第50話 フェリペとの再会

 ベングリオンは意を決して話し始めた。

「1つ目の注目すべき出来事は、過激派と目されるネオナチグループに、『第四帝国がザビアと共に蘇る日が来た』と言う情報が流されていました。ずっと秘匿されてきたザビアの名が、ここに来てごく一部にではあるものの、晒されたのです。


 2つ目はネストロ・リヒトという人物の動向でした。

 リヒト氏はアルゼンチン内で、ネオ・トゥーレの主要メンバーと目されている人物で、アルゼンチン化学農業工業会の理事長を務めている人物です。その彼が経営するエル・スエロ・フェルティルという化学肥料工場と、メディシア・フェルティルという農薬工場の両方で、大量の重水の買付注文をカナダの企業に出していました。


 重水は化学肥料の原料でも、農薬の原料でもありません。しかしザビアを合成する上では、無くてはならないものです。合成プロセスの中でザビアの分子構造の内、水素を重水素と置換する必要があるからです。


 我々はリヒト氏の身柄を確保して、真相を確認しようとしました。しかし彼はまるでそれを見透かしていたかのように、姿を消してしまいました。我々が接触を計ろうとした前日に、ノルウェーに向けて出国していたのです。

 リヒト氏はそのまま消息不明です。


 そして遂に一つの事件が起きてしまいました。それは我々のネオ・トゥーレに対する疑惑を決定づけさせた出来事です。


 リヒト氏の一件から、ネオ・トゥーレの全容解明が急を要すると判断したペレスは、すぐにワシントンDCに飛びました。我がイスラエルの誇りとも言える、高名なザルマン・シュメル博士に、金の買付情報の解析を依頼するためです。

 ペレスが事前に抽出したデータを元に、資金の流れを詳細にトレースすることで、ネオ・トゥーレの金取引の全貌を解明する事が目的でした。

 しかしあろうことか、ペレスは博士に会う直前に、何者かに殺害されてしまい、分析を依頼するはずだったデータが奪われてしまいました。


 今になって悔やまれるのですが、リヒト氏が我々の動きを察知して逃亡したことに、もっと我々は警戒をすべきでした。我々の工作員の中に、ダブルエージェントが潜んでおり、ペレスの動きが外部に漏れていたとしか考えられません。


 後日CIAとの情報取引で分かったことですが、ペレスの死因は薬物による急性心不全だったそうです。CIAによれば同業者の仕業だろうとの見立てです。ペレスの一連の出来事が意味するところは、ネオ・トゥーレ側にもモサドやCIAと同じような情報コミュニティーが存在し、向こうもずっと我々を監視していたのだろうという事です。


 シュメル博士はその後、ペレスの監視先の表面的な資金の流れから、ネオ・トゥーレの資金力に関して大まかな予想をしてくれました。その資産は、世界中に分散しており、手元資金だけで、実に1200億ドルを上回る可能性があるそうです。小国の国家予算に匹敵する資金量です。


 実は我々はCIAから、もう一つ注目すべき情報を得ています。ペレスの殺害に相次ぐように、昨年のクリスマス・イヴに、アメリカ本土に対して、ある特殊なミサイルが撃ち込まれたのです。しかもそこには空包ではありますが、化学弾頭が積まれていました。

 アメリカは目下、その事実を隠蔽すると共に、新たな攻撃に備えて、防衛網の再構築を必死に行っています。


 我々はこのミサイル攻撃も、ネオ・トゥーレの仕業であり、それこそが第四帝国復活の狼煙であると考えています。つまり早い話が、ネオ・トゥーレ即ち第四帝国であるという見解です。

 ミスター・スガノから得たC液、D液発見の情報は、そのような中でもたらされたものでした。


 実はモサドもミスター・スガノが属する自衛隊と同じく、V5はザビアであると読んでいます。我々ユダヤ人は毒ガスを憎んでいます。ザビアが用いられることを、何としても阻止しなければなりません。そのためには、ネオ・トゥーレを叩く以外にない。

 そして万が一にもザビアが使用された時に備えるために、やつらに奪われたC液、D液を奪還しなければなりません」


 ベングリオンは話し終えると、決意を込めた目で矢倉を見た。


「簡単には信じられない話ですね、とりわけ資金については」

 矢倉は言った。「ナチスシンパとはそもそも個人を指す言葉でしょう。どんなに拡大解釈したとしても、結局は烏合の衆に過ぎない。国家予算規模の資金を蓄財できるとは考えられません。それにアメリカに対する攻撃だって、第四帝国ではなく、例えばイスラム系の先鋭的なテロリスト集団が行ったという可能性もある」


「もっともなご意見です。まずは蓄財についてですが、それは不可能ではないのです。世界中の金融資産は、今や全GDPの5倍に迫っています。

 極論すればその大半は実体がない単なる数字に過ぎず、誰もその全容をつかめていません。1200億ドル程度紛れ込んだとしても、全体としてみれば小数点以下の計算誤差程度に過ぎません。

 そしてアメリカへの攻撃の件ですが、先程は敢えて言いませんでしたが、実はその特殊なミサイルとは、旧ナチスドイツのV2なのです。V2の現物を今でも保有しているとすれば、相手は第四帝国、即ちネオ・トゥーレ以外に考えられません」


 矢倉が更に質問をしようとしたその時、コツ、コツ――というノックの音と共に、応接室の扉が開いた。

 扉の先には大使館のスタッフがおり、ベングリオンに小声で何かを話すと、数枚の紙を手渡した。

「船のリストができたようです」

 ベングリオンはクリップ留めされたその紙を矢倉に手渡した。

 矢倉はすぐにそれに目を通し、「目的に合う船は、ここには無いようです」と言って、紙をテーブルの上に置いた。


「一隻も無いのですか?」

 ベングリオンが訊いた。

「ありませんね。ノルウェーは海底資源の発掘大国なので、海底油田や鉱物資源の探査を行う大型の調査船は数多くあるのですが、複雑な海岸線を隈なく当れる、小型で小回りの利く船がリストには無いのです。

 恐らく大学や民間の会社が保有しているものはあるはずですが、探すのは大変でしょうし、チャーターできるかどうかも分かりません」


「しかしそれでは、調査が……」

「漁船を借りましょう。その方が話は早い。マルチビーム測距器は小型の装置なので、既存の船舶に後付できます。MADは曳航型の装置なので、積み込むだけで良い。

 実は私も最近になって知ったことなのですが、海底の調査は探査装置の性能に依存するのではなく、むしろそれを扱うオペレーターの力量に掛かっているのです」


「腕の良いオペレーターですか。船よりもそちらの方が大問題だ」

「もしも任せてもらえるなら、最高のチームを用意しますよ」

「最高のチーム?」

「そうです。最高です。ちょっと歳を食っているメンバーなので、健康診断をしてからでないとこちらには来られませんけどね」

 矢倉はにやりと笑った。



――2018年8月7日、ノルウェー、11時15分、トロムソ――


 聞けば菅野とベングリオンは、両名とも諜報機関員というだけあって、ダイビングの基礎訓練は受けているとの事だった。

 矢倉は2人ために、オスロでダイビング用具を調達した。またトロムソでは混合ガスの調達は難しいと思われたので、通常の圧縮空気を使うことに決め、タンクに充填を行うためのコンプレッサーも購入した。


 機材が揃うと、矢倉達は国内線でトロムソ空港に飛んだ。トロムソは北極圏に位置する人口7万人弱の都市で、トロムスという小さな島が中心地になっている。四方が全てフィヨルドの複雑な海岸線に囲まれており。島々を橋とフェリーが繋いでいた。


 空港の売店で地元の新聞を買ってみると、トップの記事はクジラが5頭、付近の浅瀬に乗り上げて死んだと言うニュースで、昨年末から既に4回目で、天変地異の前触れではないかと書かれていた。世界を覆う経済危機などは、微塵も感じさせないほど、トロムソはのどかな場所だった。


 レンタカーで複雑に入り組む海岸線を道なりに走ってみると、岩盤が急に海に落ち込む急峻な地形が沢山目についた。人が住むには厳しそうな場所だが、素人目にもそこは、潜水艦の基地を造るのに適した場所と感じられた。銃撃戦で死んだ2人のノルウェー人が住んでいたのであろう街、テレンダールはそんな場所にあった。


 車で街の中を走ってみると、ゴシック風の石造りの建物が多く、清潔で整然とした街並みは、まるで都市計画に沿って整備されたドイツの市街のように思えた。

件の2名が住んでいた住所の前も、車で通り過ぎてみた。そこは周囲に溶け込むように建つアパートメントの一つだった。


 矢倉に遅れる事3日。フェリペとベニート、トビアスがトロムソに到着した。いつも使い慣れたマルチビーム測距器とMADの他に、サイドスキャンソナーを持参していた。

 既にイスラエル大使館の手配で、漁船はチャーターされていたので、矢倉たちは全員で港まで船を確認しに行った。その船は普段サケ漁に使われている漁船で、秋のシーズンが来るまで借りることができるそうだった。


 船体はベッティーナ号より二回りほど大きかったが、フェリペは操船には全く問題ないと胸を張った。元々レックダイビング用の船ではないので、喫水線が低く、ダイバーが海に入るのが不便そうだが、大問題と言うほどでも無かった。


 フェリペたちは一旦ホテルに荷物を置くと、すぐに船の点検を行うために港に戻っていった。マルチビーム測距器の取りつけにはそれほど時間は掛からず、3人は早速試運転だと言って、嬉々として海に出て行った。

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