第3話 04:薔薇の迷路



*  *  *


「俺はこの森であなた方とは別れますから」


 チェシャがそう言ったのは、城の門が見えてきた、森の出口近くでのことだった。


「え! なんで!?」


「そうだよ、なんで? ここまで来たらあとちょっとじゃん。一緒に行こうよ」


 チェシャはいけすかない奴だけど、ハイトと二人っきりにされる心許なさから私も説得を試みる。

 けれど彼は黒髪に憂いを帯びつつかぶりを振る。


「俺は、アリスのペットでしかないんですよ」


「それがどうしたの。アリスの大事なペットでしょ?」


「だからこそ対等な関係にはなりえない。俺はアリスを連れ戻しには行けません」


「どういうこと?」


 ハイトへの答えに、私は納得できない。

 ペットだからと言って主人を助けちゃいけない理由があるのだろうか。

 ていうかまだこの猫男をペットと認識するのに違和感がある。


「アリスは、自らの意思で城へ行ったのです。

 弁解も抵抗もせず兵士たちに身を任せ、枷を受け入れ、連行されました。

 こうなることがアリスの意志だったのです。

 俺がそれを曲げることは、できません」


「好き好んで掴まるようなマゾだったの、アリスって……」


「ち、違う! 何かの間違いだよ!」


 ドン引きする私へか、信じ難いことを言うチェシャへか、ハイトが声を荒げた。


「どうして! どうしてアリスが犯してもいない罪のために掴まるんだ!?

 弁解も、抵抗もって、そんなの……まるで」


「罪を認めているようでした」


「チェシャ、そんなこと!」


「俺には判断できませんが、アリスが受け入れたのだから、俺も受け入れます」


「そんな……じゃあ、ついてきてくれないの?」


「はい。俺はここで――彼らの相手を」


 チェシャの目が鋭くなる。

 気付いて振り返ると、城の裏門に兵士の姿。

 ハートの兵士が複数と、スペードの兵士が一人。


「見張り……!」


 ハイトが焦りの声を上げる。


「ど、どうしよう……!

 僕ら三人と、彼ら……何人? じゅう……勝てっこないよ!」


「情けないですね、本当に。貴方がそうでは、アリスを任せられません」


「うぅ、ごめん……」


「謝らないで下さい。苛々します」


「ご、ごめっ……う」


 言葉を詰まらせる。

 呆れたように尻尾を振って、肩を落とすハイトを見下ろす。


「虚栄だとしても、言えないのですか? アリスを守るのは自分だ、と」


 ハイトを見据える瞳は鋭く、真剣味を帯びている。

 蔑んではいるけれど、見下すのとは違う。


「うん……僕がアリスを助けるよ、絶対!」


 最後の一言が子供っぽい。でも、ハイトらしいか。

 チェシャが唇を歪めた。笑っている。

 目を閉じて、鋭い八重歯を覗かせて、その笑みはどこか穏やかだ。


「常識的に考えて、裏門に見張りがいるのは当然です。

 そのために、俺はここまでお二人についてきたのですから」


「えっと、チェシャ、まさか……」


「ああっ、だめっ!」


 何がしかの感動をしているハイトと、慌てふためく私。

 二人の反応をよそに、キリリと表情を引き締め、かっこいいという賛辞も惜しくない風体で、


「ここは俺に任せて、お二人は先へ行ってください」


 キリッと言い切ってしまった。

 私には見える。彼の背後に見える。

 その言葉のせいで色濃く増した死の気配が……。


「うん、わかった。アリスは任せて! 行こう、ヒナ」


「だ、だめ! ここで任せたらチェシャはきっと生きて帰らないよっ」


「なに弱気なこと言っているんだ!

 僕じゃあ頼りないかもしれないけど、行かなきゃ。

 アリスはもうすぐ傍に居るんだ。きっと心細い思いで……」


 ハイトの瞳が燃えている。

 一度立ってしまったフラグは回避できないというのか。

 今生の思いで私は猫男を見る。

 なんだかんだで頼りになる、いい奴だったよ、チェシャ……。


「何を気色の悪い顔で見ているのですか」


 私の慈悲深い表情にケチをつけたチェシャは二人の間を歩んで、前へ。

 私たちに向けた背は、非戦闘員の私にもわかるほど、気迫のある臨戦状態。

 思わず敬礼したくなる。否、合掌か。


「それじゃあ――行きますよ!」


 弾丸のように飛び出す。続いてハイトと私も一直線に裏門を目指す。

 すぐさま気付き向ってきたハートの兵士がチェシャの手刀を受けた。


 チェシャは、速い。


 雑魚のハート兵は次々倒れ、残るは少数。

 ハイトは彼を振り返らなかった。

 隙のできた裏門を抜け、勝手知ったる城内へ。


 門をくぐると、途端にかぐわしい香りを感じる。


 目の前に広がる豊かな緑に、私は一瞬状況を忘れ歓声を上げた。


「きれい……!」


 一面の、色とりどりの薔薇。

 門の中は薔薇園だった。


*


 たくさんの薔薇の向こうに荘厳なお城が見える。

 こんな素晴らしい景色が城門に隠れてしまっているのはなんだかもったいない気がした。

 見られてラッキーかも。

 気楽にしている私の隣で、対照的にハイトは暗い顔をしていた。


「どうしたの、ハイト。薔薇嫌い?」


 置いて来たチェシャが心配なのかもしれないが、彼強そうだし、死亡フラグも自分で折っちゃうんじゃないだろうか。


「ううん、違う……この薔薇、この前までは無かったんだよ、ここに」


「え、どういうこと」


「ここは、クローケを楽しむための広大な芝生なんだ。

 でも今こうして、薔薇園が出来ている。

 僕、話に聞いた事があるんだ。

 警備植物――

 侵入者を防ぐために、一晩で生長し迷路を作る薔薇が、代々王家に伝わっている。

 そんなの王家七不思議だと思って相手にしてなかったけど……まさかこれが……!」


 あるのか、王家七不思議。


「でも、迷路でしょ? 抜けちゃえばお城に着くんでしょ?」


「ただの迷路じゃない。常に生長する薔薇迷路。

 侵入者がゴールに近づくと経路を変え、永遠に迷わせ続ける……」


「え、だって植物でしょ? 突っ切っちゃえば?」


「ひ、ヒナ!!」


 突然叫び声を上げられ、私は思わず身を竦める。

 しまった、甘く見すぎたか。


 ハイトはガンッガンに開いた目をこちらへ向け、わなわなと震え――


「き、きみ、天才じゃないか!」


 本心から、そう言った。

 なんだかどっと疲れた。


「ま、まあとにかく、進もうよ! 枝とかは、ほら、腰のもので切っちゃいなよ」


「わかった!」


 サーベルを抜いて彼は植木に向かっていく。

 灯油とマッチがあればもっと手っ取り早かったんだけどな、流石にそれはないものねだり。



 ざっしゅざっしゅと植物をメッタ切りながら順調に進んでいた。

 私たちの通ったあとには人が通れる程度の隙間が、薔薇の壁に出来ている。

 可哀想だけど、こいつら一晩で生えたらしいし、きっと生命力が強いのだ。

 明日になったら元通りになるだろう。


「この調子なら、チェシャもすぐ追いつくんじゃないかな……」


 希望的観測を口にした。

 今にも、「もう居ますよ」とか足下から訴えるチェシャの声が聞こえそうで、ついキョロキョロしてしまう。

 でも彼の姿は見えない。


「来ないと思う。けど、きっと無事だよ」


「来ない、かぁ~。なんでかなあ」


 この先合流することはないのかと思うと、やっぱり不安だ。


「チェシャは生真面目なんだよ。

 自分はペットだからご主人様であるアリスの決定には逆らえない。

 無理に連れ戻せるのは、恋人である僕だけ、って。

 きっとそう考えたんだよ、あいつらしいや」


「そうなんだ。うーん……本当にペットなんだねぇ……」


「そう。アリスが仔猫のうちから大事にしていた黒猫だよ。

 不思議だな、ずっとアリスと暮していてどうして素直にならなかったんだろう」


「雄の見栄とかさ、意地とかじゃないの」


「ああ、そうかも」


 ふっと笑う。

 少しだけ彼の表情が大人びて見えた。

 ハイトの言葉にひっかかるものがあって、私は首を傾げる。


「仔猫のうちから……って、アリス十六歳だよね。

 チェシャはその十歳は上に見えるんだけど」


「えっ。チェシャは五歳くらいだったと思う……」


「ごっ……?」

 

 ――五歳児。

 だとすれば奴の素直じゃない理由も解る気がする。

 五歳児じゃあ、意地にもなるだろう。

 そうか、五歳児。五歳児か。

 今までの様々な彼の行動を許せる気がしてきたよ。


「僕は、チェシャに託されたんだ……アリスの兵士に。

 僕、早く行ってアリスの無事を確かめたいよ。

 きっと、丁寧な扱いを受けているはずだ――

 女王さまは、お優しい方だから――

 誤解だってわかってくれるはずだから……」


 うわ言のように、自分を安心させる言葉を並べる。

 ハイトの焦燥が目に見えてわかって痛々しい。


 そうだ、早くアリスのところへ行ってあげなくちゃ。

 私の夢に始末をつけなくちゃ。


 気を引き締めて歩みを進める。

 ざしゅざしゅばきばき、枝葉の払われる音だけが響く。


「そこまでだ、侵入者」


 声がしたのは、城の壁がもうあと少しで触れられるという瞬間だった。


「ヒナ、行って!」


 即座にハイトが前へ出る。なんだよ、頼もしいじゃないか。


「でもっ」

「良いから!」


 逡巡した私を叱るように、彼は一瞬振り返る。

 情けない奴だと思っていたのに、なかなか強い目をしていた。


「させぬわっ!!」


 重低音が叫ぶ。地面が抉れ、振動した。

 誰かが上から降ってきたのだ。


 丸みを帯びたフォルム、周囲に飛び散る褐色の羽毛――

 鶏だった。


 グロテスクに赤黒いとさかをブランブラン揺らして、ハイトの前に立ちふさがる。

 私は瞬時に二人の(二匹の?)人物を思い出した。

 逢引肉コンビ、ビーフとポーク――ということで、こいつなのか。


 兵士って城の非常食も兼ねているの?


「ターキー! お前まで……」


「ハイト、俺は心底情けないぞ。

 女王陛下の兵士として教育を受けながら、何故罪人に肩入れする?」


 ぶわさーっ! と羽根を広げる威嚇のポーズ。

 そのサイズが人と同程度であることからかなり恐ろしい。

 だけど、これ、さばいたら何食分になるんだろう……おっと、ヨダレが。

 腹の虫が鳴いている。堪えろ私。


「誤解なんだ、ビーフとポークも、きみも、誤解してる!

 アリスは何もしていない。冤罪だ!」


「有罪無罪はこれから決まる。

 そして、それを決定するのはお前ではない。女王様だ」


「ターキー……!」


 もふもふ胸毛をみっしり詰めた隊服の同僚を悲痛な眼差しで見上げるハイト。

 なにかを覚悟したように唇を結ぶと、彼は手にした剣を前へ構えた。


「僕は行かなきゃならない。ここを通してもらうよ。アリスに会うんだ!」


 鶏が飛び上がる。ハイトが地を蹴る。

 ターキーの鉄の鉤爪と剣がぶつかり合い、金属音が跳ねた。

 クェーケッケと叫ぶ鶏の雄たけびがまたグロい。

 なんで鶏ってあんなグロい顔なんだろうね。美味しいから許すけど。


「ヒナ! 君はこの隙に行くんだ! 城はもうすぐだから!」


「うん、わかった。すぐに、すぐに来てよね!」


 ハイトが頷くのを見て、私は脇をすり抜け先へ行く。

 鶏の羽毛がぶわりと舞う中の剣戟を横目に、薔薇の迷路を駆けた。

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