第1話 03:飼猫・チェシャ



*  *  *


 おもちゃの町みたいな風景から外れた森の近くにアリスの家はあった。


 森というのが、これまたなんかヘンで、見ていると目がチカチカする。

 樹の表面がツルツルしていて、周囲の光を反射する。


 鏡の森だ。


 それを背後に、アリスの屋敷は建っていた。

 バラの垣根に囲まれたカスタードクリーム色の素敵なお家。

 屋根の色はチョコレート色で落ち着きがある。

 久々に目が落ち着いた。

 他の家はショッキングピンクとかパッションオレンジとかビビッドグリーンとか、めちゃくちゃなんだもん。


 それは良いんだけどね。


「……だめだ、見張りがいる……」


 トランプのスートがあしらわれた、ハイトとは色違いの隊服の男が四人、家の前に立っていた。

 ハイトの隊服は緑色にクラブのスートで、彼らは黄色のダイヤ。

 どういう階級か知らないけど、ハイトよりは強そう。


「ていうか、何でアリスの家に行く必要があるの?」


「な、何か証拠があるかもしれないじゃないか、無実の……」


「はぁ、なるほどね。無実の証拠か」


 あるのかな、そんなの。と思いつつ、彼の行動に付き合う。

 鏡の森にかこまれたアリスの屋敷を、正面の樹に身を隠してこっそり見ているのが今の状態。


 ここから正面突破なんて無茶は、四対二、流石に無理だ。

 私女の子だし、ハイト頼りないし。


「あ、猫」


「え?」


 じっと見つめていた家の屋根に、小さな姿を見つけて私は声を上げた。

 町で見かける面白アニマルズとは違う、常識的な姿をした猫だった。

 大部分の毛が黒く、口から鼻にかけてが白い。お腹も白い毛だ。

 首には可愛らしく真っ赤なリボンが結ばれている。


 兵士たちは背後の屋根に居る猫に気付かない。

 正面ばかりを険しい面持ちで見渡している。


 猫に何を期待したわけでもなかったけど、なんとなく私はそれに注目していた。

 だって猫が好きなんだもん。


「あ」


 屋根の先にちょこんと座っていた猫が、しばらく尻尾をぱたぱた揺らしていたかと思うと、突然屋根を飛び降りた。

 そこはさすが猫、鮮やかに地面に着地――したかと思うや否や、その姿は人型へと変じる。


 あっという間の変化だった。


 突然現れた人物に兵士たちが動揺し現状を把握できないうちに、元猫人間は目にも止まらぬ速さで一人を叩き伏せた。

 続けて鈍い音が上がる。


 合計きっちり四回。


 私が口を開けっ放しだったことに気付いて閉じたときには、すでに兵士は四人仲良く地面に並んでいた。


「人の家の前で通せん坊だなんて、迷惑すぎますよ。全く非常識だ」


 吐き捨てた男は、行動とは反して妙に礼儀正しい口調だった。


「チェシャ!」


 声を上げたのはハイト。どうやらお知り会いらしい。


「遅かったですね、ハイトさん」


 どこから取り出したのか丈夫そうなロープで意識のない兵士四人をぐるぐるに縛り始める猫人間。

 良い歳した大人で、長身で、バーテンのような格好をしていた。

 猫のときの模様に似てなくもない。


 何故私がこんなにすんなり彼=猫だと解釈しているかという理由は、彼の頭の上にあった。


 耳。

 ネコミミだ。


 あと、後姿を見ると尻尾もある。

 ズボン、穴空いてるのかな、あれ。それはちょっと引く。


「そこの貴女は?」


「あ、彼女は、ヒナ。さっき町で知り合ったんだ。

 そんなことより、アリスが大変なんだよ!」


「知っていますよ。言ったでしょう、遅いと。

 アリスはもう此処には居ません。貴方は今まで何をしていたのですか?」


「えっと、僕は、寝坊して、えっと、あと、解雇、されて……」


 慇懃無礼な態度の猫男に問われ、しどろもどろになる。

 そんなハイトを軽蔑の眼差しで見下ろして、猫男は鼻を鳴らした。


「役立たずですね」


「ごめん……。チェシャ、僕らに、力を貸してくれる?」


「その口ぶりからすると、この方も?」


「そう、ヒナも助けてくれるって」


「どなたです? 見覚えがありませんが……」


 兵士をきっちり縛り終えて手を打ち払う、彼の険しい眼差しが私に向けられた。

 背の高い男の眼差しは近づくとますます高圧的で、ちょっとビビる。

 けど、そのさらに上にぴょこんと出ている猫耳を見ていると、不思議と気持ちが和んだ。

 猫だよ。こいつ猫だよ。


「はじめまして、えーと町の者です。名前はヒナ。あ、あなたは?」


 目つきの悪さバツグンの彼が、品定めするように視線をめぐらせる。


「本当に町の方ですか? 俺は町の大抵の人間を記憶していますが、貴女のような者は見かけたことがありません」


「ぎくり」


 こんな機会あまり無いので、あえて発音してみる。


「お嬢さん。一体どこからいらっしゃったんです? 何が目的か聞きましょう」


「えーと、あのですね。私、気付いたらこの町に居たんです。

 それで、目の前で綺麗な女の子が酷い扱いを受けているものだから――、

 驚いて事情を聞いてみたら、謂われない罪で捕らわれたと言うじゃないですか。

 私、つい正義の心が燃え上がって……」


「怪しいですね」


「こら、チェシャ、失礼だろう!

 せっかく協力してくれるって言っているんだから」

 

 萎縮するだけかと思っていたハイトが意外にも庇ってくれた。ちょっと嬉しい。


「アリスの罪状を聞いて怯えない住人が居るとは思えません。

 もしかしたら城の者かもしれない。いっそ、縛り上げて……」


「チェシャ! 女の子になんてことしようとするんだ!」


 思わぬことに言葉も出ない。

 彼の手にはさっき兵士を縛った縄が握られ、ピン、と張ったそれが私へ迫る。


「あとでアリスに言いつけるよ、チェシャ!」


 かばうように、ハイトがチェシャの行く手をさえぎった。


「む……」


 アリスの名前を聞いて急に大人しくなった。

 

「とにかく、家に入ろう。兵士は玄関に縛っておくから」


 そう言って縄を取り上げて、ハイトが四人の男を引きずって玄関へ向かう。

 意外に力持ちだ。


 猫野郎は憮然とした表情で私を見ている。

 まだ目が怖いので、私は逃げるように玄関へ向かった。


「ところで、チェシャさんはアリスとどういう関係なの?」


 玄関のポストに頑丈にロープを縛り付けているハイトに尋ねる。

 作業をしながら、なんてことないように彼は言った。


「ああ、チェシャはアリスのペットだよ」


 爆弾発言だった。


「……えっ? ……ペット?」


「そう。この家でアリスと暮しているんだよ」


「え、でもハイトはアリスの彼氏なんだよね?」


「うん」


「や、でもそれは、ハイト的にオッケーなの?」


「何が?」


 作業を終えて振り返る。

 きょとんとした顔が私を見た。


「だって、ペットって、彼、男の人でしょ?

 で、男性と二人暮しって、彼氏的には不安じゃないの?」


「え? だって、ペットだよ? 不安って?」


「し、心配じゃない? だってどう見たって……」


 私はチェシャを振り返る。

 引き締まった痩躯、艶やかな黒髪、意思の強そうなアッシュグリーンの瞳。

 やや薄い唇は神経質そうな印象だけど、なんだかんだで良い男だった。


 でもペットって。

 アリスはそっちの趣味の女性なのだろうか?


 咄嗟に、黒いボンテージ姿で鞭を振るうアリスと、その足元でアリスのブーツにキスをする奴隷クンなチェシャを想像してしまって、表情を取り繕うことが難しかった。


「ヒナ?」


「えっ、あ、はい」


「心配って? むしろ安心だけど。チェシャが居ればアリスの身は安全だし……」


「あー、強そうだもんね……うーん……」


 論点がずれている。この話題は終わらせたほうが良さそうだ。


「詰まっていますよ、中に入って下さい」


 タイミング良く言葉が切れたところでチェシャがやってくる。

 私はハイトの後に続いて、四人の男をまたいで家の中へと入った。


 こんなに可愛らしい家の玄関先にのされた男が並んでいる光景は、なんだかすごく嫌な感じだった。


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