第2話 05:不愉快な夢
「この世界の意味とは違うかもしれないけど……
私の世界では、『夢』って言うのは寝ているときに見る幻みたいなものなんだ。
過去の記憶や情報の整理をするとかなんとか。
一般的には、寝ている間に見る現実とは違う風景や体験のこと……なのかな。
空想とか、想像とか」
「それが、今、この瞬間、この世界があなたにとってのそうである、と?」
やや怒気の篭った声でチェシャが問う。
私は内心ビビりながら肯定した。
「うん、多分……ていうか、それ以外に説明がつかなくて」
「どういうこと?」
不思議そうに問うのはハイト。
「だって私の普段の生活とまったく無関連なんだもん。この世界。
いや、まあ、夢に見るくらいなんだから多少は関係しているんだろうけど――
でも、すごく常識外れなんだ。
夢でも見てるんだって説明しなきゃ、わけが分からない」
「じゃあ、夢とも限らないんだろう?」
「そう言えれば良いんだけど……そうなるとまた、私が困るなぁ」
ハイトの不安そうな顔が胸に痛い。
「それは、あなたの主観でしかない。
あなたが精神を病んで、現実を認識できなくなっているだけだ。
この現実を認められず、本当の居場所は別にあると思い込んでいる。
そうでないと、誰が言える?」
「チェシャ、その逆もまた誰にも言えぬ」
黒猫の意見を、キセルの煙に言葉を乗せてキャタピラが制した。
「私もあんまり、自信を持って言えないけどさぁ……
でも、本当の世界での記憶は確かにあるし。
その記憶に従えばこういう状況のことを夢って言うの……」
「そんな……なんか、頭の中ぐちゃぐちゃだよ……」
「我々も、ヒナさんの夢の住人に過ぎない、と?
常識的に考えて、信用には足りません」
「ふむ……興味深い」
三人それぞれの感想があがった。
露骨にショックを受けているハイト。
苛立っているように見えてちょっと怖いチェシャ。
キャタピラさんは落ち着いている。年の功だろうか。
「だから、ハイト。私は多分、夢の中で何が起こっても大丈夫なんだと思う。
私、アリスを助けに行くよ」
「……うん、ヒナ……でも。ああ、ううん、よくわからない。
僕、生きてるんだよね?
でも、僕が生きてるのはきみの夢で、現実に僕は存在していない、ってこと?」
「え、えっと……どうなのかなぁ」
「その話を信じるなら、我々は貴女の頭の中だけの存在ということになります。
馬鹿馬鹿しい。常識的に考えて、ありえません」
「う、うーん。じゃあ、私どこから来たんだろう……」
確固としたチェシャの物言いに、ハイトが少し自信を取り戻したのか、俯いた顔を上げる。
私は自分自身を疑ってはいない。
ここは夢の世界。
だって、チェシャの言葉じゃないけど――常識的に考えて、ありえないもん。
私は今学校の制服を着ていて、目が覚めれば春辺西高校に歩いて通う。
ほら、ちゃんと分ってるもん。
私は現実の人物。
彼らは夢の産物。
そうでないなら、一体何だって言うんだ。
「その話は、よいじゃろう。
我々には今日まで生きてきた記憶がある。それを頼れ、年若き白兎よ」
「キャタピラさん……。すいません」
「ハイト、ごめんね。私、余計なこと言っちゃったかな」
「ううん……。ヒナの言う事、僕には本当かどうか分らないけど……」
それきり、場に沈黙が落ちる。
「ハイト。おぬし、疲れが出ているようじゃ。明日に備え体を休めよ。
ここを出た右手にドアがある。その奥の部屋は好きに使いなさい」
「ありがとうございます。ごめん、僕先に休むね」
キャタピラの提案に従い、ふらふらと頼りない足取りでハイトはドアへ向かった。
初めてハイトと離れ離れになって、今まで感じてなかった恐怖感交じりの不安を、私は対面する二人に抱く。
猫のチェシャと、妖艶な幼女キャタピラ。
彼らと私の間に、沈黙が漂う。
「あの……お尋ねしてもいいですか?」
おずおずと私は問いかけた。
「何ぞ?」
「アリスは、いったいどんな夢を見たの? 罪になるような夢を……」
「ふむ……」
キャタピラはキセルを口に含む。
「それは、アリスにしか分らぬ」
ぽわ、と煙がボールになって飛んできた。
私はそれを受け止める。かと思うと指の間からすり抜けてしまう。
「だが説明はしよう。
この世界では、夢が人を傷つけることがあるのじゃ。
おぬしの常識では理解できぬやもしれぬが――
人を傷つけ、ときには命まで損なわせる……世界まで、滅ぼす」
「……夢が、世界を?」
「そうじゃ。その可能性がある」
「でも、そんなの……」
変だ。
人を殺す可能性があるからと言って、包丁の使用を禁止しているようなものじゃないか。
「国の定めなのじゃ」
「……」
目を伏せていたキャタピラの身体を包むように煙が吐き出された。
言葉はそれきり途絶えてしまう。
ここは、なんて不愉快な国。
この世界が私の夢の産物なんて、自分のことながら不愉快だ。
あのシャンデリアみたいなお城で暮している王さまは、ちょっと頭がおかしいのかもしれない。
「まあ良い、ヒナ。今夜のところはおぬしも眠るとよい」
「あ、どうも」
なんだか、もやもやする。何か変だ。
夢だもん、変でも仕方ないだろう。
でも、嫌だ。
こんな変な世界は許せない。
私の夢だとしても、そうだとするならば、尚更。
アリスが罪人だとは私には思えない。
アリスの無実を、証明したい。
向かった部屋で、先にハイトはベッドに潜っていた。
ただ眠れない様子で、ぼんやりと壁を見つめている。
「……ハイト。混乱させちゃったね。ごめん」
「いいんだ、ヒナ……。ただ、考えていた」
「何を?」
私はハイトのベッドに腰掛けて、言葉を促した。
ハイトは身体を起して、ランプだけの光りに照らされる部屋の中、手から下げた懐中時計を見つめる。
「アリスは、とても、頑張って生きていたんだ。
お父さんやお母さんが死んじゃってからも。
悲観なんかしないで、泣き言も言わないで、自分の足でしっかり立って。
一人で生きてきて。すごくすごく、大変だったと思う。
回りの手助けは、もちろんあったけど……
それだけじゃ補えない部分もきっとあったはず。
だけど、アリスは文句なんか言わない。弱音なんか吐かない。
いつもぴんと背筋を伸ばして、優しい微笑みを浮かべて。
バラを愛して、紅茶を作って……」
彼の手の中で時計の鎖が小さな金属音を立てた。
「アリスを見ていると、僕は心が満たされるんだ。
この子は、細い体で、まだ十六歳で、それでもこんなにまっすぐに生きている。
だから僕は負けてなんかいられない、もっと頑張らなくちゃ。そう思うんだ。
それなのに……」
ぎゅ、と懐中時計を握る手に力が入る。
両の手で握り締めて、大事なものを――アリスを扱うように、そっと抱き寄せた。
「それなのに、罪人だなんて、酷いよ!
アリスが悪人だなんて、なんでそういうこと言うんだろう。
アリスは何もやってない、ただ一生懸命生きていただけだ。
誰にも迷惑なんてかけてない。誰にも害なんか加えてない。それなのに!
おかしいよ、何かの間違いなんだ。……でも」
「……でも?」
「でも、アリスの人生も、僕がこんなふうに取り乱してるのも、全部――
君の夢だって言うんだろう?
……なんて悪夢だろう、早く醒めてくれたらいいのに」
言葉が、
それきり何も。
私も、ハイトも、何も言わなかった。
ここで謝るのも、ずるい気がする。元気付けるのも的外れ。
どうしたらいいか、正直わかんない。
「……ハイト」
わかんないけどさ、こんなふうに、感じ悪いままはイヤだ。
「私、ほんとに、よくわかんないんだけどさ。
夢なら自分の思い通りになればいいのに!って思うけど無理っぽいし。
だけどさ、私も、許せないよ。アリスを罪人だなんていう奴のこと。
絶対絶対、アリスを助けよう。
それで、アリスを捕まえた奴、とっちめよう!」
「……無理だよ。スペードの兵士は強いんだから」
「そんな弱気にならないで。大丈夫、きっと。
だって私の夢の中で、私が弱いはずないもん!」
ごめん、確証はない。
でも、ハイトはそれにちょっと勇気付けられたみたい。
時計から顔を上げて、私の顔を見た。
「ヒナ……。うん……情けないな、僕。
この世界が、本物でも、夢でも、関係ないや。
僕はアリスが好きで、アリスを助けたい。
ううん、この世界が夢だとしても僕は、アリスに出会えたこと、嬉しいんだ。
だから今は、それだけでいいや」
彼の眼差しに前向きな色が戻る。
私は勢いづいてハイトの手を取った。
「ハイト! 絶対、アリスを助けよう!」
「――うん!」
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