第1話 04:アリスの部屋


 明るい色のフローリングに、センスの良い調度品。

 絨毯の上に並ぶソファとテーブル、別室のダイニングから運ばれた紅茶の食器もオシャレだ。

 丁度良いバランスで花柄とかレースとかがちりばめられていて、あんまり鼻につかない。


 落ち着く空間だった。


 窓際に安楽椅子がある。

 その上にはほとんど完成している刺繍の縫いこまれた布地が一枚。

 アリスが作ったのかな、素敵な図案だ。

 鮮やかなバラがたくさん、布の上に咲き誇っている。

 ポツンと取り残されたこれが、ついさっきまでここにアリスが居たことを物語っていた。


 ほがらかな部屋に落ちる空気が重い。


 立ちっぱなしのチェシャが苛立たしそうに腕を組んで、お茶をすするハイトを見下ろしている。


「落ち着いている場合じゃありません。貴方は何をしにここへ来たんですか?」


「と、とりあえず、頭冷静にしたくて……。

 チェシャも、苛立つとよくないよ。焦って失敗したら元も子もないんだし」


「焦ってなんていません」


「うん、普段からそんな感じだよね」


「無駄話なら結構です」

 

 彼の尻尾が感情豊かにぱたぱた揺れていた。

 相当苛立っているらしい。


「チェシャは、ここで暮しているんでしょ?

 アリスが連れ去られたときは、どうしてたの?」


 ブォン、とひときわ不機嫌そうに尻尾が弧を描いた。


「外出していました。帰ってきたときは、手遅れでした。

 家の物も大方持ち去られています」


「それじゃあ、証拠を見つけるのは難しい……?」


「大体、証拠なんて見つかるわけないでしょう。

 常識的に考えて下さい。夢を見ていない証拠なんて存在するわけがない」


 常識って言った。

 頭の上に獣耳、尻付近で尻尾が揺れ、猫に変化する男が堂々と言った。


「そもそも、どうして夢を見ただけで掴まるの?」


 その勢いで、私はうっかり尋ねてしまった。

 空気が固まった。


「あ、あれ?」


 ハイトとチェシャ、両者の目が私に釘付けになっている。

 異物を見るような眼だった。


「ハイトさん、この女性……」


「チェシャ、よせ。何か事情があるのかもしれないだろ……」


 動揺しきった二人の囁き合いは私への哀れみに満ちていた。

 なんか知らないけど悔しいぞ。


「え、えっとー……」


「さっき言っていたあれは本当だったのですか」


「え?」


「気付いたらここに居た、と」


「あ、あー、うん、そう」


 チェシャが険しい目をこちらに向ける。

 私はソファに預けきっていた背筋を伸ばした。


「だから、ここのことあんまり良く判らなくて……」


「……。説明はハイトさんにお願いしますよ」


「う、うん。えっとね、ヒナ。

 この国で夢を見るっていえばそれは、とても不吉なことなんだ」


「でも、変だよ。夢なんて自分の意思で左右できるものじゃないでしょ?」


 私の言葉を、二人は気持ちの悪い何かへ対する表情で受け止めた。


「えっと、とにかく、夢は見ちゃいけないんだ。禁じられているんだよ」


「そうなんだ。で、それはどうしたらわかるの?

 どうしてアリスが夢を見た、って……」


 また微妙な表情をされる。

 今後はなるべく疑問を問い掛けることはやめにしよう。

 二人を困惑させて信用失うだけみたい。


「いずれにしろ、時間がありません。

 裁判などといっても形ばかり、死刑は免れないでしょう」


「うん、少なくとも三日後……。それまでになんとかして助けなくちゃ」


 あ、無かったことにされた。

 微妙な放置プレイにむしろ安堵したのも束の間。

 がたがたとやかましい足音が屋内に響いた。


「ホワイトラビット! 貴様反逆罪だぞ!」


 先端がダイヤ型に尖った槍みたいなものを持った兵士が六人ばかり。

 さっきの捕縛を解かれたのか顔に縄跡をつけた人も居る。


 新たに駆けつけたらしい二人は、人間じゃなかった。


 豚と牛、美味しそうなコンビだ。


「ポークにビーフっ。僕の解雇を知らないのか……」


「女王様の慈悲にケツをまくるとは、臆病兎よ、それは勇敢ではない、愚行だ!」


 ブヒブヒモーモーと新顔が喚く。どうやらハイトの同僚らしい。


「行くよ、ヒナ!」


「う、うんっ!」


「俺は彼らを歓迎します。先に逃げてください!」


「ありがとう、チェシャ!」


 たくましい申し出の後、チェシャはぱきぽきと指を鳴らして逢引肉コンビと向かい合った。


「美味しいハンバーグにして差し上げますよ」


 獰猛な舌なめずり。ごくり、と息を飲んだのは兵士たちだ。


 ――後の惨状を、私たちが知ることはなかった。



 アリス邸の裏口を出て走る。

 そこは鏡の森。

 ちらちらと反射する自分の姿が目に痛い。


 行く宛てがあるのかは知らなかった。だけどとにかく走る。


 気付けばハイトは私の手を引いていた。


 とりあえずなるようになれ、と私は彼に身を任せる。

 だってどうせ夢なんでしょ、と確かに私は、侮っていた。


 だからきっと何が起きても、目覚めたら平凡な現実が待っているはずだ。


 そんなふうに、楽天的に考えていた。

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