第4話 03:夜明け
「あっ、ねえ思いついた! 隙を見て、私がアリスの身代わりになるのは?
どうせ夢だし、夢の中で死んでも精々寝覚めサイアクってだけじゃないかなあ。
だからさ、私が代わりになって処刑されるの。どうにかして」
「でも、ヒナ。
それでも私から見たら、ヒナが私の代わりに死んでしまったとしか思えないよ」
「そうかぁ……そうだよねぇ。うーん……」
何か良いアイディアはないか、あれこれ考えていた時だった。
階段の先で扉の開く音、数人の足音と話し声が階段の上から響いて、にわかに不愉快な音で地下牢は満たされる。
「な、なによ。なに? も、もう裁判?」
「いや、裁判は朝だ。まだ時間がある」
アリスが冷静に言う。
やや間があって、階段の影から兵士たちが現れた。
四人居て、そのうち一人は三人の兵士に支えられるように立っている。
と言うより、ほとんど引きずられている有様だ。
いや、違う、その一人はもう兵士じゃない――。
「……ハイト!」
悲鳴に近い叫びを上げてしまう。
三人の兵士たちに引っ立てられたハイトは、見るも無残なボロ雑巾状態だったのだ。
よく頑張った、と思う。あのチキンラビットとは思えない健闘ぶりだ。
健闘したのじゃなくて一方的にボコられていた可能性は大いにあるが。
「ハイト!? ハイト! 無事なのか!?」
私の叫びのあと、見る間に取り乱してアリスは階段のほうへ身を乗り出さんばかりに近寄った。
不安定な平衡を維持していた鳥篭が重心の急な移動に傾いたが、地面から支える三本の鎖がどうにか吊り合いを保つ。
耳を刺すような金属音がひと時騒ぎ、やがて静まる。
「う……」
ハイトから小さな呻き声が聴こえ、ひとまず安堵した。
一応死んではいないらしい。
アリスは今になって目隠しにもどかしさを感じたようで、目元を夢中で肩先に押し付け、背中に回された手枷に抵抗を示した。
兵士たちは初めて見る罪人の反抗的な態度に驚きを示し、次いでニヤニヤと嫌らしい笑いを浮かべる。
ようやく溜飲が下りたと告げる底意地の悪そうな顔だ。
「いや全く、ハイトには驚かされるぜ」
「そうそう、見直したぜうさぎちゃん!」
「あのよわっちいハイトが、まさか国一番の重罪人の仲間だったとはな」
「犯罪にかけては国一番の魔女も、男を見る眼はなかったってことか」
「まあ、遅刻しすぎの罪で罰せられるよりも花々しく散れて、兎の里の兵士としても鼻が高いんじゃないか?」
「うわーうさぎちゃん、かっこいー! ほれるー!」
ハイトの同僚だろうか、わけのわからない罵詈雑言を並べ立てつつ私の居る牢を開け、ゴミでも捨てるみたいにハイトを投げ入れた。
がちゃん、としっかり錠がかかる。
「こいつの駄目さには迷惑していたんだよ。いい気味」
なんて古典的なのだろう、ぺっと唾を吐き捨てて去っていった。
「ヒナ! ヒナ、ハイトは。ハイトは無事!?」
「ぶ……無事っていうか……命に別状はなさそうだけど」
傷だらけとは言え軽傷ばかりだし、気を失っているけどひどい打撲などは見当たらない。
疲労とかが出ているんじゃないだろうか、よく眠っているようにも見える。
そう伝えると、膝立ちでこちらのほうへ耳を傾けていたアリスはへたりと脱力し、溜め息を吐き出した。
「よかった……」
その声が予想外れに弱々しくて、彼がこんなにされてしまったのは気の毒だけど、なんだか羨ましくなる。
恋とかな。淡いな。
「どうする? 起す?」
「いや、いいよ。眠っているのだろう?
寝かせてやってくれ。彼、きっとよく眠れていないのだから」
「ああ、うん……わかった。放置しとく」
ちぐはぐに投げ出された四肢をそろえて、安静に寝れそうな姿勢に直してやる。
衣類はあちこちぼろぼろだし、髪もぐちゃぐちゃ。
顔は土や血で汚れて、どこからどう見ても惨敗だ。
「頑張ったんだなあ……」
こうなってしまったってことは、結局ニワトリのお化けには勝てなかったのだろう。
結果として私たち二人とも掴まってしまい、アリスを助ける手立ては今のところは皆無だが。
「……逃げなかったんだ、ハイト」
「意外か?」
私の呟きに、アリスが問うた。
彼女はもう平静を取り戻し、鳥篭の安定する位置まで戻っている。
本当は手足の枷を引きちぎってしまいたいほど、ハイトに手を伸ばしたいのだろう。
声はやっぱり、まだ震えが残っている。だけどあっぱれ、その落ち着きぶり。
とても私と同じ十六歳とは思えない。
「意外っていうか、逃げてもよさそうなのに。彼のヘタレっぷりを見ると」
「ヒナ。お前は見る目がないな」
「なっ!?」
嘲笑すら混ざった言葉に面食らう。
アリスの声は楽しそうだった。いや、誇らしげだった。
「彼は逃げないよ。一度決めたことからは。
だから心配でもあるし、頼もしく思えるんだ。
ねえ、彼が逃げようとするところ、見た?」
「う。そういえば、見てない」
確かにハイトは逃げ腰ではあったけど、アリスを救うという目的に向かって後退したことはなかった。
そして今、現にアリスのすぐ近くまでたどり着いている。
たとえ二重の鉄格子に阻まれていても、傷だらけで意識を失っていても。
アリスのそばに、来た。
「私は彼のそんなところが好きなのだ。
決して逃げないところ。泣き言吐きつつやり遂げるところ。
情けないし、女々しいし、正直うざいと思う瞬間もあるけれど、そんなときも含めて、一緒に居ると安心できる彼が好きだ」
「……なんかほんとに兎みたいな奴だなあ」
ここまで言われてしまうとは。
赤面通り越して糖尿病になりそうだ。甘い甘い。
「ヒナは、兎は嫌い?」
「あー……ううん、好き」
「そうだと思った」
「な、なにさ」
「でも、そこの兎は私のものだから。覚えていて。私が死んでも、彼は私のものだ」
「……何を」
何を急に、言い出すのかと思った。
「そう思えば、大丈夫さ。私は」
ハイトはアリスが死んだあとも、アリスのことを好きで居るから、だから死んでも大丈夫。
という理屈なのだろう、正直「はあ?」とか思わなくもないけれど、死にゆく人がそう思えるならそれでいいのかもしれない、という考えも頭をかすめる。
もう、手立てはないのだろうか。
鳥篭牢の真上の空が明けつつある。
空がピンクに染まり行く。
まるで血を溶かしたみたいな色じゃないか、不吉な予兆に首筋が寒くなる。
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