読めない本
憑木影
読めない本
古の神々が眠る墳墓がごときその巨大な灰色の古城は、夜の闇に沈んでいる。
城を構成する四つの塔が漆黒の空へ向かって、突き立てられていた。
そのうちひとつの塔に、歩哨が立っている。
かれは金色に輝く瞳となった月を眺め、夜をすごしていた。
ふと、彼は違和感を感じ、M4カービンを夜空に向けてかまえる。
夜が、一箇所裂けた。
炭色で空を塗潰した闇が綻び、白い光が零れる。
歩哨が、M4カービンをその光に向けようとした瞬間、銃声が轟いた。
歩哨は頭を真紅の血で染め上げて、塔の屋上に倒れる。
それと同時に、ヘリを包んでいた光学迷彩がゆらいで、ステルスヘリが一瞬輪郭を現した。
ゆれるヘリのボディに空いた口から、六台のバイクが塔の屋上へと降り立っていく。
アーミーグリーンに塗装されたカワサキM1030には、それぞれふたりのおとこたちが乗っている。
カワサキは鋼鉄を高速で打ち鳴らすようなディーゼル独特のエンジン音を響かせ、屋上にならんでいく。
カワサキに乗ったおとこたちは、暗視ゴーグルを闇の中に青白く光らせ、漆黒のボディーアーマーで身を固めていた。
タンデムシートに乗ったおとこのひとりが、スタンドアローンタイプのM203グレネードランチャーを撃つ。
赤い炎の矢が、闇を貫いた。
一瞬昼間の明るさにあたりがつつまれ、轟音が夜の闇を渡っていく。
屋上の昇降口が破壊され、内部へ続く闇が開いた。
カワサキのバイクが、次々と城の内部へと吸い込まれていく。
光学迷彩で夜に溶け込んでいたステルスヘリは、一機だけでは無かった。
続いて三機のヘリが入れ替わりながら、バイクを屋上へと降ろしていく。
それぞれ、六台のカワサキが積まれていた。
カワサキは、金属の獣があげる咆哮を夜に響かせながら、塔の中へと下っていく。
最後のヘリから、さらに六台のバイクが降りてくる。
最後に降りたバイクだけは、ひとり乗りだった。
そのおとこはテンガロンハットをかぶり、バックスキンのウェスタンジャケットを身に着けている。
腰に大きなリボルバーをさげたテンガロンハットのおとこは、煙草を口にくわえ火をつけた。
闇の中、白い顔が浮かび上がる。
おんなのように繊細な顎の線を持つ、端正なつくりの顔が白く闇の中で照らされていた。
紫煙を吐きながら、おとこは呟く。
「悪魔の力は、ヘリまでとどかなかったか。運がおれたちに向いていたようだな」
テンガロンハットのおとこの隣で、アフロヘアの黒人がバイクを操りながら叫ぶ。
「おいおいロミオ、落ち着いてないではやくいこうぜ。夜は、案外短い」
ロミオと呼ばれたおとこは、薔薇色の唇を少し歪めて煙草を捨てる。
なぜか気に入らぬげに、夜空に輝く月を一瞥した。
「そうだな、マキューシオ。行こうか」
最後に降りた六台のバイクが、ディーゼルの轟音を響かせ塔の内部へと降りる。
二十四台のバイクは、塔の階段を駆け下りていった。
時折城の警備兵が現れるが、それぞれのバイクのタンデムシートに乗ったおとこがFN・P90・ブルパップPDW(Personal Defence Weapon)を撃ち、倒していく。
5.7x28ミリ弾は、警備兵の身に着けた防弾ベストを貫き闇の中へ赤い血の迸りを生み出していった。
カワサキのバイクは全て、城を構成する四つの塔に囲まれた中庭へと、降り立つ。
城の城壁からサーチライトが、中庭に揃ったカワサキに向けられる。
眩い光と同時に、重機関銃が轟音とともに銃弾をまき散らし始めた。
12.7x99ミリNATO弾に混ざった曳光弾が、赤い流れ星となって夜を裂いていく。
アフロヘアのマキューシオが、狼のように薄く笑う。
「そんなに慌てて撃っちゃ、あたらんだろ」
確かに着弾点は彼らからずれていたが、曳光弾の射線をたよりに狙いを修正し、次第に近づきつつある。
ロミオは、マキューシオの後ろに座るおとこに声をかけた。
「ベンヴォーリオ、頼むぜ」
タンデムシートに座っていた、詩人のように整った顔に冷徹な鋼の瞳を持ったおとこがうなずく。
ストーナーライフルをスナイパー仕様にしたSR−25をかまえる。
24インチのヘビーバレルを持ちスターライトスコープを付けたスナイパーライフルを、無造作に撃っていく。
SR−25の鋭い銃声が響くたびに、闇に赤い血の花が咲き重機が咆哮をやめる。
四機あった重機関銃は、一分とかからず全て沈黙した。
ロミオは、薄く笑いながら腰のリボルバーを抜く。
夜の闇に溶け込むオフグレーに塗装された、スーパーレッドホークである。
ロミオは454カスールという拳銃としては凶悪なほどのパワーを持った銃弾を、夜空に向けて撃つ。
夜の獣が上げる咆哮のような銃声が、古城に響き渡った。
それを合図としてバイクのおとこたちは、一斉にM203グレネードランチャーを撃った。
幾本もの炎の矢が、夜の闇に爪痕をつけていく。
城壁と、中庭で榴散弾が炸裂してゆき、地獄の火焔が夜の闇に吹き上がる。
悲鳴と怒号があがり、城の警備兵がM4カービンを打ち返していく。
暗視スコープを用意する時間は無かったらしく、その狙いはでたらめだ。
カワサキに乗ったおとこたちは、正確な射撃で警備兵を撃ち殺していく。
夜に咲く薔薇のような血が、P90の放つ5.7x28ミリ弾によってまき散らされた。
城壁から撃ってくる警備兵は、ベンヴォーリオのスナイパーライフルによって命を刈られていく。
ものの数分たらずで、城の警備兵たちは一掃される。
夜に静寂が、戻ってきた。
「さて」
ロミオは、夢見るような瞳で城の塔を眺めた。
「あの三つの塔、そのうちどれかにジュリエットがいるっていうわけだな」
マキューシオが、頷く。
「手分けしよう。右に、バルサザーの隊。左に、ロレンツオの隊。正面は、おれたちとロミオ」
ロミオは、バイクから降りる。
そして、夜の沈黙を破って叫んだ。
「ジュリエットを見つけたら、照明弾をあげろ。やつは、おれの獲物だ」
バルサザーとロレンツオが頷き、一斉にカワサキが金属の雄叫びをあげた。
ふたりはそれぞれバイクの部隊をひきつれ、左右の塔へと消える。
ロミオは、マキューシオへまなざしを向けた。
「マキューシオ、頼むぜ」
マキューシオは、溜息をついた。
「おれに神父の真似事をさせるなんざ、間違ってるとは思うがね」
マキューシオは、水晶の小瓶を出すとロミオの前に立ってつぶやく。
「この聖水と、御身のいと尊き御血によりて、ああ主よ、煉獄にありし、わが親愛なるみまかりし兄弟姉妹の一切の罪を除き給え」
マキューシオは小瓶の中身を、ロミオへ振り掛けた。
「聖父と聖子と聖霊の御名によって。アーメン」
ロミオは顔をあげると、マキューシオと向き合う。
マキューシオは、困ったような笑みを浮かべている。
「おれのインチキなお祈りで、きくと思うか」
ロミオは、薄く笑った。
「ファティマの井戸から、汲み上げた水だそうだ。バチカンは、効果の保証をしてるらしいがな」
肩をすくめるマキューシオに苦笑をなげかけて、ロミオは自身のバイクへと戻った。
ディーゼルエンジンが、鋼鉄の唸り声をあげる。
二台のバイクが、正面の塔へと向かった。
榴散弾によって破壊され、死体が闇の中に放り出されている入口を抜け、ロミオたちは塔の中へと入る。
バイクによって、階段を駆け上っていく。
各階の兵たちを排除しつつ、ターゲットを探しながら階を上っていくのだから、時間がかかる。
ただ、残存しているはずの兵は戦意を失っているらしく、ほとんど姿を現して攻撃してくることはない。
時折でくわす警備兵も、ベンヴォーリオがSR−25で掃討していく。
戦いは終結しつつあるようだが、ロミオの瞳に宿る憂鬱の色は濃くなっていた。
三人は、ついに最上階にたどりつく。
そこは、広いホールとなっていた。
窓から差し込む月明かりのため、ホールは薄明に満たされている。
マキューシオが、うんざりしたように言った。
「おれたちは、はずれをひいたらしいぜ」
ロミオは軽く舌打ちをしたが、ベンヴォーリオは鋼の冷気を宿した目で闇の奥を見つめている。
そして、SR−25を構えた。
マキューシオが、うめくように言う。
「暗視スコープの遠赤外線センサーは反応していないが、誰かいるのか?」
それに答えたのはベンヴォーリオではなく、闇である。
闇の奥から、乾いた足音が響いてきた。
ロミオも思わず腰につけたスーパーレッドホークに、手をかける。
あたかも夜空の雲が切れ、闇の裂け目から月がのぞくようにそのおとこが現れた。
ベンヴォーリオがスナイパーライフルの引き金をひくことを躊躇したのは、そのおとこの風体のためだ。
少し痩せたそのおとこは灰色のスーツを身に着けており、髪を後ろへ撫でつけ額を露わにしたその顔は、学者のように整っている。
そしてその整った顔に、パーティーで知人にあったときに見せるであろう笑みを、はりつけていた。
その出で立ちはあまり普通であるがゆえに、異様である。
世界が滅び去る前の時代から時を越えて、全てが崩壊し異常が常態化している現在へと迷い込んだ。
そんなふうに思わせる衣装と、表情であった。
「あんたは、誰だ」
マキューシオが、少し掠れた声で問う。
おとこは、質問を受けた教師の顔で微笑む。
「わたしのことは、ライターとよんでください」
マキューシオは、少し眉をひそめる。
「おれたちに、何か用でもあるのか」
ライターと名乗ったおとこは、そっと笑う。
「なんだよ」
マキューシオの不機嫌な声に、ライターは頭をさげる。
「用があるといいますか。まああなたが本を持っていたとして、その本の登場人物に用ができたりすることは無いですよね」
マキューシオは、声に怒気を孕ませた。
「ふざけんな、おれたちは本の登場人物なんかじゃない」
ライターは、ゆっくりと首を振る。
なぜかその様に、ロミオたちはぞっとするものを感じた。
「あなたたちは、本の登場人物なんです」
「ほう」
呆れ顔になったマキューシオとは対照的に、ロミオは面白がっているような顔になる。
「この世界は、本の中にあるというのか。だとしたら、それはどんな本だ?」
ライターは、少し悲しげな顔をした。
「何にせよ、あなたたちには読むことができない。なぜなら、あなたたちは、その本の登場人物だから」
ロミオは、口を歪めて笑みの形にする。
「デモニック・シンドロームが蹂躙したこの世界では、本を読むような人間も生き残ってはいまい」
ロミオは、夢見るようなまなざしをして言葉をつむぐ。
「いたとしても、そいつは悪魔憑きだろう」
マキューシオは、ハイエナが吠えるような笑い声をあげる。
「どうでもいい、てめぇはいかれてるよ。本の登場人物と言われても信じるわけが」
それはあまりに突然のことであったため、誰も反応することができなかった。
ライターの手に、ソードオフしたレミントンM870が出現する。
ストックと銃身を切り詰めているとはいえ、全長80センチはあるポンプアクション・ショットガンであった。
スーツ姿のライターが、どこかに隠せていたはずはない。
そして誰も反応できないまま、銃声が轟いた。
顔面を散弾で粉砕されたベンヴォーリオは、血まみれの死体となって床に沈む。
しかし、ロミオとマキューシオは、銃を抜くことをしなかった。
ただ、魅入られたようにベンヴォーリオの死体を見つめている。
そこでおきていることは、喩えてみればフィルムの逆回しを見ているようなことだ。
赤く粉砕されたベンヴォーリオの顔面を白い骨が覆ってゆき、さらに骸骨を赤い肉がつつむ。
怜悧な光を宿す瞳が埋め込まれ、赤い肉を白い肌が覆っていく。
そしてワイヤーに操られるように、ベンヴォーリオの身体はバイクへと戻った。
SR−25を、構えたままの姿で。
ベンヴォーリオは、うめき声をだす。
「一体、何があった」
「いかがでしょう」
ライターの手から、レミントンM870が消えている。
その顔には、教師が生徒に対面したときの笑みが浮かんでいた。
「理解できませんか? あなたたちは本の登場人物ですから、あらかじめ決まった時にしか死ねないし、あらかじめ決まったひとしか殺せない」
もう一度、銃声が轟く。
ロミオの手で、スーパーレッドホークが銃煙を漂わせている。
ライターは、床を真紅に染めながら大きく身体をのけぞらせていた。
そして、ベンヴォーリオの時と同じことがおきる。
床に飛び散った血は、ライターの頭へと吸い込まれてゆき再び身体を真っ直ぐに戻した時には、ライターの額にできた銃痕は消えていた。
454カスールに破壊されたはずの頭は元に戻り、床を染めた血も消えている。
ロミオは、皮肉な笑みを浮かべた。
「今はおれが殺すときではない。つまり本には、そんな記述がない。そういうことか、ライター」
ライターは、満足げに頷く。
正解を得た、教師の笑みが顔を覆っている。
「そのとおりですよ」
「あんたは、悪魔憑きではないのか?」
ロミオの問いかけに、ライターは首をふる。
「そうではないと、思いますよ」
デモニック・ウィルス。
それに感染すると、デモニック・シンドロームがひきおこされる。
デモニック・シンドロームがはじまると、感染したひとは多幸状態にみまわれ、やがて幻覚がはじまり、ついには狂暴化してまわりのひとを襲うようになるのだ。
その有様は、悪魔に憑かれたようだといわれる。
ゆえに、デモニック・シンドロームと名付けられているという。
けれど、デモニック・シンドロームがひきおこす事象は、それだけではない。
感染者の周囲では、物理法則が捻じ曲げられる。
その影響は、主に電子機器にあらわれた。
感染者の近くにあるコンピュータはウィルスに感染し、ネットワークを死滅させていく。
驚くべきことに、デモニック・ウィルスはひとからIT機器へと感染するのだ。
それは、情報エントロピーが感染者の周囲では狂ってしまうからだという。
かつて物理学者が夢想したあの悪魔のように、感染者は情報エントロピーを操作する。
だから、「悪魔憑き」なのだともいわれた。
一般的には、感染者の周囲数メートル以内の装置が狂う。
しかしひどいときには、感染者の周囲1キロの情報機器がウィルスによって壊滅したこともある。
悪魔憑きたちが文明を崩壊させるのに、そう時間はかからなかった。
ロミオは、思う。
症例としては聞いていないが、情報エントロピーを操作できるのなら、時間を逆転させることもできるのではないかと。
ライターのしていることは、そんなことであるようにも思う。
「わたしは、ライター。つまり、本の書き手なんです」
「おいおい」
マキューシオは、苦笑した。
「あんたがこの世界を書いて作ったってのか? 神にしちゃあ貧相な面構えに見えるが」
ライターは、肩をすくめる。
「確かに、本を一から書いたのはわたしではないし、わたしもあなたがたと同じで本を読めるわけではありません」
ロミオは、皮肉に口を歪める。
「読めないのに、書けるのか、あんた」
ライターは、頷く。
「コマンド投入型のテキストエディタと、同じですよ。読めなくても、任意の箇所を修正はできる」
「戯言は、沢山だ」
ベンヴォーリオは、吐き捨てるように言った。
鋼のように鋭い目で、ベンヴォーリオはライターを見つめる。
「あんたは、肝心なことを言っていない」
ライターは、ベンヴォーリオの眼差しに穏やかな笑みでこたえた。
「なんでしょう」
「あんたは、なんのためにおれたちの前に現れた」
切りつけるような鋭い口調のベンヴォーリオに、ライターは優しげな笑みを浮かべて言葉をかえす。
「最初に言ったとおり、用があるわけではないのです。ただ、ひとつだけ言っておきたいことがありまして」
ロミオは、面白がっているように目を光らせてライターを見た。
「なんだい」
「わたしは、この本を読むことができるわけではない。けれど、わかるんです」
ライターの瞳が、悲しげな光を宿す。
「この本は、凡庸な結末を迎えるとね」
ロミオは、声をたてて笑った。
「そいつはおれたちのせいじゃなくて、あんたのせいだろう。何せあんたが、書き手なんだから」
ライターは、溜息をつく。
「もちろんそうです。ただ」
ライターが何かを言おうとした瞬間、左側の窓から真昼のような光が差し込んできた。
照明弾が、上がっている。
マキューシオが、叫ぶ。
「ロレンツオのやつ、あたりをひいたかよ」
ロミオは、カワサキのエンジンを起動した。
ディーゼルエンジンは、獰猛な唸り声をあげる。
「これ以上、あんたの馬鹿話につきあう暇はない。じゃあな」
ロミオは、ライターに軽く手を振ると下へ向かう階段へバイクで飛び込む。
マキューシオとベンヴォーリオの乗るバイクが、後に続いた。
ロミオたちは、ロレンツオが入り込んだ塔の最上階へと駆け上る。
しかし、ロミオたちがそこで見たものは、惨状であった。
金色の瞳となった満月が見下ろす下、最上階のホールは真紅に染め上げられている。
喰いちぎられた腕や足が、血の海の中に白く浮かんでいた。
まき散らされた臓物は、血と泥濘に溶け込んで赤い塊となっている。
十台はあったはずのバイクは単なる金属の屍となり、月明かりをうけディープオリーブ色の鈍い光を放っていた。
文字どおりそれは、悪魔の仕業である。
「やられたな」
マキューシオは、忌々しげにつぶやく。
ロミオは、広間の片隅に目を向けていた。
「生き残りがいる」
血の海の片隅でうごめくその影は、メイド服を着たおんなに見える。
ジュリエットに仕える、従者であったのだろう。
「おい」
マキューシオの言葉に、影はぴくりと反応した。
「ジュリエットは、どこだ」
影は、細い手で広間の奥を指さす。
そこにはさらに上へゆく、階段があった。
おそらく隠し部屋が、あるのだろう。
二台のバイクは、雄叫びをあげる。
その時、ベンヴォーリオがSR−25をメイド服をきた影に向けた。
「おまえ、おとこだろう」
影は、のそりと立ち上がり、悪魔のような顔を月明かりにさらす。
漆黒の瞳は、真夜中の太陽が放つ輝きを宿していた。
口は、魂に刻まれた傷跡が晒されているように赤い。
そして熾火の赤い色を持った血が、身体のいたるところを染めていた。
凶悪で、楽しげな笑みを浮かべている。
「ジュリエット様の意向で、あんたらは無傷でとおす手はずなんだが」
メイド服を着たおとこは、獣の声をだす。
「面倒くさくなった」
「くそっ」
マキューシオは、暗視ゴーグルをむしりとる。
悪魔の力が覚醒したため、それは使い物にならなくなっていた。
今、ゴーグルが映し出す映像は、単なるノイズである。
ベンヴォーリオのSR−25が、火をふく。
しかし、メイド服の悪魔憑きは銃弾の上を跳躍していた。
金属の翼をひらくように、おとこはふたふりのククリソードをスカートの下から抜く。
金属の流星となったククリソードが、ベンヴォーリオに襲いかかる。
ベンヴォーリオはとっさにスナイパーライフルを横に構え、剣を受けようとした。
ククリソードは、あっさりライフルを切断しベンヴォーリオのボディアーマーへくいこむ。
ベンヴォーリオは、バイクから落ち血まみれの床を転がる。
マキューシオは、腰のホルスターからFN5/7を抜いて全弾悪魔憑きへ叩き込んだ。
メイド服を着た悪魔憑きは、後ろに回転しながら距離をとる。
二発ほど肩に命中したはずであったが、貫通したため致命傷とはなっていない。
悪魔憑きは、楽しげに笑った。
マキューシオが、叫ぶ。
「ロミオ、お前は先に行け。おれたちは、こいつを片付けてから後を追う」
ロミオは頷くと、バイクの前輪を浮かせて飛び出す。
ベンヴォーリオも、FN5/7を抜きながら血の海の中で立ち上がった。
マキューシオは、無理やり笑みの形に口を歪め予備弾倉をFN5/7に装填する。
「さあ、パーティを楽しもうか。悪魔野郎」
ロミオは、階段を上がる。
バイクでは登れない小さく急な階段であったため、自身の体ひとつでその部屋へと入った。
奥行10メートルほどの、縦長の部屋である。
墨を溶け込ませたような闇に満たされていたが、一番奥の一箇所にだけ月の光が降りてきていた。
そこは、清浄な白い光につつまれている。
そしてそこに、月光を編んで作ったかのように白いワンピースを身につけたおんなが、佇んでいた。
ジュリエットである。
燃え盛る黄金の炎が放つ輝きを宿した髪を靡かせ、青い瞳は闇を貫いてロミオを見つめていた。
ジュリエットは、涙を流している。
幼児のように、立ったまま泣きつづけていた。
「ああ、ロミオ、ロミオ。あなたに、どれほど会いたかったか」
ロミオは、唇を歪めた。
「おれも、会いたかったよ」
ロミオの瞳が、冷たく輝く。
「おまえは、おれの家族を殺し喰らった」
ロミオは、スーパーレッドホークを抜く。
「だからおれは、おまえの生命を奪う」
ジュリエットは、優しく微笑む。
「うれしいわ、ロミオ。わたしだけを見つめて、わたしだけを、求めてくれるのね」
ロミオは、レッドホークを構えようとしたが、ジュリエットの動きはロミオが腕を動かす速度を凌駕した。
ロミオは、自分の目の前にジュリエットの顔があることを知り、愕然とする。
おんなの口が、赤くひらいた。
「ああ、ロミオ。とうとうあなたは、わたしのものになるの」
その動きは、まるでロミオに愛を囁こうとしているように見えた。
しかし、赤く開かれた口は捕食獣の動きでロミオの頚動脈にくらいつく。
ジュリエットの唇がロミオの首筋に触れた瞬間、ジュリエットの動きがとまる。
青い目が、驚愕で見開かれた。
「どうやらインチキな祈りでも、ファティマの聖水は効いたようだな」
ロミオは、銃を手にしていないほうの腕でジュリエットを抱く。
ジュリエットの瞳は、悲しみで昏くそまる。
瞳から、涙が再び零れた。
その一瞬だけ、ジュリエットに憑いていた悪魔は去る。
ジュリエットは、うめくように言った。
「ねえ、殺して」
ジュリエットは、苦しげに叫んだ。
「愛してる、だから殺して、ロミオ!」
ロミオは、夢見るような笑みを浮かべジュリエットの背中にスーパーレッドホークの銃口をおしあてる。
454カスールは、ジュリエットの身体を貫きロミオの心臓にくいこむはずだ。
ロミオは、満足げに微笑み引き金をひく。
何も、おこらなかった。
銃声もなく、血飛沫もあがらない。
世界の時間が、こおりついていた。
「くそっ」
ロミオは、動かなくなったジュリエットから離れ、部屋の奥をみる。
闇の中から、ひとりのおとが現れた。
スーツ姿の、学者のように整った顔立ちのおとこ。
ライターである。
「かくして恋するふたりは、共に恋と生命を全うする」
ライターは、そっと微笑んだ。
「凡庸だとは、思いませんか」
ロミオは、悪態をつく。
「くそでもくらえだ。おれは、おれの好きなようにやる。知ったことか」
ライターは、深々と礼をする。
「これは失礼いたしました」
そのまま、おとこは闇の中へと消えてゆく。
気がつくと再び時が動きだし、ロミオはジュリエットが自分を見つめていることに気がついた。
獰猛なまでに美しい笑みで、赤い唇を歪めている。
青い瞳は、凍てついた冬の空よりも冷たい光を宿す。
悪魔が、戻ってきたようだ。
ロミオは、ため息をつく。
「インチキな祈りだと、効き目が切れるのがはやいと見える」
「わたしを殺さないの、ロミオ」
凶星の輝きを宿す目でロミオを見つめるジュリエットに、答える。
「屋上へいこう」
部屋には、屋上に続く小さな階段があった。
ふたりはそこを上り、塔の屋上へと出る。
夜空は、黄金の月が支配していた。
月の光は、あたりを蹂躙するように黄金の刃となった光を投げ下ろしている。
ロミオは、思う。
その月は、無限の彼方にあり届くところではない。
しかし、確かにその向こう側に他者の存在を感じる。
じっと息をひそめ、自分たちの気配をうかがってあるもの。
得体の知れぬ、名付けることもかなわぬような、彼方の存在がいる。
それは、この本に書かれた世界を読むものの、瞳だと思えた。
「ジュリエット、おまえも悪魔憑きなのであれば」
ロミオは、真っ直ぐスーパーレッドホークを月に向かってかまえる。
「論理階梯を越えて、あの無限遠にいる他者まで銃弾をとどかせてみろ」
ジュリエットはそっと微笑むと、ロミオの手に自身の手を重ねる。
ゆらりと、目に見えぬ何かが歪んでいくのを感じた。
悪魔は、空間にすなわち本の頁に対してウィルスの感染を試みている。
物語が刻まれているであろう空間は、悪魔の力で悲鳴をあげていた。
ジュリエットは、狂暴な笑みを浮かべロミオに頬をよせる。
彼女は、宇宙を犯しているのだ。
目に見えぬまま、空間は狂い道を開く。
ロミオは、不敵な笑みを見せた。
「この物語は、誰にも読まれることはなく、閉ざしてやる」
愛しあう異形のふたりは、世界の果てを見つめている。
その向こうには、誰もさわれない夜空の彼方に輝く月だけがあった。
愛しあうふたりは、手をあげて銃口を月にむける。
そしてふたりの恋人は、引き金をひく。
読めない本 憑木影 @tukikage2007
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