第1話 05:女王アニー



*  *  *


 豪華絢爛、百花繚乱。

 全てのものが高級で、全てのものが上品で、全てのものが輝いていた。

 ここは国の最高権力者、女王の城。


 女王アニー。

 目に鮮やかなピンク色のドレスをまとう、まだ十代半ばの少女だった。

 長い紅色の髪を結って大人っぽさを演出するが、それがかえって少女らしさを強調する。


 その傍らに付き添うのは黒いパンツスーツ姿の女性。

 ウルフの黒髪、褐色の肌、厳しい眼差しと整った姿勢。

 首筋にスペードの刻印がある。

 彼女は女王の護衛責任者、ダイナ。

 鈍く光る緑の瞳が、仕える女王の姿を追う。


「陛下、私が開けます」


 女王が歩み寄ったのは重苦しい扉だった。

 地下牢へ通じる唯一の扉。

 アニーはドレスを翻し、ダイナを振り返った。


「ええ。ありがとうダイナ。あたくしを守ってくださいね」


「勿論です、陛下。例え、わが命が尽きても……、っ」


 レースの手袋に包まれたたおやかな指がダイナの唇にそっと触れる。

 人差し指が、彼女の言葉を閉ざす。


「いいえ、ダイナ。

 命を、あたくしなどのために打ち捨ててはいけません」


 静かに、しかし厳しい調子で少女は側近の言動を咎めた。

 少女の、幼くしていくつもの覚悟を決めた顔立ちが、ダイナの目にとても尊いもののように映る。

 ダイナはこうべを垂れた。


「申し訳ありません、失言でした」


「ありがとうございます、ダイナ。あたくしは、あなたの気持ちを嬉しく思います。

 でも、本当にはしないでね。きっと泣いてしまうから」


「アニー様……」


「あたくしを、悲しませないで?」


 唇に触れた人差し指が離れ、少女の掌全体が、従者の浅黒い頬を包み込んだ。

 絹の生地越しに確かに感じられる体温は、ダイナにとって何より価値のあるものに思える。


「……御意に」


 静かに告げる。

 女王は安心したように手を離した。


 ダイナは自分の緊張を自覚する。

 この厚い扉の向こうに、長きに渡って現れたことのない犯罪者が囚われているのだ。


 夢を見る、などという想像を絶する大罪を犯した――

 だというのにまだ呼吸をしているあつかましい人間が。


 この国を脅かし、そして女王の安眠を妨げる、決して許せない悪党が。


「開けます」


「ええ」


 ゆっくりと扉に触れる手に力を入れる。

 石の扉が耳障りな音を立て、城からまるで異世界へと誘う闇を覗かせる。

 ひゅうと吹き込む風はあの世を思わせるほど冷たかった。


 開いた扉の先には地下へ向かって階段が続いている。


「行きましょう」


 アニーの果敢な声が言う。

 ダイナと、数名の兵士が彼女の後に続いた。



 永遠に続くとも思えた階段の果てに、牢獄はあった。


 恐ろしく高い天井は吹き抜けで、はるか彼方にピンク色の快晴の空が見える。

 そこからまっすぐに落ちる光が、糾弾するかのように大罪人を照らし出していた。

 たどり着いた一行は、思わずその光景に息を飲む。


 それは巨大な鳥篭。


 塔の最上からこの地下まで、鎖で下げられた鳥篭だった。


 罪人は、身動きも出来ずその中に囚われている。


 天井より吹き込む風が時折鎖を揺らす。

 金属同士がこすれる耳障りな音がした。


「……あなたが、夢罪を犯した咎人ですね?」


 鳥篭を見上げる女王の、驚きを含んだ声が問う。

 アニーにも意外だったのだ。

 このように若く、美しい少女が罪人だったなどと――そう、夢にも思わなかった。


「罪人、アリス」


 アニーの問いに、罪人は答えない。


 こちらの言葉が聴こえていないのだろうか。

 目隠しをされ、手足の自由を奪われ、不安定な容れ物に閉ざされ、果たして人は正気で居られるのだろうか?

 疑問を抱いた年若い女王は、次の瞬間、寒気に襲われる。


「こいつ……!」


 兵士の中の誰かが声を上げた。


「笑ってる――!」


 アニーは、それを見た。


 目隠しをされ、長い髪に覆われた彼女の顔に、表情が浮かぶ様を。


 色艶のよい唇が僅かに吊り上がり、確かに、笑みを作った瞬間を。


「う、ふ……ふふふ……あはっ……!」


 笑い声が牢獄に響く。


 まるで呼ばれたように、風が強く吹き込む。

 きい、きいと鳥篭が悲鳴を上げるように軋んだ。


 とうとう兵士たちは怖気づきどよめく。

 ダイナだけが恐怖を御して女王の傍らを一歩も離れず、まっすぐに罪人を見据えていた。


「罪人よ。何故、笑うのですか」


 首筋にから体中に悪寒が走り、鳥肌が立つのをアニーは感じた。

 血の気の失せた顔色で尚、女王は毅然とする。


 狂ったような笑い声を収めて、罪人アリスは静かに答えた。


「ようやくあなたに会えて嬉しい。女王様。

 私は、あなたをいつも、夢で見ていたよ……」


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