第11話 彼女のことを覚えていなかった俺は最低だ。
「ふう」
俺は応接室のドアを閉めるなり、ため息をついた。
横にいた警察官に軽く頭を下げ、校内を歩き始める。
前はしばらく行けば、近くに高塚がいたはずだ。
俺は現れるのを予感しつつ、足を進ませる。
「二回も聞かれるなんて、大変ね」
案の定、聞き慣れた声が俺の耳に届いてきた。
階段の角にある壁に寄りかかり、高塚が待ち構えていた。
俺は足を止めた。
「三年B組の古川先輩と柳田先輩は、シロだったか」
「そうね」
「後はあれか。その二人の先輩から、他に覚せい剤を使ってた奴とかを炙り出すってところか?」
「さあ、どうかしらね」
「まさか、高塚とかは心当たりがあったりとかな」
俺は口にしてから、「ちなみにこれは俺のひとり言だ」と前置きした。高塚に話しかけると、罰を受けるからだ。
「あったとしても、嫌いなあなたに教える気はないわ」
「本当に俺のことを嫌い嫌いと言うけどさ、高塚は本当に、俺のことが嫌いなのか?」
俺は高塚と視線を合わさずに言ってみた。一応、ひとり言という体裁でだ。
「八坂友則くんは、本当に気づかないのね」
高塚は言葉をこぼすなり、呆れたような表情をした。
「小学校四年生の時」
俺はただ、反応せずに黙って耳を傾けた。
「丘の上にある公園の砂場でいじめられていたあなたを助けたのは誰かしら?」
「えっ?」
俺は驚きで、思わず高塚の方へ視線を移してしまった。
一方で高塚は、俺としっかり目を合わせてきていた。
「思い出したようね。八坂友則くん」
「お、お前って、まさか、あの時の、シノ、なのか?」
「そこまで怯えることじゃないでしょ? 久しぶりの再会で喜ぶところでしょ? そこは」
高塚は黒く艶のある髪を手でなびかせ、俺の方へ近づいてくる。
間違いない。高塚は間違いなく、シノだ。
シノは、小学校の時に仲がよかった子で、中学校へ入る直前に転校してしまった。
まさか、高校になって、戻ってきたとは知らなかった。
「クラスメイトにまでなっていたというのに、あなたは、まったく気づかなかったようね」
「いや、それはその、人間というのは、そこまで記憶力があるというわけでもないしさ」
俺は適当な言い訳を作ってみたが、高塚にはまったく効いてないらしい。冷たそうな眼差しで俺をじっと見ていた。しかも、踵が触れそうな至近距離で。
「まあ、いいわ」
高塚はやや距離を取ると、両腕を組んだ。
「わたしは、あなたのことが嫌いだから」
「ちょ、ちょっと待て。それはあれか? 俺がシノに気づかなかったからか? それだったら、謝る。この通りだからさ」
俺は重ねた両手を掲げ、頭を深々と下げた。
だが、高塚はただ、一言、「ダメね」とこぼすだけだった。
「それに、その様子だと、わたしとした約束も忘れているようね」
「約束?」
「再会したら、わたしを将来のお嫁さんとして、付き合ってくれるんじゃなかったのかしら?」
「そ、そういえば、そういう約束もしたような」
「したわよ」
高塚は不満そうに語気を荒げた。
「八坂友則くんは、本当にわたしのことをきれいさっぱり忘れたようね」
「その、あれだ。色々とあってさ。特に高校受験なんかさ、受かるかどうか不安で不安で仕方なくてさ、それだからさ……」
俺は曖昧な口調になり、何とかごまかせないかと頬を指で掻きつつ、頭を巡らす。
「そもそも、確か、その約束って、シノが強引に約束させたような記憶があるんだが……」
「そう。わたしとは、結婚するどころか、付き合う気さえないということね」
「待て待て。それじゃあ、まるで、俺がシノをフったみたいでさ」
「実際、そうでしょ?」
高塚は鋭い眼差しを俺の方へ送ってきた。
「わたしにとっては、トモくんに忘れられたことが、フラれたことと同じくらいのことと思っているわ」
「久しぶりに聞いたな。そのあだ名」
「あら? 仲のよかった桜井くんからは、そういう呼び名はなかったのかしら?」
「いや、男子で高校生になって、そういう呼び名はさ……」
「恥ずかしいというわけね」
高塚は俺から目を逸らし、背を向けてしまった。
「とにかく、わたしは八坂友則くんから忘れられてしまったことに対して、すごくショックを受けていたから」
「その償いは、何とかできないのか?」
「無理ね。わたしはもう、幻滅しているから」
高塚は言うなり、そばにある階段を昇ろうとした。
「だったらさ、何で、わざわざ俺の前に出てくるんだ?」
俺の問いかけに、高塚の足が止まった。
「そんなに嫌いならさ、もう、俺のこと無視しすればいいだろ? それだけで十分だろ?」
「八坂友則くん」
高塚は振り向かずに、淡々と俺の名前を呼んだ。
「そうしたら、わたしがどういう気持ちになるのか、わかるのかしら?」
「どういう気持ちって、無視してれば、俺はシノのことに気づかないし、再会していたことすら、気づかないし、あっ」
「そう。わたしは先に無視されていたのよ。八坂友則くんに」
高塚は口にすると、耳に息を吹きかける罰をせずに、階段を昇っていった。
高塚の姿が見えなくなると、俺は足元をぼんやりと見つめていた。
「そうか……」
俺は廊下でひとり、つぶやいていた。
「俺はシノのことを無視していたのか。自分で気づかずに」
言ってみてから、俺は罪悪感が体中に湧き起っていた。
俺は高塚より最低なことをしていた。
せめて、本人のことに気づいてあげられれば、よかったのではないか。
俺は頭を抱えたが、既に遅いことは、嫌でも感じざるをえなかった。
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