第2話「私は打ち明けた。」

第2話 01:コイバナ

 ぜーはー、ぜーはー。


 息切れに喉の渇きに身体のダルさのトリプルコンボ。

 肉体的疲労がピークだった。

 この運動量が、きっと現実に反映されないだろうことが、すごく悔しい。


 すごい走った。もうすっごく走った。


 現実じゃこんなに走れない。

 さすが夢。実際の身体能力は無視だよ。

 ハイトも私も疲れきって地面にしゃがみ込んでいた。


「ど、どこなのここ……」


「森の奥。多分、兵士は来ない」


「それはいいけど、町には帰れるんだよね?」


「大丈夫、森は僕の故郷みたいなものだから。近道も知ってる」

 

 そりゃ安心だ。


 視線をめぐらせる。

 鏡の森奥深くは、木々が密集してあまり光りが入らないのか、暗い。

 けど、木々の表面が僅かな光を乱反射させていて、ところどころでヘンに眩しい。


「チェシャは来られるの、ここ?」


「いや、もう引き返そう。きっと兵士は、大方倒されたと思うから。

 チェシャは強いからね。

 城がスペードの兵士でも差し向けない限り、大丈夫だと思う……」


「スペードの兵士? ハイトは、クラブの兵士?」


「う。うん……。階級があって、下からクラブ、ダイヤ、ハート、スペード。

 でもスペードの兵士は、すごく少ないから、城で女王の警護をしているんだ。

 町への任務には、大体ダイヤ以下の兵士が割り当てられる」


「そうなんだー。じゃ、楽勝じゃん」


「あはは、そうだといいけど……」


 はぁ、とハイトは溜め息をついた。

 少しの間を置いて僅かに顔を挙げ、空を仰ぐ。


「僕、無力だな……」


 うわ。


「チェシャに頼ってばかりで、アリスを助けようなんて……

 どうしたらいいんだろう。

 僕、いつまでたってもクラブの兵士だし……。恥ずかしいな。

 ポークもビーフも、同期なのに、僕はまだ追いつけない……遅刻も治らないし。

 はぁ……」


 うつむいて嘆息して、胸元の懐中時計を握り締めた。


「アリス……。会いたいよ……」


 女々しい。


 私は思いっきり舌打ちがしたかった。でも耐えた。


「その懐中時計、もしかしてアリスが?」


「そう、彼女からのプレゼント。……僕の誕生日にね。

 お互いの名前を刻んで、同じものを持ってるんだ」


 話題を変えようと問い掛けると、うっとりと返答された。

 懐中時計の文字盤をいとおしげに撫でる。

 この時計も、広場の時計と同じで、私には全く読めない。


「ところで今、何時?」


「えーっと、E時B8分ぬ」


 聞いた事ないそんな時間。「ぬ」って何だよ。「ぬ」って。


「そ、そうなんだー。お昼時って言えば何時?」


「Y時だね。今は、大体おやつ時」


 しかも規則性がまったく判らない。

 時間を理解するのは諦めたほうが良さそうだ。


「……よっこいせ」


 いいかげん立ち上がって、スカートを払う。

 今の今まで気にしなかったけど、そういえばこの鞄にも何が入っているのやら。


「ヒナって、珍しい服着てるね。もしかして、船乗りさん?」


「ああ、セーラー服ね。ううん、学校の制服」


「学校? 何の?」


「何って、普通科」


「フツーカ?」


「ま、そのへんは気にしないで。

 ハイトは何か、学校とか行ってたの? てか、何歳?」


 尋ねたとして、年齢が私の常識ではかれるかはわからないんだけど。

 とりあえず聞いてみる。


「今、二十。アリスは十六歳だよ。きみは?」


「え、アリスと私同い年? うそ!」


 ちょっと衝撃だ。あんなに落ち着きがある子が同い年なんて。

 いや、でも、数字で答えられたからと言って基準が同じとは限らないから、どうとも言えない。

 ハイトにしたって、二十歳には見えない。頼りなさ過ぎて。


 ちょっと気になったことがあって、私は肘でつんつんハイトの腕をつついた。


「ね、いつから? いつからアリスと付き合ってんの?」


「え、ええと、ずっと片思いで……」


 見る間に顔が真っ赤に染まる。

 もごもごと口ごもり、恥ずかしそうにしながらも表情は緩みきった笑顔だ。


「うんうん」


「き、去年から……」


「へー! 告白は? したの? したのかっ?」


「えっと……アリスから」


「えー、情けないなぁ」


「うん……だって告白するつもり、なかったし……。

 アリスが僕を好きなんて、そんなの奇跡みたいなことだと思っていたから……」


「へぇえ~。そうなんだー。意外だなあ」


「い、意外かなぁ?」


「だってあのアリスが、ハイトみたいな頼りなげな人をね……

 あ、母性本能とかに響いたか?」


「う、結構、ヒナひどいね……?」


 本当のことだけど、としょぼくれてしまうハイト。

 言い過ぎちゃったかな、と焦る。

 けど、まあでも、彼は私の夢の住人なのだから、まあいいか。


「アリス……うぅっ」


 のろけたせいで余計恋しくなったのか、ハイトが膝を抱えた。

 丁度良いやと思って、私はその隣に座り込んで、通学鞄の物色をはじめる。


「ね、アリスの両親は心配しているよね? 娘が犯罪者扱いされちゃって」


「……アリスに、両親は居ないよ」


「え、そうなんだ。ごめん、私ってば」


「ううん、いいよ。――アリスはね、すごく、強い女の子なんだ。

 両親が亡くなったときも、涙一つ見せないで」


「そうなんだー、しっかりしてるなあ」


「うん。彼女はいつも、自分のことは自分でする。

 両親が亡くなってからも、すぐに自立して……

 今は糸紡ぎとバラ栽培で生計を立てているんだ。紅茶も作ってる。

 お城の宿舎でぐーたら暮してる僕なんか、ほんとに、不釣合いで……。、

 もっと頑張らなきゃ、僕」


「へー、もう働いてるんだ。すごいねえ」


 うーん、学生証にノートに教科書。

 紙類は重いから捨てていってしまおう。

 財布も入っているな。あんまり役に立ちそうなものはない。

 あとは学校のセーターと、手帳。

 ぱらぱら捲る。現実に使っているものと全く同じだ。

 でも多分こういう細かいところって、目が覚めたら覚えてないだろうなぁ。


「僕はさ――

 十五になって、村の掟で森を出て、アニーさまのお城に仕えるために訓練して。

 アリスは森の近くに家があったから、ずっと友達だったけど……

 やっぱり僕なんかよりずっと大人でさ。

 僕は、独りぼっちじゃ生きていけない。

 村の皆、城の皆に支えられて、いつだって誰かの力を借りて生きていた。

 でも、アリスは違う。アリスは強い。まだ十六歳なのに、しっかり生きてる……

 ヒナ? 聞いてるの、僕の話?」


「あっ、あー、聞いてる! 聞いてるよ! いや、苦労してるんだねえ!」


「……ほんとに聞いてた?」


 いや、聞き流していた。

 つい、手帳に貼ったプリクラ見ていた。

 でも要所要所はちゃんと聞こえてた。


「同い年なのに、アリスは見上げたものですなあ」


「そうなんだよ。僕なんかよりずっとずっと、強く立派に生きているのに――

 なんでアリスが、掴まらなきゃいけないんだよ……」


 ゴスッ、とハイトは拳を地面に打ちつけた。


「もっと、もっと僕に力があれば……ッ!」


 ゴツン、ゴスンッ、何度も何度も、ハイトは拳を打つ。

 そのうち皮膚が裂けて、血が滲む。

 無益な自傷行為でしかないそれを、私が止めていいのか疑問だった。

 彼の葛藤に容易く割り込んで「がんばろっ?」なんて言えるほど神経太くない。

 いや、面倒臭いっていうのも正直なところ、ある。


「ちょっと、煩いんだけど!」


 ナイーブな様子の彼を叱る声が、森のどこかから上がった。


「近所迷惑! 静かにしてよね」


「ほんとほんと。迷惑だわぁ。それに、地面を揺らさないでちょうだい」


「わたしのおしりがむずがゆくなってしまいますわ~」


「ママーねむい……」


「あらっ、うちの子目醒ましちゃったじゃないのよ!

 もー、なかなか寝付かないのに、もー。やっと寝付いたのに~」


 連鎖するように、次から次へと賑やかな声が広がる。

 だけど人の姿はどこにもない。

 きょろきょろする私の横で、ハイトが姿勢を正して頭を下げた。


「ごっ、ごめんなさい。この辺り、集落だったんですね。僕、知らなくて」


「おや、珍しく素直な子だねぇ。みんな、許してやろうじゃないか」


「そーねぇ、でも集落だなんて無粋な名前で呼ばないで欲しいかな」


「そうね、ぼうや。訂正してちょうだい?」


 老婆や、マダムっぽい声。

 お姉さんの艶やかな声。

 大勢の女性の姦しき話し声が響く。


 声がするだけで姿が見えない。

 人の気配は、近くには感じられない。

 私は気味が悪くなって、ハイトの袖をつまんだ。


「ね、ねえハイト。誰と会話してるの?」


「ヒナ、もしかして見るの初めて? 多分こっちのほう」


 歩き出した彼に、恐る恐るついていく。


「ここだ。ほら――」

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