第3話 05:罪人と侵入者


*  *  *


「迷路は抜けた……けど……」


 無事にゴールへたどり着いた。

 もちろん一直線に進んできました。

 けれど、城の内部も広大で迷路のように入り組んでいる。


 私は一人足音を忍ばせながら、大理石とかそんな感じの高級感溢れる床をこそこそ進んでいた。


 幸いなことに、誰とも会わない。

 しかし不幸ながら、誰かに道を聞くこともできない。


 適当に、

『新米侍女です迷っちゃったテヘ』

 とか言ったら切り抜けられる気がする。

 だって私の夢だし、それくらい都合ついてくれてもいいのになあ。


「アリス……囚人……牢獄? 城内に牢って……あるのかなあ」


 だんだん不安になってきた。


「あら、あなた、どうしたの?」


 びく、と無意識に身体が硬直した。

 砂糖菓子のようなころころとした甘い声が背後から問う。

 私は一つ深呼吸して、表情を繕って振り返った。


「わ、わたし、新入り侍女で……道に迷っちゃったんですぅ。

 ……お城にまだ慣れなくて」


 かっこ汗かっこ閉じ、を語尾につけるつもりで言ってみた。


 振り返った先に居たのはシンプルだけど質の良さそうなワンピースを着た少女。


 頭に被った頭巾から明るい色の髪がこぼれていた。

 この子は本物の侍女だろう。

 手には金属のバケツを持っている。


「そう。解るわ、私も昔はよく迷ったもの。おいで、どこに行きたいの?」


「あ、ええと、囚人の世話をしろって言われて……」


「じゃあ、地下牢だわ。足元、暗いから気をつけてね」


「ありがとう」


 歩き出した少女の後を追う。

 おお、都合ついてくれた。


「恐ろしいわよね」


 歩きながら、少女が呟いた。

 背を向けられているので表情は解らない。

 唐突だったので、何の話かと思った。


「あ、囚人がですか。そうですよね、うんうん」


「夢罪、だなんて。人をむやみに傷つけ、国を混乱に陥れる悪しき行為」


「でも、なんか大げさじゃありません?」


 ばしゃ、とバケツの中の水が跳ねた。


 少女が急に立ち止まったのだ。


 彼女の大きな瞳が、恐れるように、嘆くように、動揺して揺れる。

 まずい、地雷だったか。


「だ、だって罪人一人に厳重すぎじゃないですか? 扱いだって……」


「いいえ。罪人は、罪人として扱われて当然なのですから。

 なぜ、優遇する必要がありますか。彼女は害悪なのです」


 ひどい言い草だった。


 しかも、今の言葉でアリスの扱いが良好なものではないと解ってしまった。


 急に不安になる。

 ハイトは自分を責めるだろう、かわいそうに。なんだか胸が痛い。


「あなた、名前は?」


「あ、ヒナです」


「ヒナ。惑わされてはいけないわ。解るわよね?

 あなたもこの国の民ならば……なにが正しいのか」


「はあ、まあ……」


 私はこの国の民じゃないのでわかりません、と心の中で舌を出す。


 再び歩みを進める少女のあとをひたすら追った。

 来た道順は覚えていない。無事に帰れるだろうか。


 早くハイトが巨大鶏をやっつけて来てくれればいいのに。

 あんなに頼りなく感じていたはずのハイトが今となってはすごく恋しい。


「この扉の向こうが地下への階段です。灯りはある?」


「あ、じゃ、これで……」


 鞄から携帯を取り出して電源を入れる。

 心許ないけど、一応明るくなるんじゃないだろうか。


 ふと見ると、赤毛の少女がびっくりした顔で興味深そうにこっちを見上げていた。

 素直な反応、なんか可愛いぞ。


「それじゃあ、行きましょう」


「あ、一人で大丈夫だけど……」


「いいえ、私も囚人に用なの。お水を運んでいるのよ」


「ああ、そのための水なんだ」


 手の開いている私が分厚い扉を開けた。

 途端に風が吹き込んで私の髪を乱暴に撫でていく。


「行きましょう」


 少女の声が地下への入り口に玲瓏に響いた。


 なんだか、私の中の侍女のイメージとはかけ離れて優雅な物腰である。

 城の使用人はみんなこんなふうに教育が行き届いているのだろうか。

 だとしたら女王サマって随分スパルタだ。

 もしかしてピンヒールでボンテージで、蝶々マスクで高笑いなのかもしれないなあ。

 って、それは別の女王か。


「そのたいまつは、ずいぶん小さいのですね」


「ああ、うん、最新型」


「まあ。存じなかったわ」


「秘密だからね。特別にもらったんだ、女王サマから」


「まあ!」


 少女の驚いた顔が可愛くて、ついつい嘘を重ねてしまう。

 携帯のディスプレイは暗い通路を確かに照らしてくれてた。

 文明様様、といったかんじ。


 螺旋状に下り続ける石の階段は冷たくて、アリスはこんな寒いところに居るのかと思うと、居た堪れない。


 私は初めて目にした彼女の姿を思い返した。

 端整な横顔、豊かになびく銀の髪。宝石みたいな女の子。

 落ち着きのある華やかさを持った、浮世離れした少女。

 こんな場所でたった一人で、冤罪を着せられて、掴まってからたった二日とは言え、そのストレスたるや多大なものだろう。


 だけど、あのアリスだ。

 余裕の微笑みで全ての困難をかわしているかもしれない。


 助けるという目的を抜きに、私は純粋に、アリスに会いたくなっていた。

 悠然と微笑む、どこまでも澄んだ硝子のように美しい淡青色の瞳に、もう一度。


*


「着いたわ」


 そう言った少女の肩越しに見た光景に私は息を飲んだ。


 巨大な鳥篭がそこにあった。


 頭上からまっすぐに降り注ぐ日差しに照らされた、目隠しの囚人。

 粗末な服を着せられ、手足の自由を奪われ、そして――


 そして、なんともったいないことに、彼女の美しいプラチナブロンドは無残にも耳の辺りまで切り落とされ、少年めいたショートカットになってしまっている。


 見れば床に無造作に銀糸が散らばっていた。

 彼女の髪の成れの果てだ。

 印象深かっただけに衝撃が大きい。


 あの優雅な彼女がこんな姿になってしまうなんて。


 目隠しのせいで表情どころか、眠っているのか起きているのかも解らない。

 不安定な鳥篭に座りこんで、頭を俯かせ無防備に白いうなじを晒している。


「アリス!」


 衝動に負けて私は鳥篭へ歩み寄った。

 ぴくっと彼女の頭が動く。一応、無事でいる。

 アリスはゆっくりと、気だるげに顔を上げた。


「どなた、かな」


「えっと、はじめましてなんだけど……私はヒナ。

 ハイトと一緒にここまで来たの。彼も、きっとすぐに来る」


「ふふ……嬉しいね」


 耳にくすぐったくなる優しげな笑みを含んだ声。

 石の壁に反射して幾重にも響く。

 その余韻が消えないうちに、言葉が継がれた。


「でも、残念」


「残念? どうして……」


「その理由は、彼女から聞くと良い」


 アリスの首かゆるゆるとこちらを向いた。

 目隠しの向こう、澄んだ瞳は誰を探しているんだろう。


 背中に、不意に悪寒が走る。


 嫌な予感を抱いたまま、私は振り返る。


 そこに立つのはシンプルなワンピースに身を包んだ少女。


 今頭に被せていた布を外し、豊かな髪が背中へ落ちる。

 そうしてみると、鮮やかな紅色の髪はとても目を引く絢爛さだった。


 階段の影から音もなく漆黒の衣の従者が姿を現す。

 褐色の肌の女性が隙のない動作で少女の隣に立った。


 つい忘れて自分が侵入者であると告白してしまった私ですが、ここまできて彼女が何者か気付けないほどウッカリさんではない。


「ああ……もしかして」


「ごきげんよう、反逆者のヒナさん。

 あたくしの名はアニー。アニー・F・フェイランド」


「この国の女王陛下だ」


 黒色の女性が付け足す。

 背筋を伸ばして堂々とこちらを見据える紅色の瞳は、なるほど高貴な色をたたえているわけだ。


 彼女が女王サマ、だったのか。

 そして私はたぶん絶体絶命のピンチである。


「大変心苦しいことです、ヒナ。

 あなたに接してみて、あなたを救う手立てがあればと考えていました。

 けれどあなたは夢罪を肯定する発言をし、罪人の逃亡を手引きしました。

 あたくしは、あなたを罪人と定め、ここへ投獄します」


「うわああ……」


「明朝、罪人アリスの裁判があります。貴女の傍聴を許しましょう。

 あなた方が信奉した狂人の最期を見届け、そして考えを改めることを、あたくしは願っています。

 ――それでは、お願いします」


 彼女がそう言うとどこからともなくわらわらと兵士が現れ、あっという間に私の手足を押さえて、壁を掘るようにして作られている牢屋にポーンと放り込む。

 鳥篭牢を見上げられる位置にあり、地面は石畳ではなく直接土だった。

 ひんやり湿っているのがスカート越しにわかる。


「横暴だっ。弁護士を呼べー!」


「黙れ罪人。女王陛下の慈悲がわからないとは哀れだな。

 せいぜいお前の主と最期の語らいをすると良い」


 がしゃん。


 大きな南京錠を牢の扉にがっちりかけて、黒いスーツのお姉さん兵士は立ち去っていった。

 彼女は彼女の主と比べるとずいぶん乱暴な雰囲気だ。


 そんなことはどうでもよくて、何の準備もなく手足を拘束され冷たい土の上に転がされて、なんという不運だろう。

 割と、自業自得の結果なのだが――。


 嘆くように溜め息を吐く。


「……すまなかったね」


 不意に頭上から、少し低い、だけど綺麗なアリスの声が聞こえた。


「あっ、ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。失敗しちゃったなぁって思って」


「ありがとう。

 だが、私は望んでいなかったよ。君たちが危険を冒してまでここへ来ることを」


「ああ、ううん、危険とかは別にいいんだよね。

 でもなんか、やっぱりスッキリしなくって。

 ハイトもしょげまくってたし、私もアリスのこと、気になっちゃったし……

 ――っていうか、ねえ!?

 裁判って明日なの!? ハイトは最低でも五日とか言ってたのに!!」


 格子にできる限り近寄って問い掛けると、くすくすと苦笑するようにアリスは言った。


「ああ、私が早めたのだ。こうなってしまっては時間があっても無駄なだけ」


「どうして!? ハイトが悲しむよ、それにチェシャも!

 キャタピラさんだって、アリスの無事を願っているのにっ」


 見上げても、アリスの表情は見えない。

 格子の向こう、光の下で、きっと彼女は笑っているのだろう。

 何もかもを嘲るように、そうしておきながら、全てのものを赦すように。


「私は長いこと罪を重ねていた。

 ようやく裁かれるのでほっとしているんだ、正直なところね」


 いたずらっぽく告げる。


 彼女の声がほんとうに安堵しているものだから、私は何も言えなくなった。

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