突起を探した。

 やがて体が何やら固いものにぶつかり、矢倉はそこにしがみついた。体が安定したところでその部分を照らしてみると、それは他ならぬスクリューそのものであった。スクリューは回転を止めていたのだ。

 菅野も必死にスクリューの端に取りついていた。


 横穴の入口付近で矢倉達が目撃したトロッコ状のものは、潜水艦を横穴奥に導くための曳航装置であったらしい。矢倉はスクリューにつかまったまま奥にすすんだ。やがて上部から弱い光が差し込んでくるのがわかった。

 潜水艦の側面からは、空気の泡が噴き出し始めた。浮力を得るためにバラストをブローしているのだ。潜水艦はゆっくりと上昇していった。矢倉は横穴を抜けたことを察し、菅野を誘導してスクリューから離れた。


 潜水病を避けるための、減圧停止をしてから水面に顔を出すと、そこは高い天井を持った広い空間があった。

 潜水艦が優に5隻は横に並びそうな広いプールの片側には、大型のクレーンがあり、そこはトラバーサーで船を引き上げる、乾ドックになっているようだった。


 逆の端には小型の潜水艇があった。何かの作業用なのだろうか、それは全長20mにも足りず、矢倉が先程までつかまっていた巨大な潜水艦と較べると、まるで玩具のようにも感じられた。


 不意に明るいサーチライトの光が、真っ直ぐに矢倉と菅野を照らした。光の源を目で追うと、そこには軽機関銃を構えた男達がいた。

「Zwei Personen?」

 聞き慣れない声が聞こえた。ドイツ語のようだった。

「Das ist richtig」

 矢倉の隣で、菅野が答えた。


 二人は水面から上がるように身振りで指示を受け、海面から這い上がると、そこでドライスーツを脱いだ。アンダーウェアだけの姿で、ボディチェックを受けながら、男達は更に菅野に何かを尋ねていた、菅野は訊かれるままにそれに答えた。

「何を聞かれたんだ?」

 矢倉は小声で菅野に訊いた。

「初めに、二人だけで来たのかと訊かれたので、そうだと答えました。ベングリオンの事は何も言っていません。その次に、お前たちは何者かと訊かれたので、日本帝国海軍によって設立された水睦社の者だと名乗って、かつて第四帝国を支援するべく計画された、零号作戦の成果を調査していると答えました。

 そして最後に、ドイツ語はあまりしゃべれないので、質問は英語か日本語にしてくれと言ってやりました」

 菅野はそう答えた。


 2人は銃口を向けられながら、広い空間の奥に伸びている、複雑で狭い廊下を歩いた。そして何回か角を曲がったところで、2人は通路を挟むように、ひとりずつ別の小部屋に放り込まれた。

 分厚い鉄の扉が閉まると、外からはカチリと鍵を掛ける音が聞こえた。


 時計が無いので時間はわからないが、たっぷりと2時間はたっただろうと思われた後、部屋の鍵がカチリと鳴る音が聞こえた。扉が開くと護衛の男たちに守られて、老人が1人車椅子に座っていた。

「手荒な真似をして、申し訳なかった」

 老人の顔は東洋系で、流暢な日本語を話した。


「向かいの部屋にいる君の仲間から、大体の事情は聞いた。君がポルトガルで伊220を発見したのだという事も、水睦社という組織の役割についても。

 我々は君たちには危害を加えるつもりはないので、安心して欲しい。しかしながら、我々にも事情がある。君たちをすぐに釈放するわけにはいかない。当分の間ここで過ごしてもらうことになる」

「どれくらいここに居なければならないのですか?」

「当分の間としか言えないな。1週間なのか、1か月なのか、それとも1年なのか、私にも分からない。10年以上いてもらわねばならないかもしれない。

 もちろん、いつまでもこんな狭い部屋に閉じ込めておく気は無い。すぐに別の、快適な場所を用意させる」


「あなた方は、ここで何をしているのですか?」

「それは、言えない」

「では別の聞き方をしましょう。あなた方は、第四帝国なのですか?」

「それも、言えない」

「取りつく島なしですか――。それでは私は、あなたを何と呼べば良いのですか?」

「私か? そうだな。ここの皆と同じように、カルロスと呼んでくれ」


 カルロス――、その名前に、矢倉は衝撃を受けた。

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