Triangle tragedy

P.sky

アカシアの花

 出会いは、いつも唐突に訪れるものだ。

 私が彼、高垣陸斗と出会ったのは、中学三年の、六月の事だった。


 「はい、では席を移動してください!」

その合図とともに一斉にクラスメイトが動き出す。私は、ひとつため息をついた。

 「お、ここか」

私の隣に座った男子が、陽気にそんなことを言っている。ご愁傷様、今度の犠牲者はあなたなのね。そんな自嘲をしていたら、

 「これからよろしく、高梨」

いきなり話しかけられてしまった。焦る。そもそも親友以外と話したことがなかった私にとって、初対面の異性との会話など、高すぎるハードルだった。あれ? 人と話す時ってどうしたらよかったんだっけ……? 考えても答えは出てこなかったので、

 「……これからよろしく」

とりあえず彼の言葉を復唱しておいた。人見知りにしては、及第点じゃなかろうか。


 私には、紗耶香という親友がいる。紗耶香とは幼稚園の時から一緒で、いつも一緒にいた。人見知りで、根暗な私なんかとは違って彼女はなんというか、輝いていた。容姿もそうだが、彼女の見せる優雅な振る舞いや言動は、まさしく「大和撫子」だった。私は彼女のことが好きだった(もちろんライクの方の好きだ)。だから、紗耶香の幸せのためなら、何でもしてあげようと心に決めていた。

 紗耶香は、放課後になるといつも私のクラスまで来る。色んな人に「一緒に帰ろう」と誘われているのにも関わらず、紗耶香はいつも私と二人で帰る。それは、ありがたくもあり、また少し迷惑でもあった。紗耶香に近づきたいという人は全員もれなく私のことを邪魔だと思っているはずだ。その証拠に、私は学校でいじめられていた。それでも、紗耶香が隣にいるだけで救われているような気がするから、親友というものは本当に偉大だと思う。今日もご多分に漏れず、紗耶香と一緒に帰っていたのだが、一つ、いつもと違うところがあった。

 「……で、なんでついてきてるの、高垣君は」

 「いや、別についていってるつもりはないんだけど⁉」

高垣君の存在だった。あろうことか、彼は私たちの後ろをずっとつけてきていたのだ。

 「帰る方向が一緒なだけでこんなに言われるとは思ってなかったよ……」

 「ストーカー?」

 「だから違うって!」

 「まあまあ、二人ともその辺で」

紗耶香が私たちを窘めた。ちなみに、七海とは私の名前だ。高梨七海。もう少し地味な名前にはならなかったのだろうかとよく思う。

 「花とか好きなの? 七海は好きって言ってたんだけど」

 「うん、花は結構好きだよ」

 「……ストーカーのくせしてね」

 結局私と紗耶香がいつも別れる交差点まで彼はついてきた。そしてこの日から、私たちは三人で帰ることになった。私は反対したのだが、紗耶香が別にいいと言ったので、結局そうなった。紗耶香が良いなら別にいいけれど。

 不思議な事に、一度話したあとは、自然な会話ができるようになっていた。これなら友達も簡単に作れそうだと思ったが、そもそもクラスの人は私を無視していたから、関係なかった。それでも、休み時間は格段に楽しくなった。男子の考えに長年触れてこなかった私としては、高垣君の発想はすごく斬新なことに思えた。いつも二人でしか出来なかったババ抜きも、三人になることで楽しさが増した。テストの点数も、競争相手が増えたことによって(紗耶香は頭が良すぎて、相手にならなかった)上がったような気がした。周りの人は、そんな私たちを不思議なものを見るような目で見ていたけど、やがてまた無視するようになった。毎日、学校に行くのが楽しみにすらなっていた。

 でも、そんな日々の中で、何か感じたことがない感情が芽生え始めていた。その感情が一気に花開いたのは、夏休みに起こったある出来事がきっかけだった。


 「暑い……」

 「夏だから、しょうがないけどさぁ……」

 「いくらなんでも、暑すぎるよね……」

私たちは、公園に集まっていた。夏休みは学校がないため、必然的に校外のどこかで集まることになっていた。が、照りつける太陽の光が厳しすぎて、私たちはもうすっかりダウン寸前だった。

 「どこか日陰のあるところに……」

 「いや、この気温じゃあ日陰でもしんどいと思うぞ……」

 「だったら、クーラー。どこかクーラーのあるところに……」

 「そうだ!」

紗耶香が、ポン、と手を叩いたので、視線が自然にそちらへ向かう。

 「カラオケに行こう!」

名案だ。カラオケの中はおそらくクーラーがガンガンに効いているはずだから、この惨状も、すぐに解決できることは間違いない。高垣君も異論はないらしく、私たちはその足ですぐカラオケに向かった。……いや、自転車だから足っていうのはちょっと違うか。

 カラオケに着いた。自動ドアをくぐると、期待通りの涼しさが私たちを包んだ。

 「あー! 生き返るわー!」

節電のせの字もないその冷気に、私たちは満足した。とはいえ、ここまで来たのなら、歌わなければ損だろう。私たちは受付を済ませて、個室の中に入っていった。

 まずは紗耶香が、その可愛い声で、演歌を歌った。……いつも思うんだけど、紗耶香ってなんで演歌ばっかりなんだろう。親の影響かな?

 「お粗末さまでした」

歌い終わった紗耶香がそう言いながら、私にマイクを渡してきた。これは私も本気を出さなければ……!


 「ふう……」

歌い終えた。それはもう、全力で。

 「……なんていうか、お前らって、いつもこんなんなのか?」

「……だって、こういう曲しか知らないんだもん」

アニソンを。しかも、萌え萌えなやつ。私はこの曲を選曲したことを後悔しながら、高垣君にマイクを渡した。これでもだいぶマシなのを選んだんだけどなぁ……。そんなことを思っているうちに、彼は慣れた手つきで曲を入れた。画面に出たタイトルは見覚えのないもので、その時点でアニソンでないことは確認できた。やがて歌詞が表示されて……。


 演奏が終了してから、私はしばらく動くことが出来なかった。彼の歌は、それはもう素晴らしいものだった。技術もさることながら一つ一つのフレーズに感情がこもっていて、聞いているだけで涙が出てしまいそうになった。心を震わせる歌は、本当にあったのだ。

 「あれ? 次、誰に渡せばいいんだ?」

陸斗君が、キョロキョロしながらそう言っているのにも、反応出来なかった。紗耶香も同じ衝撃を受けていたようで、その場に妙な沈黙が流れた。

 「どっちも歌わないのなら、俺が歌っててもいいか?」

私たちは黙って頷いた。そして、そこから彼のコンサートの幕が切って落とされた……。


 帰ってからも、胸のざわつきは収まらなかった。たまらなくドキドキして、苦しくて、でもどこか心地いい。こんな感覚、初めてだった。縋るように、インターネットを立ち上げる。今の気持ちを、そのまま検索欄に打ち込んだ。先生に頼りたかった。エンターキーを押すと、世の中で一番信頼している先生は画面に文字を表示した。

 「もしかして:恋」

絶句した。この気持ちが恋心……? なら、私は……、陸斗君に……。

 「ああっ、もう!」

考えるのはやめだ。とにかく今は寝る!

 そう意気込んだものの、結局その日は、眠ることが出来なかった。「恋」という言葉が私の脳内をぐるぐると回って、夢の世界への退路を塞いでいたから。

 そしてその「恋心」は、私の全てを壊していくことになる。


三人で遊ぶ機会はますます増えていった。紗耶香ほどではないけれど、陸斗君も、もうすっかり私の友達と言えるくらいまで、馴染んでいた。そして、その先の関係を望んでいる私が……。

「どうしたの? ぼーっとして」

「あ、いや、別になんでもないの」

紗耶香は、心配そうな顔を浮かべた。

 「……七海、最近いつもそんな感じだよ。辛いことがあったなら、言ってほしいな」

「……いや、本当に、なんでもないの」

やめて。そんな悲しい表情をしないで。

 「そうだな、ストレスを貯めこむのはよくないぞ」

陸斗君も紗耶香に同調した。誰のせいでこんな事になっているんだ……!

 「大丈夫、さ、帰ろう?」

それでも私は、強がる。弱みを見せたくないという気持ちが、私の言動を操る。陸斗君の隣にいるだけで、たまらなく嬉しい。紗耶香が、陸斗君の隣にいるだけで、とても胸が苦しい。

 おかしくなりそうだった。誰よりも陸斗君の近くにいるはずなのに。紗耶香は私の一番の親友なはずなのに。彼を独り占めしたいという気持ちが、この関係にヒビを作る。

 この関係を壊したくない。

 でも、この関係の先に進みたい。

 そんな矛盾に悩みながら、私は必死に取り繕った。体育祭も、文化祭も、三年間の中で一番楽しかったはずなのに、気分がもやもやした。やがて、寒い冬が来た。そして、そんな冷たい時期、私たりの関係に亀裂が入る。


 「どうしたの? こんな所に呼び出して」

私は紗耶香に問いかけた。放課後、珍しく一人だけでクラスまで来た紗耶香が、「話があるの」と私を連れだしたのだ。紗耶香はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

 「単刀直入に言うね。私、陸斗君のこと、好きになっちゃったみたいなの」

言葉が出なかった。よく考えれば当然のことだ。カラオケの日、紗耶香も私と同じ反応をしていた。であれば、その後に感じた感情が同じだったとしても、筋は通る。

 「それでね……。もし良かったら、協力してほしいなって」

 「……うん」

彼女は、私に助けを求めていた。彼とより親密になるために。私は、しばらく声をだすことが出来なかった。葛藤が、頭の中を埋め尽くした。そう、思考を巡らせているうちに、やがて一つの結論に達した。

 「うん、分かった。私に出来る事なら」

紗耶香の表情が、ぱーっと明るくなった。

 「ありがとう! ……ありがとう」

しばらく紗耶香と抱き合った。紗耶香の温もりが、私の冷えた心を温めた。


 次の日から、私は二人と遊ぶのをやめた。原因は、適当にでっち上げたものだった。心配そうにはしたものの、二人共納得してくれた。私がこうしたのには、二つ理由がある。

 一つ目は、紗耶香との約束を果たすため。

 そして二つ目は、陸斗君への恋心を冷ますためだった。

 私は、紗耶香に幸せになってもらいたかった。客観的に見れば、私と陸斗君が結ばれるより、紗耶香と陸斗君の方がお似合いだ。だから、私は身を引こうとしたのだ。

 二人に合わないまま、師走の忙しい時間は過ぎていった。そして、クリスマス前日である終業式まで、話しかけることはなかった。

一人きりで帰る帰り道が、こんなに辛いものだとは思わなかった。家までの距離が、途方も無く長いものに感じた。そして、漸く着いた、無人の家のドアを開けた瞬間、限界が訪れた。

 「誰もいない……」

そう、口に出してしまうと、途端にものすごい喪失感が私を襲った。

私は、一人きりで、泣き続けた。友達と過ごせない、寂しさに。好きな人と会えない、もどかしさに。自分で決めた事で悲しんでいることに対するやるせなさに。そして、今、一人きりである事実に。私は泣き続けた。


 家でぼうっとしているうちに、いつの間にか年が明けていたらしい。いつもなら紗耶香が家に来ているから気づくはずなのに……。

 「…………」

また泣きそうになってきたので、素早く思考を切り替える。そして机の上の問題集に取り組み始め……。

 「七海―? 紗耶香ちゃん来たよー」

 「……え?」

てっきりもう来ないものだと思っていたのでにわかには信じられなかった。下に降りて、綺麗に着飾っている紗耶香を見て、漸く事態が飲み込めた。

 「あけましておめでとう、七海」

 「こ、こちらこそ、おめでとう」

 「遅くなっちゃったけど、初詣」

紗耶香は私の腕を取りながら、ニッコリと笑った。

 踏切の前で止まるまで、私たちは黙って歩き続けた。やがて、紗耶香の方から切り出してきた。

 「私、振られたの」

紗耶香は、晴れやかな表情で言った。あまりにその評定が幸せそうだったので、私はしばらくその言葉の意味を理解できなかった。やがてその言葉を飲み込んだ後、こう尋ねた。

 「どうして?」

それは、多くの意味を孕んだ質問だった。けれど、紗耶香は、その質問には答えずに。

 「七海、陸斗君の事、好きなんでしょ?」

核心部分へと切り込んできた。全てお見通しだったのだ。唐突な奇襲に、私は慌てた。その様子を見て、紗耶香は微笑んだ。

 「ありがとう。私のために」

その言葉の意味は流石に分かった。私は、黙っていた。

 「でも、私はダメだった。七海が手伝ってくれたのに」

私は、ひどくがっかりした。紗耶香が振られたという事実もそうだが、何よりこの状況を心の何処かで喜んでいる自分がいることに。

 「だから、ね」

紗耶香は、一呼吸おいて、空を見上げた。

 「今度は、私が七海を手伝う番」

 「頑張ってね、七海」

彼女は、固まっている私をよそに、踏切の向こうまで渡った。やがて、サイレンが鳴り始め、踏切が閉まっていった。

 「紗耶香!」

私は大声で叫んだ。このままだと、もう二度と会えない気がした。紗耶香は、私に手を振った。そして。

 「七海! ―――――――――!」

名前の後の言葉は、電車の通過音にかき消されて聞こえなかった。そして、その電車が通り過ぎた後、紗耶香の姿はもうなかった。


 冬休みが明けても、学校に紗耶香の姿はなかった。


 「七海が戻ってきたと思ったら、今度は紗耶香がいなくなるんだもんなあ」

 「あはは……」

 二月十四日。私は、陸斗君にチョコレートを渡した。初めて自分で作ったものだったから、形は悪かったけど、彼は美味しいと言ってくれた。

 「ん、じゃあそろそろ行くわ」

 「……うん。またね」

 私は、思いを伝えられないままでいた。この心地よい時間が失われるかもしれないという恐怖もあったが、それ以上に、紗耶香の事が気になって、告白という選択肢には至らなかった。紗耶香は、あの時なんと言ったのだろうか。そればかりが、私の思考回路を支配していた。

 一月は行く、二月は逃げる、三月は去るという言葉通り、時間はあっという間に過ぎていって。

 そして、卒業式を迎えた。

 校長や教職員の退屈な話を耳にしながら、私はこれからのことについて考えていた。彼は、どうやら遠くの学校へと行ってしまうらしく、今日を逃すとおそらくもう会うことはできなくなる。だから、私は彼に言った。

「卒業式が終わった後に、校庭の隅に来てほしい」と。


昨晩に雨が降ったらしく、校庭は少し濡れていた。

「こんな所に花壇なんてあったんだな」

彼がそう言っているのにも、全く反応できないくらいに、私は緊張していた。一つ、二つと深呼吸をする。

 「あのね、私ね……」

陸斗は、こちらを見ている。私の意図に気づいているかはわからない。

勇気を出せ。踏み込め。逃げるな。

 「プレゼントがあるの!」

違う、先に好きって言わなきゃ。

 「はい、これ」

アカシアの花のペンダントを渡す。

 「おう、ありがとう」

 「東京に行っても、私の事、忘れないで」

違う。言いたかったことはそんなんじゃなかったはずだ。好きって言わなきゃ。付き合ってくださいって言わなきゃ!

 「――だから、元気でね、バイバイ」

私は彼に背を向けて走りだした。目から涙が止まらなかった。自分が情けなくて仕方がなかった。でも、どこかで安心している自分もいた。

 だって、これで私は「彼を愛し続けることができる」んだ。まだ恋は終わっていないんだ。

 だから私は――。


 それから、年月が経った。私は、フラワーショップの店員になるという夢を果たし、花屋で働いていた。もとより花が好きだった、というのもあるが、なんとなく、彼が花を買いに来るような気がした、というのも理由の一つだった。思わず自分で自分を笑ってしまう。そんな根拠もないことを理由にするなんて、子供の時は一途だったなぁ、と……。

 「いらっしゃいませー」

花屋になった今なら分かる。あの時、アカシアを渡したからダメだったのだ。だから、今度あった時には、バラの花を渡そう。

 「久しぶり、七海」

 昔と変わらない声が、花屋に響いた。


 アカシア―花言葉「秘密の愛」

 バラ―花言葉「あなたを愛しています」

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