(6)

転校生が来てから二ヶ月が経った。暑さも少しは落ち着いて、とても過ごしやすい季節になった。もうすぐ中学に入ってから初めての運動会、そしてそのすぐ後には文化祭がある。それに合わせてクラスメイトの髪の色は、日に日に色彩豊かな色に変わっていった。周りの先生たちは最初の方こそ厳重注意をしていたが、あまりの人数の多さに途方に暮れ、そのうち黙認するようになった。男子はピアス、女子はネイルやネックレスで着飾っていて、到底授業を受けられるような格好ではない。おかげで、一回の授業での到達度ががた落ちし、課題が増えるのでこちらとしてはいい迷惑だ。クラス、いや、学年全体がこのようになってきたのは、夏休み明けだった。みんな一学期のうちはちょっとやんちゃな人達だな、というくらいだったのに、今では会って喋る気すら起きない。

そしてもう一つ大きく変わったことといえば。

「柚葉ちゃん、これやるわ。大事に使ってくれや」

「う、うん。ありがとう……」

こいつ(逢坂)の存在だ。逢坂は僕の隣のクラス――つまり柚葉と同じクラスに転入したのだが、こいつが執拗に柚葉に話しかけてくるのだ。それも、先に言った通りの金髪で。こいつのクラスが特に髪染めをする人が多かったのも、おそらく気のせいではないのだろう。柚葉は最初のうちこそさらっと対応していたが、一ヶ月半経ってもそのしつこさは変わらず、僕に相談をしてきた。僕はすぐにでも逢坂と話をつけようとしたのだが、柚葉が「何かあったら怖いから」と言って、それをさせなかった。が、いい加減僕も我慢の限界だ。僕は職員室へ向かい、二組担任の若い女教師に、逢坂の所業を事細かに説明した。先生は細かく頷いて話を聞いていたが、僕が話し終わると、

「まさかあの子が…………、信じられない」

と小さく呟いた。一体あんたはあいつの何を見てきたんだ、と言いたくなったが、ギリギリのところでこらえた。

一礼をしてから職員室の扉を閉めた。先生は「分かりました、じゃあ逢坂君に直接話してみますね」と一応言ってくれたので、おそらく近いうちに収まるだろう。僕はその旨を柚葉にメールした。

するとすぐに返事が帰ってきて、僕は少し安心した。これでまた安定した日々が送れるのだ、と思うと、思わずスキップしたくなった。実際、次の日から逢坂は柚葉を無視するようになった。それと同時に、同級生から僕たち二人への視線が日に日に冷たくなっていくような気がしたが、直接的な被害はなかった。そして、そのまま僕たちは二回目のクラス発表を迎えた。

 でも、逢坂はこんなことで引き下がるような奴じゃなかった。

逢坂は先生の追求をさらっとかわした後に、学年全体に対して、

僕たちの悪い評判をさりげなく流していたらしい。同時に、先生

達ともコネを作って、学校の中で確固たる地位を手に入れた。

あいつの世渡り上手っぷりは半端ではなかった。だから、先生を

うまく懐柔して、クラスの割り振りを自分の都合のいいようにす

ることもできた。そうして出来たクラスは、僕と、柚葉と、逢坂

と、逢坂の手下たちで構成されていた。そして、再び逢坂のアプ

ローチが始まった。今度は去年と違って、周りの生徒も、担任の

先生ですら全員敵だ。さらにタチの悪いことに、標的は柚葉では

なく、僕の方にシフトしていた。多分、そちらのほうが楽だと判

断したのだろう。

嫌がらせは実に多岐にわたった。自分の机と椅子は教室にある方

が珍しかった。スリッパもいつも隠されていたり、中に葉っぱが

入れられていたりした。教室で食事をすると、弁当をゴミ箱に捨

てたあとにそのゴミ箱を差し出され、「喰え」と脅された。体育

の時間の前には必ず体操服が何かペンキのようなもので汚れて

いて、その体操服を着て授業に行くと、先生に叱られ、ずっと笑

われながらランニングをする羽目になった。もちろん授業が真面

目に受けられるはずもなく、生徒たちがぎゃあぎゃあ喚いている

中で、先生が黒板に授業を教えているという体たらくだった。

「僕が授業を受けられないのはいい、ただ柚葉にはまともな授業を受けさせてくれ」

先生たちに何度も懇願した。でも、その声は、教師たちには届か

ず、代わりにクラスメイト達に伝わり、その度に殴られた。

「親に言ったら殺す」と脅され、先生には真面目に取り合ってもらえない。でも、両親と柚葉にだけは迷惑をかけたくなかった。だから、学校を理由なく休むこともしなかった。

 一番しんどかったのは、柚葉と一言も話せないことだった。昔からずっと一緒にいた幼馴染。今も距離は変わらないのに、大きな障壁に阻まれて、会話すらろくにできない。でも、その柚葉の判断は正しかった。だって、僕と話すことで、柚葉までいじめられることになるかもしれなかったから。

そんなみんなにとっての日常、僕にとっての非日常は緩やかに、

かつ激しく進んでいった。

やがて、限界が来た。家を出ようとすると、脳内で学校での惨

状がリフレインして、体がブルブルと震えた。三日ほどはそれを

必死にごまかして登校できたのだが、四日目にもなるともう自分

の部屋から出るのにも拒否反応が起きるようになった。

 ここまでくると、母の目を欺くことなどできなかった。僕は、

母に今日は学校を休むと伝えたあとに、これまで自分が受けてき

たことについて包み隠さず話した。母は、泣いていた。息子がこ

んなに苦しんでいたのに、何一つ気づけなかった自分が不甲斐な

いと。なにもしてやれなかった、と。ひたすら謝っていた。僕は

母のそんな姿を見るのは初めてだったから、とても胸が苦しくな

った。途端に我慢していたものが溢れ出てきた。最愛の家族を、

結果的に苦しめる形になってしまったことが辛かった。柚葉を救

うことができなかったのが悔しかった。大粒の熱い雫が頬を伝っ

た。そして、母の胸に抱きついて泣き続けた。


落ち着いた後しばらくしてから、母が首謀者の名前を聞いてきた。絶対に許さないと息巻いていたが、僕が逢坂の名前を告げるととたんに顔が青ざめた。詳しく話を聞くと、どうやらあいつの

父親は裏の世界では結構名が知れているらしく、教師たちが逆らえないのも無理はない、ということだった。柚葉は、そんなやつに目をつけられたのか――。寒気がした。救ってやらなければと

思った。でも、体は正直だった。一歩もこの部屋から出られなかった。

それからしばらくの間、僕はこの部屋から外に出ることは一切なかった。柚葉とは、週二回電話で話をした。いろんな話をした。僕がいなくなった教室は、途端に平和なモノに戻った、ということ。逢坂はうるさいけど、いい加減もう慣れた、ということ。授業は有名な塾に通っているから心配いらない、ということ。僕を元気づけようとしてくれているのか、とても楽しそうに話をしてくれた。でも、どこか無理をしているような感じがして、それがまた申し訳なく、悲しかった。僕たちは、お互いに励まし合って、悪夢のような中学二年次の課程を修了した。結局、その間僕が学校に行くことはなかった。

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