第4話 04:女王の黒猫


 *  *  *


 三年前も――

 城は、今と変わらぬ絢爛と豪奢を内包し、百花繚乱と咲き誇っていた。


 一室に、背の高い黒髪の少女と、幼くして国を背負う女王が向かい合っている。


「夢が、罪――?」


 当時教養を持たなかったダイナには、それを理解することは難しかった。

 自分よりも年下で、力も弱く背だって低いアニーは、しかし教壇では彼女よりも頼もしく見える。


「ええ。そうですよ、ダイナ。この国では、夢を見ることは禁じられているのです」


「でも、女王様。

 夢なんて、自分で見ようと思って見るものじゃないじゃないですか」


「そうですね」


 アニーは微笑む。


 馬鹿にされているような気がして、ダイナは不機嫌になって、一刻も早くこの教室を出て行きたいと思う。

 ダイナは拾われて以来、女王の側近となるべく武術を学び、そしてアニー自らの手によって学業を教えられていた。

 これは特殊なことである。

 城の使用人の誰も、直接アニーから物を教わったことのある者は居ない。


「じゃあなんで罪なんだよ。そしたらあたしだってハンザイシャだ」


「ダイナ。そんなことを言わないで」


 五歳も年下の少女に嗜められてしまう。


「夢を見る――それは、誰にもあることだわ。あたくしだって、同じよ」


 胸の上に手を当てて、正直であると誓うような仕草をしながら彼女は言う。


「でもね、この国の人たちは時折、その夢を現実にしてしまうの」


「なにそれ?」


 ダイナは笑い飛ばした。

 そんなことが出来たら、自分は孤児でもなく、窃盗や恐喝を繰り返すこともなく、裕福な家庭で愛されて育ったはずだ。


 ――でも、そしたらアニーと出会っていない。


「これは、この国の重大な秘密ですよ、ダイナ。

 約束してください。他の誰にも、言ってはいけません」


「わ、わかったよ」


 刺すような瞳の光に圧されてひるんでしまう。


「ほんと?」


「うん……」


「じゃあ、指切りを」


「えっ?」


 幼い女王が白いシルクの手袋を外し、素肌の小指を差し出してくる。

 ダイナは、彼女の一度も傷を負ったことのないような肌に、怯えにも似た感情を抱いた。

 自分自身が、この指を傷つけてしまったらどうしよう。

 美しさは人に、その終焉のときを予感させ、恐れを抱かせる。

 この少女もそれと同じだ。

 ダイナは、アニーに触れることが怖い。


「約束、してくれないのですか?」


 不安そうに眉を寄せ、アニーが見上げてくる。


「するっ、するよ。だから……」


 だから、そんな顔しないで欲しい。


 そう言いたくても、咄嗟に声が出なかった。


 仕方なく小指を彼女の指に絡める。

 近づけると、自分の肌の汚さが目立つようで悲しい気持ちになった。


「ありがとう、ダイナ。……あなたの手、温かい」


 指切りを終えた掌を、女王が両手で包み込む。

 ダイナは、拾われた時を思い出し、胸がきゅうとなるのを感じた。

 嬉しさが、どこか切なく、胸を締め付ける。

 身に余る幸福は、ときに不安を抱かせる。


「それで、説明してよ、女王様」


「ええ、ごめんなさい。続けますね」


 手をひったくって解きたくても、彼女の手を痛めてしまうのが怖くて、乱暴に振舞えない。

 女王はやっとダイナの手を解放して、教卓の前に立った。


「心の強い者は時に、夢を現実に持ち込んでしまうのです。

 心の強さゆえに、その者の願望や、不安が、現実に反映してしまう。

 この世界はとても脆いのです。

 人一人の意思で壊れかねないほど、頼りないものなのです」


「そんな……」


 今生きている世界が一個人にどうこうできるものとは、とても信じがたい。

 それはとても恐ろしいことだ。


「だからあたくしたちは、夢を罪として戒めるのです。

 国民たちの罪悪感を、利用するのです」


 アニーはそう言いながらも、瞳に強い意志を秘めていた。

 自分の行いを正義と信じる眼差しだ。


「国民たちは、夢を見ると罰せられると知っている。

 そうすると、彼らは夢を見たときに、これは夢じゃない、と思い込もうとします。

 罪を犯したと思いたくないから、夢を見た事実を否定し、夢など見なかったと思い込みます。

 そうして、夢を打ち消します。

 夢は否定され、現実への影響力は限りなく無に近づきます」


「それで、守れるのか? この国が」


「ええ。あたくしたちはこの方法で、永きに渡り国を守っているのです。

 国民たちの夢を摘み、災厄から逃れているのです」


「本当に、それだけのことで?」


 ダイナの純粋な疑いに、ふとアニーは目を伏せた。


「時折、ごく稀に、います。とても聡い、あるいは意思の強い人間が。

 夢は法で縛られるようなものではないと、この国の仕組みに疑問を持つ者が――」


「そしたら、どうするんだ?」


「捕らえます」


 女王ははっきりと答えた。


「捕らえて、尋問を行います。本当に夢を見たのかと。

 ……多くの場合、こうすることで彼らは夢を否定し、今後もそうするようになり、現実への影響力を失います」


「……そうならなかった場合は?」


「そうなるよう、あらゆる手は尽くしますが……最終的には、極刑です」


「そんな……」


「理解してください、ダイナ」


 アニーの眉間に皺が寄る。

 耐え難いと言うように、唇に力が篭っている。

 小さな体でアニーは、幼い頃からこの国の秘密を守り、そうすることで国を護ろうとしてきたのだ。


 彼女の強さに胸打たれ、ダイナは言葉を失う。

 そして同時に、自分がどれだけアニーに信頼を寄せられているのかを理解した。

 それは心臓が破裂してしまいそうなほど大きな喜びだった。


「――はい、女王様。……我が主。あなたを信じます」


「感謝します、あたくしのダイナ」


 両手を胸の前で組み合わせるアニー。

 ダイナは彼女の足元に跪き、忠誠を誓う。

 このとき二人の間に硬い結束が結ばれたのだ。



 ――それから時が経つこと、三年。


 恐れていたことが起こった。


「――アリス? 鏡の森のアリス?」


「ええ。彼女は、夢罪の咎人かもしれません」


「あの、アリスが――」


 アニーの悲痛な声が報せる。

 ダイナにも聞いたことのある名だった。

 両親を火事で失いながらも、その悲しみから立ち直り、十六歳の若さにして紅茶や薔薇栽培で生計を立てている気丈な少女。

 彼女の作る紅茶は一級品で、薔薇の咲き誇る庭は見事だという。

 城へまで国民の評判が聞こえてくる、気立てのいい娘である。

 だがその全てが、不吉な予感を裏付ける要素にもなりえる。




「罪人アリス。貴様を夢罪により逮捕、連行する――」


 あの日。

 ダイナもアリスの屋敷へ向かった。

 アリスは一切抵抗することなく、自らその身を差し出して、大人しく従った。


 ダイナには気味が悪かった。

 言いがかりともいえる罪状をつきつけられ、どうしてそれを受け入れる?

 いくらでも言い逃れることはできるのに、何故そうしない?

 アリスは家に戻り、紅茶を淹れ、刺繍をしながら兵士の到着を待っていた。

 いくつもの足音と硬いノックの音が彼女を迎えに来る。

 アリスは一切の抵抗を示さなかった。


 ――投獄前、ダイナはアリスに尋ねた。


「本当にお前は夢を見たのだな? 間違いないのか?」


「相違ありません」


 アリスは躊躇いもなく答える。


「牢に繋げ。裁判の準備をしろ」


 ダイナは兵たちに告げた。


 長い間現れなかった罪人の訪れは、城中を大いに動揺させた。

 長らく封鎖されていた地下牢の扉が開かれる。

 一体、以前に人の足が入ったのは何十年前だろうか。

 苔むした石階段と、錆だらけながらに強靭さを失わない鳥篭牢が、罪人を迎えた。

 冷たい水を浴びせられ、粗末な服を着せられ、暗く湿った地下に五体と視覚の自由を奪われ投獄されても尚、アリスは罪を否定しなかった。


「私は夢を見た。間違いない。夢を見たよ」


 兵たちはその言葉に怯え、アリスを魔女だと噂した。


 ダイナも彼女が怖かった。

 鳥篭牢の中、泰然としている彼女の姿が不吉なものに思えて仕方がなかった。

 




「ついに現れてしまったのですね……」


 報告をした寝室で、悲しげにアニーは嘆く。

 足元から崩れおちそうになる彼女の肩を支えてベッドに運び、ダイナは言葉を続けた。


「裁判の準備を進めています。……彼女は、夢を否定するでしょうか」


「分かりません。

 そうしてくれると、彼女にとっても、あたくしたちにとっても、幸福な結末が訪れるでしょう」


「そうならなかったら――」


「……そうならないよう、力を尽くしましょう」


 アニーの顔色は真っ青だ。

 しかし瞳から強い光は失われていない。

 恐れを抱きながらも、決してそれに屈せず、罪人をも慮る少女をダイナは誇りに思う。


 アニーたちはアリスが罪を否定し冤罪を主張することを期待し、翌日牢獄を見舞った。

 しかし魔女めいた哄笑が、彼女の処遇を決定付けることとなる。


「愚か者め……」


 ダイナは女王の好意を台無しにした罪人の牢を見上げ、呟いた。


 

 ――そして、時は来た。



 豪華絢爛、百花繚乱。

 城の庭に立てられたガラス温室に、色が溢れている。


 散歩する少女の紅色の髪に豪奢なドレスの純白が映える。

 花びらも羨む唇が、ほんのひと時、ゆるやかに笑みを作りだす。


 フェイランド王国三十一代目女王、アニー・F・フェイランド。


 傍らには黒衣の従者ダイナが控えている。

 一国の王は憂い顔で目を伏せる。

 少女の歳相応に抱く心細さが表情ににじみ出ていた。


「いよいよ明日……。罪人には、可哀想ですが」


「女王。お言葉を慎んで下さい。どこで誰が聞いているか解らない」


「でも、ダイナ。彼女は……」


「女王陛下。アニー様。必要なことです」


「そうでしたね……。っ」


 色彩様々な薔薇を愛でる少女のか細い指が、ふと棘に触れてびくんと跳ねる。


「陛下っ! お怪我を!」


「ダイナ、大げさだわ、」


 あ、と女王が吐息した。


 ダイナは膝をつき姿勢を低くすると褐色の指で少女の真白な手を包み、血を滴らせる指先を口に含む。

 血の味、そして少女の低い体温を舌先に感じる。


 ん、と耐え難いようにこぼれた声に気付き、従者ははっとなって少女を解放した。


「も、申し訳ありません! 私、どうかしていた――」


「いいえ、ダイナ。礼を言います。

 驚きで、痛みなどどこかへ飛んでしまいました。悩み事も一緒に」


「アニー様……」


 いたずらっぽく微笑む主の顔が、恥ずかしくて見ていられない。


 ダイナは狼狽する。

 咄嗟のこととは言えなんという出すぎた真似を。

 人が後悔で死ねるなら即死していることだろう。


 傅いたまま顔を上げないダイナの黒いウルフヘアを、アニーは華奢な指先で撫でた。

 屈強な従者の肩が怯えたように竦む。


「裁判は、もうすぐ……。

 きっと何か起こるでしょう、無事には進まないわ。

 あたくしを守ってね、ダイナ」


「仰せのとおりに……、我が主」


 深く頭を垂れる。

 薔薇の香りのする園で改めて忠誠を誓う。


 彼女と彼女の国のため、命を捨ててもアニーを守るのだ。

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