第2話 04:キャタピラ嬢
* * *
森を出ると、空の色が一変していた。
まっピンクから、深緑に。
「うわっ、キモっ……」
その奇怪な色彩に思わず声を上げる。
緑の空に、水色の月が浮かんでいたのだ。
「もう夜か。チェシャはどうしたかな……」
そんな気がしてたけどやっぱり夜だそうです。
「……うわぁ……」
ふと視界に入った光景に私は呆れに近い声を上げる。
感動とか感嘆などでは決して無い。
月の影がアニメーションのように、二匹のウサギがもちをつく様子を描き出していたのだ。
ぺったん、ぺったん、音まで聴こえてきそう。
「あ、月のうさぎに気をつけてね。
モチならいいけど、時々杵が手からすっぽ抜けて降ってくるから」
「ええええ嘘ッ!」
「可哀想なことに、それで死傷者も……」
「ひ、悲っ惨……」
そんな死に様、浮かばれないだろうなぁ……。
再度、感慨深く月を見上げてしまう。
ぺったんぺったん、忙しく二匹が働いていた。
精が出るなぁ。
視線を戻して、町を見渡す。
お菓子の家みたいな可愛らしい家々の明かりは、点いているのと消えているのと半々くらい。
アリスの家へは立ち寄っていない。
見張りが強化されている可能性を考慮してのことだ。
ここは町外れ、ってことになるのかな。
少し高台になっていて、町を一望できた。
離れた場所に見えるのは、まるでシャンデリアみたいに浮かび上がる豪奢なお城。
――あそこに、アリスが居るんだ。
「ねえ、ヒナ」
「ん、何?」
お城に半ば見惚れてた私は、呼ぶ声に振り返る。
緑色の奇妙な夜空の下。
ハイトの姿を、今ようやくまじまじ見たような心地がした。
街灯に影を落とされた顔は、黙っていると年相応に見える。
拳一つ程度の身長差のある彼に見下ろされても、チェシャにあったような威圧感はない。
彼は表情を引き締めた。
「本当に、僕に着いてくる?」
「うん。何を今更」
「だって、これから僕がやろうとしているのは犯罪なんだよ。
城への不法侵入と、脱獄の手助け。失敗して掴まれば僕だってきっと……」
言葉は継がない。彼は僅かに顔を伏せる。
「そんなことに、君みたいな女の子を巻き込むわけにはいかないよ」
あらまぁ。
随分、心配されていたらしい。
こっちは軽いノリで付き合っていたからなんだかすごく申し訳なかった。
このままの調子で言っても、納得してもらうのは難しいだろう。
「私、ついていくよ。手伝わせて、お願いだから」
「だって、君はアリスとも僕とも、今日が初対面じゃないか。
なのにそんなこと……」
「うん、初対面。だけど、えーと。
なんて言えばいいかなぁ、他人事じゃないっていうか……」
「どういうこと?」
「うーん、信じてもらえないかもしれないけど」
と、前置きして私は言った。
「この世界って、どうも、私の見てる夢みたいなんだよね」
「――――!」
「むぐっ」
突如俊敏な動作でハイトの手に口をふさがれた。
ハイトは周囲をすごい勢いで見渡し、人影がないのを確認してほっと息を吐く。
「な、なんてこと言うんだよヒナ。
こんな町中で今そんなこと言うなんて、冗談でもどうかしてるっ……」
「ご、ごめん、軽率だった」
ひそひそ声で叱られ、つられてひそひそ声で謝った。
「誰にも聞かれなかったみたいだから、いいけど……」
そう言いかけたハイトの声に、
「その話、詳しくお聞かせ願えますか」
硬質な男の声が、重なった。
ハイトの表情が見てて面白いくらい真っ青になる。
ぎこちない動作で振り返ったそこには、誰も居ない。
「こっちです、ハイトさん」
「あ、……な、なんだ、チェシャ……脅かさないでよ……」
ハイトは足下を見下ろして、心底から安堵の吐息を吐いた。
ハイトの足下に、真っ黒と白の毛並みの猫がお行儀よく座っている。
首元には赤いリボン。チェシャは、初めて見たときと同じ猫の姿をしていた。
「脅かしたつもりはありません。失礼ですね。
――それで、ヒナさん。貴女のお話、気になります。
場所を変えて少し話を聞かせてください」
「場所を変えるって言っても、チェシャ。
アリスの家はもう、城に押さえられているんじゃない?
僕は宿舎へは帰れないし、行く当てなんて他に、」
「安心してください。俺に心当たりがあります」
ついて来い、といわんばかりに彼は尻尾を翻す。
てけてけ歩き出した猫の後を、私たちは追いかけた。
随分と城の近くまで来てしまった。
とは言え、城の手前に繁茂する森が、他者の侵入を遮っている。
その森は鏡の森とは異なり、傍目には常識的な形をした植物で構成されていた。
「こちらです」
大きな樹の下で立ち止まって、チェシャはそう言った。
「こちらって、これ、樹だよ」
「ええ、そうですね」
「あ、この上に家とかあるの?」
「何故わざわざそんな不安定な場所に建設する必要があるんですか?
もっと物事を常識的に考えて下さい」
頭上を見上げた私へ、チェシャが馬鹿にしたように問う。
確かに、枝の上には枝と葉しか見当たらなかった。
「上ではなく、下です」
「え? ……あ!」
ハイトがしゃがみ込んで、声を上げる。
「ここ、扉になってる」
樹の根元から、人がしゃがんでやっと通れるくらいの大きさのドアがついていたのだ。
つい樹の大きさに見上げちゃって、気付かなかった。
「アリスと親しかった者が住んでいます。協力を仰ぎました。
一晩、ここで休みましょう」
ハイトが開けたドアを軽やかに抜けて、そこから地下へと伸びる階段を軽やかにチェシャは降りていく。
慌てて後を追って、最後にハイトがドアをくぐって閉めた。
階段を下りていくと、こぢんまりとした空間に出る。
ほんのりとランプの灯りに照らされた、小さな部屋だった。
なんだか鼻に慣れない匂いが漂っている。でも不快なものではない。
「キャタピラ嬢。ハイトさんたちを案内しました。彼女が例の人物です」
「ふむ、ご苦労」
部屋の最奥から老婆のような声が響いた。
かなりの高齢のように思えるのんびりとした口調だった。
照明が絞られているせいで姿は見えない。
奥にあるのは天蓋つきのベッド。
ひかれたカーテンの奥が、妙な匂いのもとだろう。
「ハイト、それから異邦の娘よ。こちらに寄りなさい」
「あっ、は、はいっ」
「顔を見せて御覧?」
「はい、失礼します」
何故か改まった様子でハイトがカーテンをくぐる。私も一緒に。
ベッドの上では、小さな影が気楽そうに寝そべって、水キセルをふかしている。
色のついた煙をフハーっとこちらへ吹きかけて、艶やかな目つきで彼女は私たちを見上げた。
酷く老成した態度の、それは、まぎれもない幼女だった。
「はじめまして、ハイト。ふむ、噂は聞いているよ。
わしの名はキャタピラ。アリスのバラと紅茶の支持者だ。
ま、茶呑み友達というところかの」
下半身は絹のゆったりしたズボンをはいて、上半身は薄い布一枚胸元に巻きつけただけの危うい格好である。
長い青緑色の髪は高い位置で一つに束ねられ、ベッドの上に流れていた。
その様はくねくねと、嫌な例えだけど芋虫にそっくり。
奇跡のアンチエイジングを遂げた老婆。
じゃなければめちゃめちゃ老け込んだ幼稚園児。
そんな風体の女の子が、明らかに身体に悪そうな煙を上げるキセルを美味そうに口に含んで、鮮やかな色の煙を吐き出す。
常に流し目で妙に色っぽい。年齢不詳にも程がある。
「それから、娘よ。おぬし、何者じゃ?」
「わ、私ですか。何というほどの者でもないんですけれど」
「よい。聞こう」
「えーっと、私は、小田桐雛。春辺西高校、一年B組、出席番号5番。あ、料理部所属です」
「……それ、何の呪文?」
隣でハイトが不思議そうに呟く。
呪文じゃねえよ、自己紹介だよ。
ちょっと腹が立ったので彼の言葉をスルーした。
「ヒナ、とな。チェシャに聞いたが、気付けばこの地に居たというのは真か?」
「はい、まぁ」
「曖昧な返事じゃのぅ」
侮る口調で呟いた。
彼女は不満そうにプカプカ煙を吐き出す。
見た目は園児中身は老婆な幼女という違和感発生物質を前にして冷静で居られるだけ褒めてほしい。
「キャタピラ嬢。ヒナさんは『夢を見ている』のだそうです」
いつのまにやらキャタピラ嬢のベッドの上に乗っかっていたモノクロ猫が言った。
ふむ、とキャタピラは眉を上げてみせる。
ぽわ、と口から吐き出した煙が私の顔に当たって霧散した。煙い。
げほげほ咽ていると、彼女はぴっとキセルの先で私を指し示し、老婆の声で命じた。
「夢を見ている、と。聞かせてもらえるね?」
気付けば、三者三様の眼差しが私を見つめている。
ハイトは不安そうな目。チェシャは怪しむ双眸。
キャタピラは、どこか楽しむような瞳。
腹を決めて私は口を開く。
信じてもらえるわけない。
でも、こんなふうに問い詰められたら喋る他に、ないでしょ?
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