ep.20 はるかな

「えっと、桜木総合病院は……っと」


 ラジオからは今日が三月で最も温かく絶好の行楽日和だと楽しそうに話す女性の声が流れている。それを受けてか、なんたって今日は天気のいい日曜日だからな、と男が漏らす。

 見上げた先には、フロントガラス越しに雲ひとつないとは言わないが、気持ちの良い青空が広がっている。


「病院の後は天気も良いからドライブも兼ねて東京まで行くつもりだったけど。まさかあいつらからこっちに来てくれるなんてな」


 先程から男は誰が聞いているという訳でもないのに一人ごちている。時折混じる鼻歌も彼がご機嫌である事を物語っている。

「どこだぁ、桜木総合病院は」

 指先と目線を忙しなく動かしながら、男は再びそのセリフを口にした。先程よりも微妙に口調が乱暴にはなっているものの口の端にはまだまだ余裕が見て取れる。


「いい加減憶えて。伏見沢霊園の隣」

 すぐ隣、つまり助手席から呆れたような少女の声が飛んできた。今この場においては、少女は男性よりも幾分か機嫌が悪いようだ。

「カーナビなんか使わなくても憶えてよね」

 男はその要請に一瞥すると

「子供にはわからんだろうがあの辺は一通が多いんだ」

と反論の意を示した。少女が何のことやら、と首をかしげると男は勝ち誇ったように鼻の穴を広げた。


「それにしても毎回思うけど、病院と墓が隣同士だなんて縁起が悪いな。建設の時に何とも思わなかったのかよ」




「ちょっと寄ってっていいか?」

 前面に白く大きな建物が見えた頃、男が隣の少女に投げかける。少女のどこへという質問には答えることなく、男は車を降りると始めから決めていたかのようにずかずかと進んでいく。

 徐々に広がる光景に、少女は進む先は病院ではなく霊園だということだけは理解できた。数百基もの御影石が並ぶ中、男は慣れた足取りで進んでいく。少女は黙ってそれに従うほかなかった。

 奥まった区画、脚を止めた男が見つめる先にある一基の墓。まだ火のついた二本の線香と供えられた仏花が、極近いうちに先客がいた事を静かに物語っていた。墓石に刻まれた名前、それは日記でも登場しなかったものだった。


「誰のお墓?」

 線香を供え手を合わせた後、少女が静かに尋ねた。


「お父さんとお母さんが出会うきっかけを作った人……かな」


 男は少し悩んだ後、言葉を選ぶようにゆっくりと答えた。

「大切な人なの?」

 その言葉に、考えてもみなかったというように眼を広げ、大切……か、と呟いた。

「決して感謝してはいけないけど、父さんと母さんが出会うには必要な人だったから、そういう意味ではやっぱり大切なのかな」

 きょとんとした表情の少女を見ると、微笑みながらその頭に手を乗せた。

「まぁ湿っぽいのは終わりだ。母さんに会いに行くぞ」

 その足取りは行きよりも更に軽くなっていたようだった。



 辿り着いたロビーの先には三十代中盤、つまり男と同年代と思われる男女が立っていた。

 男性のほうは特に取り立てる所のないどこにでもいそうな男性。ただ一目見ただけで「良い人そう」なことだけは伝わってくる。また、良く良く見れば一度や二度くらいはテレビで見た事がある、と気が付く者がいるかもしれない。

 目を引くのは隣の女性。男よりも少しだけ低い身長、ふくよかと形容できる恰幅の良さにもかかわらず、まるで現役のモデルでもやっているのかと問いたくなるような容姿と佇まいを醸している。とはいえ露出が多いとか派手に着飾っているというわけではなく、服装だけでいえばニットカーディガンというどちらかといえば地味な印象だ。

 小脇にはそれまで羽織っていたのであろう紺色のウールコートが抱えられているだけでブランド物のバッグも、ダイヤの大きな指輪もそこには無い。それでも彼女から気品や華やかさ感じるのは、外面ではなくもっと内側から溢れるものの影響だろう。

 二人は少女とともに近づいてくる男に気が付いたようで、頭を下げる。

 それに合わせて男は右手をさっと挙げた。



「おお、さぬっきー久しぶり」

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